他の車両から主電動機等を流用し、1966年に登場した小田急4000形。
小田急で最後の吊り掛け駆動車となりましたが、2400形の機器を流用して1985年から高性能車に改造され、他形式との併結も可能となりました。

高性能化によって運用上の制限がほとんどなくなった4000形でしたが、箱根登山線への乗り入れは最後まで禁止されており、5000形等とは運用が分けられていました。
しかし、ダイヤが乱れた際には、箱根湯本行きに充当されてしまうことが稀にありました。

4000形の箱根登山線乗り入れが禁止されていた理由

1982年に箱根登山線への大型車の乗り入れが開始された後も、2600形、4000形、5000形の4両は乗り入れが禁止されていました。
原因は側窓にあったといわれており、全開することができる二段窓に問題があったようです。

この問題を解決するためか、後に5000形は下段を固定し、上段を下降式とする改造を行い、2600形も途中までしか窓が開かないように改造され、箱根登山線への乗り入れが解禁されました。
4000形については側窓の改造が行われず、最後まで乗り入れが解禁されることはありませんでした。

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4000形の場合は、側窓の問題以外にも色々なことが噂されており、補助電源装置のSIVが誘導障害を起こすといったものや、発電制動が装備されていないこと等で乗り入れできないのではといわれていました。
実際のところは定かではありませんが、複合的な理由があったのかもしれません。

4000形が箱根登山線に乗り入れたことはあるのか

最後まで箱根登山線への乗り入れが禁止されていた4000形ですが、ダイヤが乱れると箱根湯本行きの列車に充当されることが度々ありました。
当然乗り入れることができないので、途中駅で車両交換が行われ、実際に入線することはありません。
6両では普段箱根湯本行きの表示を見ることができませんでしたが、こういった場合には途中駅までながらその表示を見ることができました。

しかし、4000形が箱根登山線に乗り入れたことがないのかというと、そういうわけでもないのです。
何らかの事情で車両交換が行われず、営業列車で入線してしまった事例があります。
実際に写真が残されており、頑張って検索するとWEB上でも見ることができます。

基本的には入線が禁止されているが、絶対に入ってはいけないというものではなかったのか、単純に手違いで入ってしまったのかは分かりませんが、このような珍事もあったのです。

おわりに

運用上の制限によって、晩年は各停を中心として使われた4000形の6両。
1000形のワイドドア車が支線を中心に活躍している姿と、どこか重なりますね。