両数が違う場合に、同一形式であっても番台を分けている小田急の車両。
見方を変えれば、車番から簡単に編成の両数が分かるともいえます。

このような方式は、編成が長くなってから確立されたものですが、現在までにいくつかの例外がありました。
今回はその例外をご紹介します。

4000形で発生した例外

高性能化前は3両と5両の編成があった4000形ですが、両数によって番台は分かれていませんでした。
4001Fから4013Fまでが5両、4014Fから4022Fまでが3両で、完全に続番となっていたのです。

そもそも、4000形は全編成が登場時は3両でした。
連続して発生した脱線事故によって、1800形との併結が急遽中止になったことで、一部の編成が5両化されるという経緯を辿っています。

5両化は1974年から行われましたが、1972年に9000形が登場していますから、編成の両数によって番台を分ける法則は始まっていました。
4000形が番台を分けなかった理由は分かりませんが、まだ番台を分けることが始まったばかりであり、単純に改番を避けたのかもしれません。

本来であれば、3両が4000番台、5両が4200番台とされれば、法則どおりだったといえます。
1985年から始まった高性能化時に、4000形は4両と6両に再編されますが、この時に4000番台と4200番台に整理され、法則どおりの番号となりました。

5000形で発生した例外

4両を5000番台、6両を5200番台とした5000形でしたが、晩年になって例外が発生しました。
元々は4両が15編成、6両が20編成で綺麗に揃っていましたが、3編成が6両から4両に短縮されたことで、この例外が発生したのです。

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4両化は5255F、5256F、5258Fに対して行われましたが、改番は行われませんでした。
つまり、4両なのに5200番台というかなり分かりにくい編成が誕生してしまったのです。

本来であれば、5066Fから5068Fや、5071Fから5073F等に改番されそうなものですが、長く使うつもりがなかったのか番号はそのままとされました。
これらの3編成は2011年度まで残ることとなり、6両として登場した編成の中では最も最後まで活躍することとなりました。

おわりに

2600形も6両と8両で番台が分かれていませんでしたが、元々は全編成が8両化される予定だったといわれていることから、今回はご紹介を省略しました。
大所帯であることから、今後は3000形で例外が発生する可能性があるかもしれませんね。