鉄道趣味には色々な分野がありますが、デジタルカメラやスマートフォンの普及により、近年は写真を撮る方が増えたのではないでしょうか。
私自身も写真を撮りますが、他にも模型や音、このブログの執筆等も行っており、小田急鉄と自称しています。

小田急の写真を撮っていると、昔の小田急は撮っていて楽しかった、そういった声をよく耳にします。
今回は私の実体験を振り返りつつ、実際のところはどうだったのかを書いてみたいと思います。
珍しく自分語りに近い内容となってしまいますがご容赦下さい。

3000形の登場によって始めた小田急の撮影

私が本格的に小田急の撮影を始めたのは、2003年の夏でした。
それまでも稀に撮影をすることがありましたが、記録程度の写真が多く、お見せするのが恥ずかしいようなものばかりです。

撮れるのに撮らなかったのには理由があり、あまり撮る意味を感じなかったのです。
1989年に2400形が引退して以降、小田急の通勤型車両は長い間編成単位での廃車がありませんでした。
通勤型車両が好きな私にとっては、ほとんど変化がないその状況があまり面白くなく、さらに来る車両も小田急顔ばかりでしたから、なかなかカメラを構える理由がありませんでした。

しかし、小田急の変化は突然始まることとなり、2000年から2600形の編成単位での廃車が始まると、簡単な撮影をする機会が少しずつ増えていきました。
2003年に2600形が残り2編成となった時、それ以前から周囲に本格的な撮影を勧められていたこともあり、小田急を記録する日々が始まりました。

それからしばらくの間は、それまで撮っていなかったものを取り戻そうと、分からないなりに色々な小田急の日常を記録する私がいました。
2600形は多くを撮り逃した私でしたが、幸い4000形以降の形式はきちんと残すことができました。

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今と比べたら信じられないぐらい数が少なかった3000形も、当時は楽しんで撮影ができました。
世代交代の並びというのも無意識に撮っており、とても良い記録となりました。

その後、2600形の旧塗装や3000形の変態カバーの登場、4000形と9000形の廃車と続き、小田急は目まぐるしく変化していくこととなります。
それと同時に3000形が大量に増備されていくのですが、消えていく車両を追いかけていたこともあり、当時の撮影はとても楽しいものでした。

昔の小田急の撮影は楽しかったのか

昔は小田急の撮影が楽しかったのかを聞かれたら、やはり楽しかったと答えると思います。
ただ、それは当時走っていた車両が今よりも味があったとかいうことだけではなく、変化があるからこそ楽しかったのだと今になって思います。

3000形や4000形がどんどん増殖し、小田急顔の車両や9000形が引退していく、その時にしか見られない光景や瞬間が沢山展開されました。
1990年代の大きな変化がない小田急にはなかった、あの時ならではの楽しさがありました。

そして、5000形が引退した後、小田急は再び変化がほとんどない状況となりました。
撮影の楽しさは正直なところ半減しましたが、私は撮影をやめませんでした。
本格的に撮影をするようになった時に、変化がない時代を記録していなかったことを後悔し、それをしっかりと覚えていたからです。

新しい5000形が登場し、1000形の未更新車が続々廃車となる現在、また撮影自体は楽しくなってきました。
しかし、昔のような後悔はありません。
変化が大きい時期は撮影していて楽しいものですが、そうでない時には違った良さがあります。

昔の小田急の撮影は楽しかった、それは事実だと思いますが、私は今を否定することもありません。
変化がない日常、それを記録することの意味や楽しさにも気付くことができたからです。

おわりに

人それぞれ、この趣味には色々な楽しみ方があることでしょう。
昔の小田急の撮影は確かに楽しかったですが、急激な変化が起きている今も楽しいと、個人的には思います。
そして、変化がない時の日常も、楽しもうと思えば楽しいものです。