山梨県内の大月から河口湖までを結び、富士山に繋がる鉄道としても有名な富士急行。
少し前までは、京王から譲渡された車両が多く走っていましたが、最近はJR東日本から譲渡された車両に置き換えが進んでいます。
その富士急行の車両を見ていくと、4や9の番号が振られた車両がないことに気付かされます。
忌み番だということは分かりますが、富士急行がこの番号を使わなくなった理由には、過去に発生した事故が関係しています。
場所は三つ峠から暮地(現在の寿)の区間で、3100形の3103Fが脱線して転覆し、17名の死者を出す大事故でした。
この事故は、富士吉田(現在の富士山)から月江寺の間にある踏切において、大月行きの電車が小型トラックと衝突、車両の下に入り込んだ小型トラックによって空気だめが破損し、ブレーキが使えなくなったことで引き起こされました。
当時の車両には保安ブレーキが装備されておらず、このようなケースではブレーキが使えなくなってしまう場合があったのです。
普通の路線であれば、すぐには止まることができなくても、徐々にスピードが落ちていくのでしょうが、富士急行は違いました。
山岳路線の富士急行は、路線のほとんどが勾配区間であり、車両は下り勾配を暴走することとなってしまいます。
月江寺、下吉田、葭池温泉前、暮地とスピードを上げながら通過した車両は、その先のカーブでついに脱線して転覆、17名の死者と71名の負傷者を出す大惨事となりました。
写真の左側に写っているのが、この事故で大破した3100形ですが、これは事故の当該とは異なる編成で、モハ3101とモハ3102で構成される3101Fです。
もうお分かりだと思いますが、事故の当該である3103Fは、モハ3103とモハ3104で構成される編成だったのです。
この事故の後、富士急行では4と9を忌み番とするようになり、末尾に使うことがなくなりました。
そして、相方となる3や0の番号も、末尾には使われなくなっています。
この事故の後には、小田急から1900形と2200系列が譲渡され、それぞれ5200形と5700形となりました。
これらの車両も4と9を避けたため、番号はとても不揃いなものとなっていました。
各形式の編成表は以下のとおりで、左側が大月方です。
【5200形】
5261F:クハ5261-モハ5231
5262F:クハ5262-モハ5232
5263F:クハ5263-モハ5233
5265F:クハ5265-モハ5235
【5700形】
5701F:モハ5701-モハ5702
5705F:モハ5705-モハ5706
5707F:モハ5707-モハ5708
5711F:モハ5711-モハ5712
5715F:モハ5715-モハ5716
5717F:モハ5717-モハ5718
5721F:モハ5721-モハ5722
5725F:モハ5725-モハ5726
このように、多くの番号が飛ばされていました。
5700形は電動車だけだったことから、番号は26まで到達しており、16両に対してかなり大きな数字となっています。
過去の教訓は、現在の安全対策に活かされているのです。
少し前までは、京王から譲渡された車両が多く走っていましたが、最近はJR東日本から譲渡された車両に置き換えが進んでいます。
その富士急行の車両を見ていくと、4や9の番号が振られた車両がないことに気付かされます。
忌み番だということは分かりますが、富士急行がこの番号を使わなくなった理由には、過去に発生した事故が関係しています。
17名が死亡した脱線転覆事故
1971年3月4日の早朝、富士急行で事故が発生しました。場所は三つ峠から暮地(現在の寿)の区間で、3100形の3103Fが脱線して転覆し、17名の死者を出す大事故でした。
この事故は、富士吉田(現在の富士山)から月江寺の間にある踏切において、大月行きの電車が小型トラックと衝突、車両の下に入り込んだ小型トラックによって空気だめが破損し、ブレーキが使えなくなったことで引き起こされました。
当時の車両には保安ブレーキが装備されておらず、このようなケースではブレーキが使えなくなってしまう場合があったのです。
普通の路線であれば、すぐには止まることができなくても、徐々にスピードが落ちていくのでしょうが、富士急行は違いました。
山岳路線の富士急行は、路線のほとんどが勾配区間であり、車両は下り勾配を暴走することとなってしまいます。
月江寺、下吉田、葭池温泉前、暮地とスピードを上げながら通過した車両は、その先のカーブでついに脱線して転覆、17名の死者と71名の負傷者を出す大惨事となりました。
写真の左側に写っているのが、この事故で大破した3100形ですが、これは事故の当該とは異なる編成で、モハ3101とモハ3102で構成される3101Fです。
もうお分かりだと思いますが、事故の当該である3103Fは、モハ3103とモハ3104で構成される編成だったのです。
この事故の後、富士急行では4と9を忌み番とするようになり、末尾に使うことがなくなりました。
そして、相方となる3や0の番号も、末尾には使われなくなっています。
小田急から譲渡された車両の不揃いな番号
小田急の話題にも少し触れておくこととしましょう。この事故の後には、小田急から1900形と2200系列が譲渡され、それぞれ5200形と5700形となりました。
これらの車両も4と9を避けたため、番号はとても不揃いなものとなっていました。
各形式の編成表は以下のとおりで、左側が大月方です。
【5200形】
5261F:クハ5261-モハ5231
5262F:クハ5262-モハ5232
5263F:クハ5263-モハ5233
5265F:クハ5265-モハ5235
【5700形】
5701F:モハ5701-モハ5702
5705F:モハ5705-モハ5706
5707F:モハ5707-モハ5708
5711F:モハ5711-モハ5712
5715F:モハ5715-モハ5716
5717F:モハ5717-モハ5718
5721F:モハ5721-モハ5722
5725F:モハ5725-モハ5726
このように、多くの番号が飛ばされていました。
5700形は電動車だけだったことから、番号は26まで到達しており、16両に対してかなり大きな数字となっています。
おわりに
数々の不幸が重なって発生した富士急行の事故でしたが、事故後には空気ブレーキの系統を多重化するといった対策へと繋がっていきました。過去の教訓は、現在の安全対策に活かされているのです。
コメント
コメント一覧 (7)
写真のように意外とこの時代の中堅地方私鉄では結構このように国鉄車が乗り入れ先の車両と顔合わせをするシーンがあったりするのですが、これがまた狂わしいほど私は好きでしてね。
長野電鉄の0系と165系だったり、富山地方鉄道の14760系と455系だったり…これはもうたまらんわ。
ワタシダ
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ご教示有難うございます。
ワタシダ
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ワタシダ
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西武は小田急以外で初めて4000系を登場させた鉄道会社ですが、ライオンズカラーの車体はそこを考慮したのか興味あります。
登場した時は森監督率いる黄金時代で、4番打者は清原和博でした。
40000系は西武しか採用してませんが、野球チームを持つ西武なら抵抗ないのかもしれません。
ただパ・リーグはDH制で先発メンバーは9人でなく10人なので、じゃあ9000系は?って突っ込みどころはありますが。
ワタシダ
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大手私鉄では4000番台の形式は小田急、西武、東急、名鉄、阪急でのみ採用例があり(阪急は事業用車。東急は5050系4000番台が正式な形式目)、9000番台は平成期以降に多く登場しとります(例外は小田急、東武、東急、南海の4社)。また、40000番台の形式は現在のところ西武のみで採用されとります。
おもろいところでは、南海7000系や7100系で末尾の番号で4の倍数のモハ7001形やモハ7101形が欠番になっとるそうで、これは元々7000系のクハ7901形を電装化する計画があったためで、そのためにわざわざ4の倍数のモハ7001形を空けといたと言われとります。
ワタシダ
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