複々線化に伴って地下化され、昔の面影は消えてしまった小田急の下北沢駅。
元々はホームの配置が独特で、まるで迷路のような特徴的な駅でした。
大きく変わってしまった下北沢の思い出を、今回は振り返ってみたいと思います。
それはグリーンマックス・ザ・ストアの下北沢店があったためで、キットを買い求めに通ったものでした。
残念ながらお店は2019年に閉店してしまいましたが、昭和の親父の雰囲気を残す店主の方と交わした会話が懐かしく思い出されます。
完全に余談ですが、私は良い思い出が多く残っており、親切にしていただいたことが多かったです。
そんなこともあって訪れる機会が多かった下北沢ですが、写真を撮るようになると、撮影のために下車することも多くなりました。
新宿方、小田原方のどちらも撮影が可能で、小田急では珍しい島式ホームの構図で撮ることが可能でした。
有名なのは新宿方で、順光で撮れる良い場所でしたが、ホームのすぐそばに踏切があり、遮断機が上がるのを多くの人が待っていました。
つまり、大勢の視線を集めながら撮影する場所でもあり、そういった意味では覚悟が試される場所でもありました。
複々線化工事が進展すると、線路が仮線へと移されてしまったこともあり、このような撮影はできなくなってしまい、模型店のために訪れる駅へと戻っていきます。
このような変な構造になったのは、現在の京王井の頭線の開業や、その後混雑が激しくなったことに起因しています。
変な構造になってしまった下北沢ですが、ホームを伸ばしていったことや、井の頭線との乗り換えのために通路を増設していったことで、徐々に迷路のような駅となっていきました。
下りホームはそこまででもありませんでしたが、上りホームは外側に井の頭線へと繋がる通路がある等かなりごちゃごちゃしており、薄暗い駅構内が印象的でした。
井の頭線との通路には改札がなく、乗り換えの距離自体が今より近かったものの、狭い通路は電車が到着すると常に混んでいるような状況でした。
通路でなかなか進むことができず、乗りたい電車を逃すといったようなこともありました。
駅の外も比較的ごちゃごちゃしており、周囲を歩いていると色々な発見があったことを思い出します。
電車が見える空間もありましたから、散策しながら通過する電車を眺めるのも楽しい場所でした。
改札や乗り換えのための通路は新宿方に集中しており、小田原方は細いホームが長く伸びているのも特徴的でした。
ホームの小田原方まで進むと、昼間はあまり人がいなかったため、新宿方と小田原方でかなり雰囲気が違う駅だったことも印象に残っています。
皆さまにとっての下北沢の思い出は、どのようなものでしょうか。
元々はホームの配置が独特で、まるで迷路のような特徴的な駅でした。
大きく変わってしまった下北沢の思い出を、今回は振り返ってみたいと思います。
撮影や模型店の訪問で訪れる機会が多かった下北沢
神奈川県民である私でしたが、幼少期から下北沢を訪れる機会が度々ありました。それはグリーンマックス・ザ・ストアの下北沢店があったためで、キットを買い求めに通ったものでした。
残念ながらお店は2019年に閉店してしまいましたが、昭和の親父の雰囲気を残す店主の方と交わした会話が懐かしく思い出されます。
完全に余談ですが、私は良い思い出が多く残っており、親切にしていただいたことが多かったです。
そんなこともあって訪れる機会が多かった下北沢ですが、写真を撮るようになると、撮影のために下車することも多くなりました。
新宿方、小田原方のどちらも撮影が可能で、小田急では珍しい島式ホームの構図で撮ることが可能でした。
有名なのは新宿方で、順光で撮れる良い場所でしたが、ホームのすぐそばに踏切があり、遮断機が上がるのを多くの人が待っていました。
つまり、大勢の視線を集めながら撮影する場所でもあり、そういった意味では覚悟が試される場所でもありました。
複々線化工事が進展すると、線路が仮線へと移されてしまったこともあり、このような撮影はできなくなってしまい、模型店のために訪れる駅へと戻っていきます。
迷路のような駅だった下北沢
地上にあった頃の下北沢は、下り線が島式ホーム、上り線は外側にあるホームを使用するという、変わった構造の駅でした。このような変な構造になったのは、現在の京王井の頭線の開業や、その後混雑が激しくなったことに起因しています。
変な構造になってしまった下北沢ですが、ホームを伸ばしていったことや、井の頭線との乗り換えのために通路を増設していったことで、徐々に迷路のような駅となっていきました。
下りホームはそこまででもありませんでしたが、上りホームは外側に井の頭線へと繋がる通路がある等かなりごちゃごちゃしており、薄暗い駅構内が印象的でした。
井の頭線との通路には改札がなく、乗り換えの距離自体が今より近かったものの、狭い通路は電車が到着すると常に混んでいるような状況でした。
通路でなかなか進むことができず、乗りたい電車を逃すといったようなこともありました。
駅の外も比較的ごちゃごちゃしており、周囲を歩いていると色々な発見があったことを思い出します。
電車が見える空間もありましたから、散策しながら通過する電車を眺めるのも楽しい場所でした。
改札や乗り換えのための通路は新宿方に集中しており、小田原方は細いホームが長く伸びているのも特徴的でした。
ホームの小田原方まで進むと、昼間はあまり人がいなかったため、新宿方と小田原方でかなり雰囲気が違う駅だったことも印象に残っています。
おわりに
地下化によって全く別の駅のようになってしまった下北沢。皆さまにとっての下北沢の思い出は、どのようなものでしょうか。
コメント
コメント一覧 (11)
ワタシダ
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乗るのは便利だった。狭くてごちゃごちゃしてたけど。
駅は立派になったけど、今は、乗り換えに時間がかかってため息をついてます。
ワタシダ
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世田谷区民なら下北沢下車なら新宿寄り、井の頭線乗り換えなら小田原寄りが便利と知っていて、移動する必要があってもホーム上で行う人が多かったと思います。
新宿寄りの橋上駅舎内の改札と井の頭線を結ぶ連絡通路は上りホームの脇、中二階にありました。井の頭線への乗り換えに使う階段もこの連絡通路に繋がっていたと思います。井の頭線から小田急の改札を通り北口南口へ出るのは確かに迷路のようでした。
小田急としては利用者に早く狭いホームから離れて欲しかったのでしょう。階段の標識に「出口」と書かれていて、遠方から到着した事情を知らない利用者はこの表示に従い、迂遠な経路を歩かされる経験をしたのかなと思います。
ワタシダ
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また、古い話。代々木上原の千代田線乗り入れ開始前、朝方ラッシュは、代々木八幡→代々木公園経由での千代田線乗り換え。
よって、新宿行き急行からの千代田線乗り換えの多くの客が、下北沢駅で後続の各駅停車を待っていたのが、今となっては貴重な光景だったのかも知れません。相当昔の話ですが。
ワタシダ
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地下化されて初めて利用した際ホームが深いので驚きました。同様に感じた利用者が多かったと思います。
ワタシダ
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頭上を渡っていく井の頭線3000系のパァーンっていう警笛
微妙に歩幅に合わない井の頭線から小田急下りホームへの階段
どこにこんなスペースあったんだって感じで強引に作られたラッチ内外どっちからも入れた箱根そば
上りホーム新宿方の中二階のような連絡通路
戦中の国鉄車迂回のため限界拡大で削った痕のある橋脚
などなど、とにかく複雑、手狭、大混雑、バリアだらけ、危険箇所だらけでどうしようもない駅でしたが、今思えば懐かしい。
中二階通路から入線してくる上り電車を見下ろす感じが好きだったなぁ。。。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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工事のせいか、月毎かそのくらいのペースで通路切り替えがありました。改札からホームに行くのにいつも迷子になってました。
ワタシダ
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ここで余談ですが、井の頭線を吉祥寺から田無まで延伸して西武新宿線と直通運転できたらええなと思うのですが如何でしょうか?(吉祥寺を東急東横線渋谷・横浜みたく地下化すれば実現しそうですが…(笑))武蔵野市の鉄道アクセス向上が期待できるとともにや所沢・川越方面から副都心線経由との新たなライバル関係ができそうです(笑)
ワタシダ
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駅周辺も雑多な感じがよかったのですが、お目当てのお店を見つけるのに苦労しました。
車で通る事もありましたが、踏切が閉まると開くまでが長かったです。
ワタシダ
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