2006年度から廃車が開始され、2012年度のダイヤ改正をもって運用を終了した小田急5000形。
4両と6両を合わせて180両が製造された5000形は、廃車の開始から約6年で姿を消しました。
製造期間が約13年に及んだ5000形は、4両が15編成増備された後に、今度は6両が20編成増備されています。
しかし、廃車の順序は予想外の展開となったのです。
6両の一部の編成は、4両化をするといった経緯を辿りますが、まずは廃車順に各編成を並べてみましょう。
日付は編成単位での廃車日です。
5259F:2006年5月22日
5261F:2006年8月1日
5252F:2006年8月23日
5257F:2006年11月13日
5253F:2007年5月2日
5051F:2007年5月25日
5052F:2007年6月19日
5251F:2007年9月3日
5265F:2007年10月11日
5260F:2007年10月24日
5254F:2007年11月20日
5262F:2008年2月22日
5055F:2009年5月12日
5267F:2009年7月2日
5269F:2009年7月29日
5057F:2009年8月12日
5266F:2009年9月29日
5058F:2009年10月16日
5059F:2009年11月2日
5264F:2009年11月12日
5053F:2010年9月9日
5061F:2010年9月22日
5263F:2010年10月14日
5056F:2010年10月30日
5270F:2010年11月11日
5054F:2010年12月6日
5062F:2011年1月7日
5060F:2011年1月20日
5268F:2011年1月31日
5256F:2011年5月19日
5064F:2011年8月9日
5258F:2011年9月26日
5065F:2011年10月19日
5255F:2012年1月10日
5063F:2012年5月11日
既に色々と気になる部分があると思います。
当時を思い出すと、色々と衝撃的な展開でした。
9000形よりも先輩の5000形が残っていましたが、最初に廃車となったのは4両よりも新しい6両の5259Fで、ファンに衝撃を与えました。
5259Fが活躍した期間は約26年で、かなり早期に廃車となったことが分かります。
その後もしばらくは6両の廃車が続くこととなりますが、これは4000形が10両固定編成で登場することが既に決まっており、4両の廃車が進められなかったためでしょう。
4両の廃車が開始されたのは2007年で、4両と6両をセットで廃車にして10両固定編成化が進められました。
現在行われている置き換えと似たようなことが、過去にも行われていたことになります。
それまでと比較するとスローペースで進められた5000形の廃車でしたが、2010年度には最後まで残った6両の5268Fが廃車となり、2011年度は4両が6編成だけの状態でスタートします。
この6編成も順次営業運転から離脱し、年度末には5063Fだけが残る状態となり、ダイヤ改正をもって営業運転を離脱しました。
結果的には、先輩であった4両のほうが最後まで残ることとなったのです。
リニューアルから年数が経過していない編成も多く、かなりもったいないことをしていた印象が残っています。
4両と6両を合わせて180両が製造された5000形は、廃車の開始から約6年で姿を消しました。
製造期間が約13年に及んだ5000形は、4両が15編成増備された後に、今度は6両が20編成増備されています。
しかし、廃車の順序は予想外の展開となったのです。
5000形の編成ごとの廃車順序
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れ用だった9000形の廃車に続き、5000形の廃車が始まったのは2006年度のことでした。6両の一部の編成は、4両化をするといった経緯を辿りますが、まずは廃車順に各編成を並べてみましょう。
日付は編成単位での廃車日です。
5259F:2006年5月22日
5261F:2006年8月1日
5252F:2006年8月23日
5257F:2006年11月13日
5253F:2007年5月2日
5051F:2007年5月25日
5052F:2007年6月19日
5251F:2007年9月3日
5265F:2007年10月11日
5260F:2007年10月24日
5254F:2007年11月20日
5262F:2008年2月22日
5055F:2009年5月12日
5267F:2009年7月2日
5269F:2009年7月29日
5057F:2009年8月12日
5266F:2009年9月29日
5058F:2009年10月16日
5059F:2009年11月2日
5264F:2009年11月12日
5053F:2010年9月9日
5061F:2010年9月22日
5263F:2010年10月14日
5056F:2010年10月30日
5270F:2010年11月11日
5054F:2010年12月6日
5062F:2011年1月7日
5060F:2011年1月20日
5268F:2011年1月31日
5256F:2011年5月19日
5064F:2011年8月9日
5258F:2011年9月26日
5065F:2011年10月19日
5255F:2012年1月10日
5063F:2012年5月11日
既に色々と気になる部分があると思います。
当時を思い出すと、色々と衝撃的な展開でした。
6両から開始された5000形の廃車
2600形、4000形、9000形に続き、2006年度からは5000形の廃車が開始されました。9000形よりも先輩の5000形が残っていましたが、最初に廃車となったのは4両よりも新しい6両の5259Fで、ファンに衝撃を与えました。
5259Fが活躍した期間は約26年で、かなり早期に廃車となったことが分かります。
その後もしばらくは6両の廃車が続くこととなりますが、これは4000形が10両固定編成で登場することが既に決まっており、4両の廃車が進められなかったためでしょう。
4両の廃車が開始されたのは2007年で、4両と6両をセットで廃車にして10両固定編成化が進められました。
現在行われている置き換えと似たようなことが、過去にも行われていたことになります。
それまでと比較するとスローペースで進められた5000形の廃車でしたが、2010年度には最後まで残った6両の5268Fが廃車となり、2011年度は4両が6編成だけの状態でスタートします。
この6編成も順次営業運転から離脱し、年度末には5063Fだけが残る状態となり、ダイヤ改正をもって営業運転を離脱しました。
結果的には、先輩であった4両のほうが最後まで残ることとなったのです。
おわりに
まだまだ新しいと思っていた6両から始まった5000形の廃車。リニューアルから年数が経過していない編成も多く、かなりもったいないことをしていた印象が残っています。
コメント
コメント一覧 (5)
ワタシダ
がしました
湯本急行の使用車両が6連から4連に変更されたという背景も有る様で、それに伴ない5200形も6連から4連に短縮されたと雑誌『鉄道ファン』Web版に書かれていました。
以下、記事ページ
https://railf.jp/news/2008/03/11/121200.html
ワタシダ
がしました
2003年 下北沢付近の連続立体交差化事業の都市計画変更
2006年 5000/5200廃車開始
2012年 5000/5200廃車完了
2013年 下北沢の急行線の地下化
という時系列になり、下北沢の地下化による車両性能要件や運転計画の変更により廃車が早まったと思っています。
実際、5000/5200で発車直後の急勾配はしんどく、また工事中の狭いホームで発電制動の排熱も望ましくはないでしょう。
下北沢の構造変更はもっと前から議論はあったと思いますが、工務や法務と、運転車両部門の連携が悪く、5200の計画変更になったと思われます。2000形増備が中途半端になったのも複々線の完成時期変更が影響しており、まぁ同じ轍踏んじゃったってことでしょう
ワタシダ
がしました
一部とは言え、1000形も8000形より先に廃車になるとは思いもしませんでした。
新製時から知る車両でも、すでにかなりの車両が廃車になり、時代の流れを感じます。
ワタシダ
がしました
9000形もそうですが、特殊な機器類による重装備ぶりやったことに加えて一段下降窓を採用したことで雨水の侵入による腐食で早期廃車の憂き目に遭ったとも言われとります。
一方で、4両は二段窓でしかも末期は下段が固定されとったのでそうした問題はありませんでした。2600形も同様の改造が施工されとったのでもう少し長生きしとる姿を見たかったですね。
ワタシダ
がしました