小田原急行鉄道として、1927年4月1日に新宿から小田原の全線が一気に開業した小田急小田原線。
昭和になってから開業した路線ですが、既に90年以上が経過し、100周年の節目も近付いてきました。
そんな小田急線には、開業時から現在まで使われ続けているものがあります。
今回は、その長持ちな設備をピックアップします。
駅の前後にカーブが必要となる島式ホームを避けて、できる限り線路を直線に通すといったこだわりが典型例です。
そして、小田急がもう一つ長期的な視点で考えていたのが、架線柱を鋼製としたことでした。
木製等と比べたら当然高価となりますが、耐久性が高いことから、思い切って鋼製の架線柱を導入したようです。
この選択は大成功となったようで、小田急では今も開業時の架線柱が沢山使われています。
少し傾いたりしているものも多いですが、それは長い年月が経っているからこそなのかもしれません。
さすがに開業時のままではないものが多く、継ぎ足しをされているものも目立ちます。
それでも、90年以上も使われているというのは驚きですね。
複々線となった区間には当然残っておらず、高架化された区間も新しいものになっています。
線形改良が行われた新百合ヶ丘の周辺も残っていませんし、鉄橋が架け替えられた場合も交換されています。
老朽化したためなのか、一ヶ所だけが交換されているといった場合もあります。
消滅するようなことはまだ考えられませんが、少しずつ姿を消していることだけは確かなようです。
ここまで長い間使われるとは、当時の方も思わなかったかもしれませんね。
昭和になってから開業した路線ですが、既に90年以上が経過し、100周年の節目も近付いてきました。
そんな小田急線には、開業時から現在まで使われ続けているものがあります。
今回は、その長持ちな設備をピックアップします。
長期的な視点で考えられていた小田急の設備
開業時から高速運転を志向していた小田急は、最初から長期的な視点で設備にこだわっていました。駅の前後にカーブが必要となる島式ホームを避けて、できる限り線路を直線に通すといったこだわりが典型例です。
そして、小田急がもう一つ長期的な視点で考えていたのが、架線柱を鋼製としたことでした。
木製等と比べたら当然高価となりますが、耐久性が高いことから、思い切って鋼製の架線柱を導入したようです。
この選択は大成功となったようで、小田急では今も開業時の架線柱が沢山使われています。
少し傾いたりしているものも多いですが、それは長い年月が経っているからこそなのかもしれません。
さすがに開業時のままではないものが多く、継ぎ足しをされているものも目立ちます。
それでも、90年以上も使われているというのは驚きですね。
改良工事によって減っている開業時の架線柱
まだ多くの開業時からの架線柱が残ってはいますが、様々な改良工事によって数を減らしているのも事実です。複々線となった区間には当然残っておらず、高架化された区間も新しいものになっています。
線形改良が行われた新百合ヶ丘の周辺も残っていませんし、鉄橋が架け替えられた場合も交換されています。
老朽化したためなのか、一ヶ所だけが交換されているといった場合もあります。
消滅するようなことはまだ考えられませんが、少しずつ姿を消していることだけは確かなようです。
おわりに
90年以上も小田急の輸送を支え続けている鋼製の架線柱。ここまで長い間使われるとは、当時の方も思わなかったかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (11)
これは小田急に限らない話です。
ワタシダ
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先だっての京急神奈川新町駅での大事故で倒壊した架線柱にも、開業時以来のものがいくつかあったようですし。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
私の地元関西ですと南海本線の紀ノ川橋梁がそれに当たり、開業当時から使用されとる上り線の橋梁は築118年、明治から令和の現在に至るまで当時の面影を残しとります。ちなみに複線化の際に架けられた下り線の橋梁も大正時代からの遺構でこちらも100年近い年数が経過しとります。
また阪急宝塚線には宝塚駅付近など一部の区間に開業当時からの遺構が見られ、こちらも実に110年もの歳月を誇ります。
このように開業当時からの遺構を探ってみるのもなかなか興味深いところですな。
ワタシダ
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利光鶴松氏の先見の明はそれだけではありません。
1929年開業の江ノ島線では当時の小田原線との分岐点「大野信号場」場内の江ノ島線の上り線の立体交差もそうです。
開業当初、鋼製架線柱も含め、これらは「過剰投資ではないのか」と批判されたそうですが、のちに多くの私鉄が路線分岐点での平面交差でのダイヤ設定に困っている中、小田急は立体交差の恩恵を大いに受けたと聞いたことがあります。
他にも、東北沢駅のあの通過線付き相対式ホームや、小田原線では4~8km以内に待避設備を有する駅を新設したこと、全線を複線で設計したことにも「先見の明」を感じます。
ワタシダ
がしました