小田急で最後に二段窓を採用した5000形。
4両の最終編成である5065Fまでが二段窓となっており、1978年に登場した6両の編成からは一段下降式に改められました。
最後まで二段窓を維持した5000形でしたが、改造によって登場時とは違う構造となっていました。
改造はどのように行われ、何を目的としていたのでしょうか。
この二段窓は、上段と下段の両方が上昇する構造となっており、全開とすることも可能でした。
これらの3形式に共通する点として、5000形の5058Fまで、登場時は非冷房であったことが挙げられます。
夏場は窓を開けて走ることが基本であり、全開で走る姿も日常のことでした。
その5000形の側窓に変化が生じたのは、4両で最後のリニューアルとなった5063Fが出場した際のことです。
見た目はほとんど変わらないものの、側窓は下段を固定、上段を下降式としたものに改められ、全開ができなくなっていました。
改造後の側窓はこのようになっており、上段が下げられるようになっていることが分かります。
見た目はほとんど変わりませんでしたが、下段が開かなくなるというのは大きな変化でした。
5063F以外の編成も、リニューアルとは別で順次この構造への改造が行われました。
参考までに、側窓が改造されていない2600形の保存車を見てみると、細部の構造が異なっていることが分かります。
全開できないようにする改造が行われた編成はあるものの、2600形と4000形は最後まで登場時の構造を維持していました。
冷房車が当たり前となってから、側窓を開ける機会はほとんどなくなっており、全開にする必要は全くありませんでした。
全開にできるということは、当然身を乗り出したりといったことができるため、それをさせないようにしたと考えられます。
下段を固定したのも、そういった理由を裏付けています。
もう一つの理由として挙げられるのが、箱根登山線に乗り入れるための対応です。
2600形の側窓が全開しないように改造されたのも、乗り入れるための対応でした。
元々は箱根登山線への入線が禁止されていた5000形の4両ですが、晩年は入線が解禁されて活躍する姿が見られることとなります。
これは側窓の改造によって入線が可能となったためで、将来的なことを考えての改造だったのかもしれませんね。
その後もしばらくは、東京メトロの6000系に二段窓の編成がありましたが、現在はそれも見ることができなくなってしまいました。
4両の最終編成である5065Fまでが二段窓となっており、1978年に登場した6両の編成からは一段下降式に改められました。
最後まで二段窓を維持した5000形でしたが、改造によって登場時とは違う構造となっていました。
改造はどのように行われ、何を目的としていたのでしょうか。
5000形にのみ行われた側窓の改造
20m級の大型車では、2600形、4000形、5000形の4両で二段窓が採用されました。この二段窓は、上段と下段の両方が上昇する構造となっており、全開とすることも可能でした。
これらの3形式に共通する点として、5000形の5058Fまで、登場時は非冷房であったことが挙げられます。
夏場は窓を開けて走ることが基本であり、全開で走る姿も日常のことでした。
その5000形の側窓に変化が生じたのは、4両で最後のリニューアルとなった5063Fが出場した際のことです。
見た目はほとんど変わらないものの、側窓は下段を固定、上段を下降式としたものに改められ、全開ができなくなっていました。
改造後の側窓はこのようになっており、上段が下げられるようになっていることが分かります。
見た目はほとんど変わりませんでしたが、下段が開かなくなるというのは大きな変化でした。
5063F以外の編成も、リニューアルとは別で順次この構造への改造が行われました。
参考までに、側窓が改造されていない2600形の保存車を見てみると、細部の構造が異なっていることが分かります。
全開できないようにする改造が行われた編成はあるものの、2600形と4000形は最後まで登場時の構造を維持していました。
なぜ5000形の側窓は改造されたのか
5000形の側窓が改造された理由は公式に発表されていませんが、保安度の向上を目的としたものと考えられます。冷房車が当たり前となってから、側窓を開ける機会はほとんどなくなっており、全開にする必要は全くありませんでした。
全開にできるということは、当然身を乗り出したりといったことができるため、それをさせないようにしたと考えられます。
下段を固定したのも、そういった理由を裏付けています。
もう一つの理由として挙げられるのが、箱根登山線に乗り入れるための対応です。
2600形の側窓が全開しないように改造されたのも、乗り入れるための対応でした。
元々は箱根登山線への入線が禁止されていた5000形の4両ですが、晩年は入線が解禁されて活躍する姿が見られることとなります。
これは側窓の改造によって入線が可能となったためで、将来的なことを考えての改造だったのかもしれませんね。
おわりに
5000形は2012年に営業運転を終了し、小田急から二段窓の車両は消滅しました。その後もしばらくは、東京メトロの6000系に二段窓の編成がありましたが、現在はそれも見ることができなくなってしまいました。
コメント
コメント一覧 (20)
元々日比谷線直通仕様で現窓の開口幅が小さい同形式でしたが、次形式の7200系から一段下降窓になったので側窓は上段のみ開けば十分というあたりは小田急5000/5200形と似たような関係性を感じます。
7200系が一段下降窓になった際に変更理由として『時代の経過で髪形を気にするようになり、下段窓が開口していると着席客の髪がすごいことになり不評であった』という記述がされていた書籍もあり、手などを車外に出してしまうケースだけではなく、他にも色々な事情があったように読み取れますね。
ワタシダ
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貫通路が広幅な分、窓の幅は狭く開けやすかったですね。
ワタシダ
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JR各社では地方で活躍する国鉄型に残るのみとなり、三大都市圏では奈良地区で運用されとる103系や福知山地区の近郊型などまでに活躍の場が狭められました。
大手私鉄各社で見ると、既に小田急や京王、京急、東急、相鉄、東京メトロ、近鉄、阪急からは二段窓は消滅済みです。京成は3500形、西武は2000系初期型及び新101系、東武は8000系、南海は6000系、阪神は青胴車の一部に二段窓が残っとりますがこれらも将来的には姿を消すでしょう。名鉄、京阪、西鉄はまだまとまった両数が活躍しとるので姿を消すのはまだまだ先の話になりそうです。
これらに対し、地方私鉄では中古車両からの譲渡車両が多く見られますが、こちらでは現在でも多数二段窓を持つ車両が活躍する姿を見ることができます。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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高校生の時は常磐線で通学していたので、同級生と401、403、415系のボックス席に陣取り、よく窓を全開にしてました。今考えるとたくさんの方々に迷惑をかけていたんだなと……反省
ワタシダ
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