現在までに346両が製造され、小田急の車両では最多勢力となっている3000形。
6両、8両、10両の編成があり、全線でその姿を見ることができます。

しかし、これだけの大所帯となっているにもかかわらず、3000形には4両の編成が登場から現在まで存在しません。
3000形にはなぜ4両の編成が製造されなかったのか、今回はその理由をまとめたいと思います。

大量の4両編成を置き換えた3000形

2001年から製造が開始された3000形は、しばらく6両ばかりが製造されることとなりました。
これには二つの理由があります。

当時の小田急が置き換えの最優先形式としたのは、最古参である2600形でした。
2600形は6両が12編成、8両が6編成となっていましたが、8両は3000形の登場直前に2000形によって置き換えられたため、3000形は2600形の6両を置き換えていくこととなりました。
この時に製造されたのが、3262Fまでの12編成です。

実際には4000形の置き換えと多少前後しつつ、2600形は形式消滅することとなりますが、その後4両で置き換え対象となっている編成は以下のとおりでした。

4000形:8編成
5000形:15編成
9000形:9編成

合計は32編成もありましたが、それでも3000形の4両が登場することはありませんでした。
3000形の6両は3200番台となっており、3000番台を4両に使うことを想定していたのは間違いありません。
しかし、3000形に4両が登場することは、最後までありませんでした。

固定編成化によって行われた4両の置き換え

3000形に4両が登場しなかった背景には、いくつかの理由が複合的に絡んでいます。
それらを見ていきましょう。

最も影響したのは、各停用編成の8両固定編成化です。
当時は4両を2編成繋いだ8両が沢山走っており、その分だけ4両の編成が過剰な状態でした。
そこで、4両を2編成廃車して、3000形の8両固定編成に置き換えることとしました。

置き換え対象の形式で各停用として使われていたのは9000形のみですが、1000形の編成をばらすことで、4000形の置き換えが進められました。
この過程で1000形のワイドドア車が組み替えられ、4両の6両化が行われています。

3000形の8両は2006年までに15編成が製造されますが、それまでに置き換えられたのは4000形の8編成、9000形の9編成、1000形のワイドドア車の6編成でした。
既に編成数が合わなくなりますが、これは6両の各停を8両化しているためです。

さて、8両の15編成が揃った後、約1年後には3000形の編成単位での製造自体が終了となりました。
これは東京メトロ千代田線直通運用から1000形を撤退させるためで、4000形の製造に移行したことが理由です。
3000形の製造が当初の想定より早めに終了したこと、これも4両が登場しなかった理由と考えられます。

そして、最終的に4両が登場しないことを決定付けたのは、通勤型車両による分割併合の廃止でした。
分割併合があることで、4両と6両に分ける必要があった10両ですが、これによって10両固定編成にすることが可能となり、4両を製造する理由がなくなりました。
3000形ではなく、4000形で4両を製造する可能性があったといわれていますが、それも分割併合の廃止によってなくなったようです。



この一連の流れの中で行われたのが、3000形の6両の一部を10両化する対応であり、4両の中間車を組み込むことで、5編成が10両固定編成化されました。
分割併合が廃止となったことで、4両の役目はほとんどなくなってしまったのです。

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こうして3000形に4両が登場する理由はなくなり、今日まで登場しないという結果となりました。
分割併合の廃止がなければ、少数の4両が登場していたかもしれませんね。

おわりに

現在は4両がない3000形ですが、将来的に登場する可能性がないとは言いきれません。
1000形を完全に置き換えるタイミングで、3000形の6両を短縮して4両とする可能性があるからです。
3051Fという編成を、個人的には見てみたい気がします。