多くの列車が10両で走るようになり、分割併合が日常的に行われていた頃とは別路線のようになった小田急。
現在は10両固定編成の5000形が増備されており、4両と6両を繋いだ10両も少しずつ減っています。
1977年に新宿から本厚木の区間で始まった10両での運転は、少しずつ区間を伸ばして小田原まで到達しましたが、いつから小田原まで10両が走れたのでしょうか。
新宿から小田原までは10両で運転し、小田原で分割併合を行うことで、ロマンスカーの輸送力を増強することが可能となりました。
そして、1998年には急行の全線10両化が行われ、小田原まで通勤型車両の一部が10両で走るようになりました。
運転開始当初はラッシュ時を中心とした限定的なものでしたが、やがて10両で運転することが当たり前となっていきます。
こうして10両で運転する列車が増えてきた小田急ですが、それ以前は本厚木までしか10両が走れなかったのでしょうか。
10両の運転ができなかったのはホームの長さが原因であり、非営業列車であれば運転できた可能性がありそうです。
この記事を書くにあたって色々と調べましたが、現時点で小田原まで10両が入れたかは分かっていません。
一つだけ明らかになっていることは、秦野(当時は大秦野)まで10両が入ることは確実にできたということです。
1983年に営業運転開始前の8000形が試運転を行っており、2400形と併結した10両での入線実績があります。
当時から有効長は10両分あり、副本線に入線して停車しています。
秦野の有効長が10両となっていることや、折り返し用の設備があることを考えると、ここで折り返している気がしますが、実際のところはどうだったのでしょうか。
昔の小田原の様子を見る限りでは、10両を入れられなくはないような気がするものの、正式に対応していたのかは怪しい気もします。
実際のところはどうだったのか、引き続き調査していきたいと思います。
現在は10両固定編成の5000形が増備されており、4両と6両を繋いだ10両も少しずつ減っています。
1977年に新宿から本厚木の区間で始まった10両での運転は、少しずつ区間を伸ばして小田原まで到達しましたが、いつから小田原まで10両が走れたのでしょうか。
EXEの営業運転開始によって始まった小田原までの10両運転
小田原まで営業運転で10両編成が入るようになったのは、1996年にEXEが登場した時でした。新宿から小田原までは10両で運転し、小田原で分割併合を行うことで、ロマンスカーの輸送力を増強することが可能となりました。
そして、1998年には急行の全線10両化が行われ、小田原まで通勤型車両の一部が10両で走るようになりました。
運転開始当初はラッシュ時を中心とした限定的なものでしたが、やがて10両で運転することが当たり前となっていきます。
こうして10両で運転する列車が増えてきた小田急ですが、それ以前は本厚木までしか10両が走れなかったのでしょうか。
10両の運転ができなかったのはホームの長さが原因であり、非営業列車であれば運転できた可能性がありそうです。
本厚木から先も運転できた10両の列車
1977年に本厚木まで運転できるようになった10両の列車ですが、その先にも入線自体は可能だったようです。この記事を書くにあたって色々と調べましたが、現時点で小田原まで10両が入れたかは分かっていません。
一つだけ明らかになっていることは、秦野(当時は大秦野)まで10両が入ることは確実にできたということです。
1983年に営業運転開始前の8000形が試運転を行っており、2400形と併結した10両での入線実績があります。
当時から有効長は10両分あり、副本線に入線して停車しています。
秦野の有効長が10両となっていることや、折り返し用の設備があることを考えると、ここで折り返している気がしますが、実際のところはどうだったのでしょうか。
昔の小田原の様子を見る限りでは、10両を入れられなくはないような気がするものの、正式に対応していたのかは怪しい気もします。
おわりに
このような調査は、記憶や当時撮影された写真を頼るしかないため、なかなか結論が出せないのが苦しいところですね。実際のところはどうだったのか、引き続き調査していきたいと思います。
コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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現9番ホームは確実に1990年代に新宿方への延伸工事を行っているし、10番ホームも10連に対応させるために小田原方にあった箱根登山線の駅事務室及びトイレの撤去を行っている。
そして何より8番ホームは、10連停車長を確保するためにJR貨物からの授受駅を新松田駅に変更して小田原駅構内の授受線を廃止してそのエリアまでホームを拡幅することにより10連が停車可能なスペースを確保した。
ワタシダ
がしました
にしても、当時2400形や2200形とも併結していたであろう8000形が35,6年後分割箱根急行もなくなって8000形4両とだけ組んでいるとは…。
30年くらい前からは全く想像もつきませんでしたでしょうね…。
ワタシダ
がしました
NSEの甲種がデキ+デキ+NSE+トフ=約180mで日中営業列車を退避しながら走っていたので、物理的には小田原の授受線含めて10両入れたでしょうね。(ただ、授受線も機回しポイント間は20m10両分なかった気がする。。。。)
かなり前から伊勢原貨物側線〜小田原間は貨物の有効長長かったのかもしれない。
問題はいつ、通勤車10両編成が入線したのかですよね。
直通開始時の試運転で6000系って本厚木以西に入線したって話なかったっけか?
船子信号所なんかもそうですけど、それほど前のことではないのに記録ないですねー。
ワタシダ
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ちなみに江ノ島線は1990年代に入ってから10両対応化されたので、小田原線より一足遅れての長編成化となりました。当時同線は現在の多摩線並みに列車本数が少なく、10両やと輸送力過剰が懸念されたっちゅう説もあります。また、多摩線は開業当時は線内折返しの各駅停車のみが運転されとりましたが、それでも比較的新しい路線だけに開業当初から10両が入線できるような路線規格になっとりました。
このことから小田急は1970年代前半の段階で全線10両化が計画されとったことが伺えますね。
ワタシダ
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