近代的な大型車体には似合わない、吊り掛け駆動方式で登場した小田急4000形。
既に高性能車が当たり前となりつつある時代に、吊り掛け駆動方式で登場した理由は、車体が小さい車両から機器を流用したためです。
いくつかの機器が4000形には流用されましたが、後々は主電動機ぐらいしか残っていませんでした。
高性能車に改造される前、非冷房の時代に交換された機器もあったのです。
その数は8形式にも及び、吊り掛け駆動方式で登場したほとんどの車両が、最終的に4000形へと更新されたといえます。
こうして近代的な車体なのに吊り掛け駆動という、かなり不思議な車両が生まれましたが、高性能化直前の4000形を見てみると、台車や機器も近代的で、制動装置も電磁直通ブレーキ(HSC)でした。
他には非冷房ということが目立つ程度で、主電動機以外に何が流用されていたのかという状態でしたが、登場時に流用していた機器を後に交換していたことがその理由です。
吊り掛け駆動の時代も電磁直通ブレーキだった4000形ですが、登場当初は自動空気ブレーキ(AMMR-L)で、1200形や1400形の流用品が使われていました。
しかし、長編成化が進む中で自動空気ブレーキは都合が悪かったのか、1968年に製造された3次車からは電磁直通ブレーキとなり、それ以前の編成も同様の仕様に改造されました。
1967年に1800形が電磁直通ブレーキに改造されており、当初から併結運転を想定した仕様変更だったのでしょう。
この時に流用されたブレーキ弁は交換されています。
その他に流用された機器としては、電動空気圧縮機のDH-25があります。
これは小田急の多くの車両に搭載されていたものですが、後に容量が大きいC-2000Mへと交換され、高性能化時にもそのまま使用されました。
登場後に少しずつ近代化が進められた4000形でしたが、最終的には吊り掛け駆動で非冷房という根本的な問題を解決する必要に迫られ、1985年から2400形の機器を流用して高性能車に改造されることとなりました。
高性能化後は他の形式とも併結運転を行うことが可能となり、活躍の幅が広がりました。
約38年の活躍は、機器流用車としては長かったように思います。
既に高性能車が当たり前となりつつある時代に、吊り掛け駆動方式で登場した理由は、車体が小さい車両から機器を流用したためです。
いくつかの機器が4000形には流用されましたが、後々は主電動機ぐらいしか残っていませんでした。
高性能車に改造される前、非冷房の時代に交換された機器もあったのです。
8形式から主電動機を流用した4000形
1966年に登場した4000形は、多くの形式から主電動機を流用しました。その数は8形式にも及び、吊り掛け駆動方式で登場したほとんどの車両が、最終的に4000形へと更新されたといえます。
こうして近代的な車体なのに吊り掛け駆動という、かなり不思議な車両が生まれましたが、高性能化直前の4000形を見てみると、台車や機器も近代的で、制動装置も電磁直通ブレーキ(HSC)でした。
他には非冷房ということが目立つ程度で、主電動機以外に何が流用されていたのかという状態でしたが、登場時に流用していた機器を後に交換していたことがその理由です。
4000形が主電動機以外で流用した機器
登場当初に4000形が流用していた機器の中には、ブレーキ弁がありました。吊り掛け駆動の時代も電磁直通ブレーキだった4000形ですが、登場当初は自動空気ブレーキ(AMMR-L)で、1200形や1400形の流用品が使われていました。
しかし、長編成化が進む中で自動空気ブレーキは都合が悪かったのか、1968年に製造された3次車からは電磁直通ブレーキとなり、それ以前の編成も同様の仕様に改造されました。
1967年に1800形が電磁直通ブレーキに改造されており、当初から併結運転を想定した仕様変更だったのでしょう。
この時に流用されたブレーキ弁は交換されています。
その他に流用された機器としては、電動空気圧縮機のDH-25があります。
これは小田急の多くの車両に搭載されていたものですが、後に容量が大きいC-2000Mへと交換され、高性能化時にもそのまま使用されました。
登場後に少しずつ近代化が進められた4000形でしたが、最終的には吊り掛け駆動で非冷房という根本的な問題を解決する必要に迫られ、1985年から2400形の機器を流用して高性能車に改造されることとなりました。
高性能化後は他の形式とも併結運転を行うことが可能となり、活躍の幅が広がりました。
おわりに
他の車両から機器を流用し、2004年まで営業運転を続けた4000形。約38年の活躍は、機器流用車としては長かったように思います。
コメント
コメント一覧 (10)
ワタシダ
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HE車でガチャガチャ鳴ってたのは聞いたことがありますが
吊り掛けの音に混じってあの音が聞こえて来るとは、
マニアとしてはたまりませんね。
ワタシダ
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ワタシダ
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それは国鉄72系、東武5000系グループ、相鉄3010系、そして南海1521系で、これらの3系列は旧4000形と同様に吊り掛け駆動方式の4扉大型車体を持つっちゅう共通点があります。いずれも機器流用の更新車で、旧性能車両を近代的な大型車体に乗せ換えたことで収容力アップに貢献しました。
国鉄72系は103系の車体に旧性能車両の足回りを組み合わせて誕生した車両で、仙石線や川越線で運用されとりました。その後、前者は山手線をはじめとする首都圏各線から転用されてきた103系に置き換えられて引退、後者は八高線電化に合わせて冷房化及び高性能化され、103系に編入された後、山手線から転入してきた205系に置き換えられるまで活躍を続けました。
東武5000系グループは8000系の車体と旧性能車両の部品を組み合わせたもので、主に野田線や支線区などで運用されとりました。2006年までに全車両が引退し、その頃には関東大手私鉄で最後の吊り掛け駆動車両として一躍話題を集めておりました。
相鉄3010系は旧6000系の車体と3000系からの足回りを組み合わせたもので、その後、小田急旧4000形と同じく冷房化と高性能化が行われ、長く活躍を続けました。
南海1521系は旧性能車両の足回りを新製した4扉の大型車体に乗せ換えたもので、同社初の4扉通勤型車両として登場しました。一部は2051系として登場しとりますが、最終的には全車両が1521系に集約され汐見橋線などの支線区で運用されました。引退後は一部が弘南鉄道に譲渡されましたが、保温性及び機器類の特殊性に問題があったようで2003年頃に運用離脱後、徐々に廃車されていきました。
以上、長文になって申し訳ありませんが、4扉大型車体を持つ吊り掛け駆動方式の車両たちの紹介でした。
ワタシダ
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お題「複数形式を同時に増備していた時期はいつか?」 ってどうかな?
ワタシダ
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私が高校生、社会人になって間もない頃、通学通勤に使っていた東武野田線は吊り掛け車100%でした。中でも5050系は冷房車で8000系の更新車より先に方向幕が自動化され側面にも設置されました。そんなピカピカの車体から吊り掛けモーターの音……そのミスマッチが何とも言えませんでした。
ワタシダ
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1985年から冷房化のために大規模な工事を受けましたが、あれも台車交換と一部の中間車化を除けば、「車体修理+冷房化」とほとんど変わらない工程だったはずですからね。
あと、20メートル級4ドア車だったっていうのも結構大きかったんじゃないですかね。
ワタシダ
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