リニューアルの対象から外され、ホームドアの設置に伴い廃車が進められている小田急1000形のワイドドア車。
先頭車を中間車化する組み替えを行い、最終的には全編成が6両となっていましたが、登場時は4両の編成のほうが多く在籍していました。
なぜワイドドア車は4両が多く増備されたのでしょうか。
これらの編成は朝のラッシュ時に集中して充当され、10両全てがワイドドア車という運用もありました。
このように、登場時は試行錯誤をしながら、思いきった使い方をしていたワイドドア車ですが、1992年に登場した2次車は全てが4両の編成となりました。
ワイドドア車は4両が6編成、6両が2編成、合計で36両となり、4両の編成数が多い状況となりました。
小田急はラッシュ時に新宿寄りの車両が混雑しますが、これが2次車の増備に関係していたと考えられます。
小田急では新宿方に4両、小田原方に6両を配置し、10両を組むことが基本のパターンとなっています。
逆10両という例外もありましたが、積極的に走らせたかったものではないでしょう。
ワイドドア車で4両が多くなったのは、新宿方に集中して配置することで、混雑を少しでも緩和したいという意図があったと考えられます。
逆10両で6両を新宿方に配置することも当時は可能でしたが、当然例外を増やしたくはなかったでしょうし、4両であれば8両の新宿方に配置し、各停にも充当することが可能です。
4両のワイドドア車は、最終的に8両の新宿方が定位置となり、各停を中心に活躍することとなりました。
時期によってはワイドドア車だけで8両を組んだりもしましたが、新宿方に配置されるというのが基本的なパターンとして定着していました。
しかし、ワイドドア車が含まれた各停は座席数が少なくなるため、これは乗客の不評を買うこととなります。
登場から約7年後には、扉の開口幅を1.6mに縮小する改造が始まり、現在の状態となりました。
こうして8両や10両で新宿方に配置されるワイドドア車は消滅し、全編成が6両へと統一されました。
先頭車を中間車化する組み替えを行い、最終的には全編成が6両となっていましたが、登場時は4両の編成のほうが多く在籍していました。
なぜワイドドア車は4両が多く増備されたのでしょうか。
4両ばかりが増備された2次車
1000形のワイドドア車は、1次車として1991年に4両と6両が2編成ずつ登場しました。これらの編成は朝のラッシュ時に集中して充当され、10両全てがワイドドア車という運用もありました。
このように、登場時は試行錯誤をしながら、思いきった使い方をしていたワイドドア車ですが、1992年に登場した2次車は全てが4両の編成となりました。
ワイドドア車は4両が6編成、6両が2編成、合計で36両となり、4両の編成数が多い状況となりました。
ワイドドア車はなぜ4両が多く増備されたのか
2次車では4両ばかりが増備されたワイドドア車でしたが、なぜこのようなことになったのでしょうか。小田急はラッシュ時に新宿寄りの車両が混雑しますが、これが2次車の増備に関係していたと考えられます。
小田急では新宿方に4両、小田原方に6両を配置し、10両を組むことが基本のパターンとなっています。
逆10両という例外もありましたが、積極的に走らせたかったものではないでしょう。
ワイドドア車で4両が多くなったのは、新宿方に集中して配置することで、混雑を少しでも緩和したいという意図があったと考えられます。
逆10両で6両を新宿方に配置することも当時は可能でしたが、当然例外を増やしたくはなかったでしょうし、4両であれば8両の新宿方に配置し、各停にも充当することが可能です。
4両のワイドドア車は、最終的に8両の新宿方が定位置となり、各停を中心に活躍することとなりました。
時期によってはワイドドア車だけで8両を組んだりもしましたが、新宿方に配置されるというのが基本的なパターンとして定着していました。
しかし、ワイドドア車が含まれた各停は座席数が少なくなるため、これは乗客の不評を買うこととなります。
登場から約7年後には、扉の開口幅を1.6mに縮小する改造が始まり、現在の状態となりました。
おわりに
扉の改造から約6年後、ワイドドア車の4両は6両へと組み替える大改造を受けることとなります。こうして8両や10両で新宿方に配置されるワイドドア車は消滅し、全編成が6両へと統一されました。
コメント
コメント一覧 (17)
あまりの扉の幅広さに多くの乗客がまごまごしていてなかなかドアが閉められず、
乗り降りにかえって時間がかかっていました。閉まる速度もかなりゆっくりでしたね。
ワイドドアは更新しない方針が出た時は、再び4連化して登山線内専属で使えば良いのにと思っていましたが、
HSC車をまとめて淘汰する方向に変わった今は、延命の可能性は限りなくゼロですね。
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そして現在ではホームドアの関係で新宿口を追われ、多摩線や江ノ島線、小田原口の各停運用がメインとなりました。今後はそれらの線区がワイドドア車にとっての余生を過ごす地となりそうです。
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ワイドドア10両編成で運用されることが多かったと記憶しています。
1993年頃まで利用してましたので同様の運用が続いてたと思いますが
その後は別ルートの利用に変わった事もあり、状況はわかりません。
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優等運用に充てる
→座席が少なくなってクレーム
→4両2つつないで8両各停で使おう
→お上が定める基準を満たさず泣く泣く片方を普通の1000にして運用
という流れでした。
6両化については4両のままだと致命的な事が何かあったのですかね…?
(その後登山線4両化でわざわざ5200を3編成4両化しているのですが、当時はそんなの想定外だったのでしょう)
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ちなみに、モハ1901は、後のEXE30000形に搭載するシングルアームパンタの試験車両として、94年くらいに1両だけシングルアームを積載していた時期があったようで。
にしても、ワイドドア4両を6両に改造した理由は何だったんでしょうかね…。
未だによくわかりません。
ワタシダ
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