1991年に御殿場線を走るあさぎり号用の車両として営業運転を開始し、小田急線にも乗り入れを行っていたJR東海の371系。
毎日長距離を走り続けましたが、2012年に小田急との相互直通運転が終了したことで定期運用を失い、2015年に富士急行へと譲渡され、8500系として現在も活躍中です。
朝から晩までほとんど休むことなく、毎日長距離を走っていた371系は、どのような使われ方をしていたのでしょうか。
小田急は同じタイミングで20000形を導入し、両形式が使われることによって相互直通運転が開始されました。
編成数は371系が1編成、20000形が2編成となっており、JR東海の車両は1編成のみという希少な形式となっています。
1編成のみの371系は、常に予備車がない状況での運用となりましたが、検査時等は小田急の車両が代走するようになっており、2編成ある20000形が両社の予備車となっているような状況でした。
あさぎり号の運用は、JR東海と小田急で1運用ずつ、合計で2運用がありました。
この2運用を371系と20000形が受け持ち、371系が営業できない時は両方の運用に20000形が充当されていました。
371系を2編成用意してしまうと、片方の編成の使い道が特にないという状況になることから、このような運用体制となったのでしょう。
検査等で運用に入らない日を除くと、毎日変わることなく走り続けていました。
あさぎり号に充当される371系は、沼津と新宿の間を往復するだけのように思われますが、実際にはそれ以外の運用もあり、毎日かなりの距離を走る車両でした。
1日の最初の列車は静岡駅から始まります。
車庫のある静岡からの送り込みを兼ねて、ホームライナー沼津として走るのです。
この列車で371系は静岡から沼津まで走り、あさぎり号での運用に備えます。
その後はあさぎり号として本業の運用に入り、沼津と小田急線の新宿の間を2往復します。
沼津と新宿の間は2往復だけでしたが、沼津に戻る頃にはそれなりの時間となっていました。
そして、沼津に到着しても371系の仕事は終わりません。
今度は沼津から三島まで回送され、そこからホームライナー浜松として走り、折り返しのホームライナー静岡で朝出発した静岡まで戻るのです。
後に三島までの回送はなくなり、沼津から発車するようになりましたが、基本のパターンはほとんど変わりませんでした。
1日の走行距離は約750kmで、毎日のように長距離を走り続けていました。
あさぎり号以外でも見られた371系の活躍は、長距離の回送が必要という事情が背景にあったのです。
1編成のみという希少性や、長距離の走行が続いて老朽化が進んだことが、引退を早める原因となってしまったのでしょうね。
毎日長距離を走り続けましたが、2012年に小田急との相互直通運転が終了したことで定期運用を失い、2015年に富士急行へと譲渡され、8500系として現在も活躍中です。
朝から晩までほとんど休むことなく、毎日長距離を走っていた371系は、どのような使われ方をしていたのでしょうか。
1編成のみで運用された371系
371系は小田急と相互直通運転を行うため、JR東海側が用意した車両です。小田急は同じタイミングで20000形を導入し、両形式が使われることによって相互直通運転が開始されました。
編成数は371系が1編成、20000形が2編成となっており、JR東海の車両は1編成のみという希少な形式となっています。
1編成のみの371系は、常に予備車がない状況での運用となりましたが、検査時等は小田急の車両が代走するようになっており、2編成ある20000形が両社の予備車となっているような状況でした。
あさぎり号の運用は、JR東海と小田急で1運用ずつ、合計で2運用がありました。
この2運用を371系と20000形が受け持ち、371系が営業できない時は両方の運用に20000形が充当されていました。
371系を2編成用意してしまうと、片方の編成の使い道が特にないという状況になることから、このような運用体制となったのでしょう。
371系の長い1日
371系の長い1日は、朝早くから始まります。検査等で運用に入らない日を除くと、毎日変わることなく走り続けていました。
あさぎり号に充当される371系は、沼津と新宿の間を往復するだけのように思われますが、実際にはそれ以外の運用もあり、毎日かなりの距離を走る車両でした。
1日の最初の列車は静岡駅から始まります。
車庫のある静岡からの送り込みを兼ねて、ホームライナー沼津として走るのです。
この列車で371系は静岡から沼津まで走り、あさぎり号での運用に備えます。
その後はあさぎり号として本業の運用に入り、沼津と小田急線の新宿の間を2往復します。
沼津と新宿の間は2往復だけでしたが、沼津に戻る頃にはそれなりの時間となっていました。
そして、沼津に到着しても371系の仕事は終わりません。
今度は沼津から三島まで回送され、そこからホームライナー浜松として走り、折り返しのホームライナー静岡で朝出発した静岡まで戻るのです。
後に三島までの回送はなくなり、沼津から発車するようになりましたが、基本のパターンはほとんど変わりませんでした。
1日の走行距離は約750kmで、毎日のように長距離を走り続けていました。
あさぎり号以外でも見られた371系の活躍は、長距離の回送が必要という事情が背景にあったのです。
おわりに
定期運用から離脱した371系は臨時列車等に使用されましたが、それも長くは続きませんでした。1編成のみという希少性や、長距離の走行が続いて老朽化が進んだことが、引退を早める原因となってしまったのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (12)
オレンジ色のカラーリングばかりのJR東海在来線車両の中で白と青の車体は、とても珍しく子供ながら不思議な気持ちになり、鉄道への興味を掻き立ててくれた存在です。
私が鉄道好きになったきっかけの車両で、いつか新宿~沼津間を乗ってみたいなと思っていました。
譲渡先の富士急行でも活躍してくれて嬉しいです。
ワタシダ
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沼津で。ホームライナーからあさぎりに切り替わる時、となりのホームに博多からのあさかぜ4号が到着、発車していたものだった。
両者、あさを名乗っていたので、興味深く見ていた時期があった事が、思い出される。。
ワタシダ
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ワタシダ
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私もこの371系にはよく乗っており、2012年の1月頃でしたが、特急あさぎり7号(新宿→沼津)と、ホームライナー浜松5号(沼津→浜松)に乗りました。
勿論、双方とも走行音は録音しており、今でもたまに聴いています。
371系、懐かしいですね。
ワタシダ
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また日常的にも、ブルーラインの小田急車両が多数行きかう中に、「濃紺&純白」の東海道新幹線カラーで側面の窓もワイドな車両のインパクトは大きく、通過していくたびに目を引いていました。
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ワタシダ
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同時に沼津駅が高架化されれば、静岡方面の直通も楽になれるのでこれを気に375系(仮)の6両編成を出して小田急の相互乗り入れ及び松田駅〜御殿場駅〜静岡駅の特急運用も有れば良いかと思います。
御殿場線を強化すれば跨ぎ利用が不可能な熱海函南間を避け、松田駅乗り換えでIC乗車券で静岡に出られるから尚更だと思いますね。
ワタシダ
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普段JRを利用していなかった自分には私鉄から見ると「大柄、大味」なJR車輌の全部が快適でした。今はどの特急もベタに小田急で、その部分は寂しくなりました。
ワタシダ
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今は富士急でかつての同僚と一緒に大人気特急列車としてまた第1線で活躍されていて、結構運命を感じます。
富士急8500系乗ったことがありますが、多分一目見るだけでは371系とはわからないほどに中も外も変身していました。(371系時代は一度も乗ったことがないので内装までは分かりませんが)
371系、小田急20000形ともに末永く元気でいてほしいですね。
ワタシダ
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老朽化はかなり進んでいたかと思われます。
ワタシダ
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