平成の小田急は、複々線化に翻弄され続けた時代だったといえるかもしれません。
1989年に複々線化の工事に着工し、代々木上原から登戸までの区間が完成したのは2018年のことでした。

工事がなかなか進まない中、小田急は車両計画の面でも必死に激化するラッシュへの対策を行いますが、その多くは思惑どおりには進みませんでした。

想定した結果が得られなかったワイドドア車

年々激化するラッシュ時の混雑を抜本的に解決するには、複々線化を早期に完成させる以外の方法がなくなりつつある中、小田急はラッシュ時の切り札となる車両を登場させます。
それが側扉の幅を2mに広げた1000形のワイドドア車です。

この時期は他社でもこのような車両が登場しており、営団地下鉄(現在の東京メトロ)が05系でワイドドア車を、JR東日本や京王は多扉車を導入しています。
小田急の場合は定着した整列乗車を乱したくないという理由から、ワイドドア車を導入することとなりました。

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多くの期待を背負って登場したワイドドア車でしたが、結果はあまり良い結果を生みませんでした。
座席が減少したことによる苦情の多発、そして何よりも自慢のドアが乗降時間の短縮にあまり効果を発揮しなかったのです。

その後、ドアの幅を1.6mに縮小する改造が行われ、2000形や3000形もこの幅で登場することとなりますが、標準化が進められる時代においてこの方向性も断念され、一般的な1.3mのドア幅へと戻っていきました。
できることをしていこうという取り組みでしたが、残念な結果となってしまいました。

想定どおりに進まなかった車両計画

複々線化が進まなかったことは、小田急の車両計画にも大きな影響を与えることとなりました。
それが2000形の増備と、2600形の8両固定編成への組み替えです。

多額の投資が行われた複々線化でしたが、弊害として車両への投資額は控え目となっていました。
そこで、できる限り古い車両を活用しつつ、複々線化によって必要となる車両を確保するために行われたのが、2000形の増備と2600形の組み替えだったのです。

2000形は将来的に千代田線へと乗り入れることを想定し、10両化も考慮されていました。
既に最古参となっていた2600形は、余剰となる車両を廃車としつつも、一部車両を電装することで、最大限の有効活用を図ることとなりました。



古い車両を最大限延命して有効活用しつつ、足りない分の車両を増備する、小田急はそう考えていたのでしょう。
しかし、この計画は途中で頓挫してしまいます。

複々線化工事の遅れによって、短期的に必要な車両がそこまで増えなかったことや、2600形の老朽化が進んでいたことがその理由のようでした。
2600形の改造は中途半端なところで終了となり、2000形も少数派の形式となったばかりか、最終的には2000形で2600形の一部を置き換えるという皮肉な結末となってしまいました。

そして、想定どおりにならなかったのは3000形も同様でした。
複々線化によって混雑が緩和することを想定し、3000形では垂直車体が採用されましたが、実際には快速急行に乗客が集中してしまうといった問題が発生してしまいます。
この方針転換も裏目に出てしまい、5000形で拡幅車体を復活させることとなったのは、記憶に新しいところでしょう。

おわりに

平成の小田急は複々線化に翻弄され続け、なかなか車両計画が上手く進みませんでした。
現在増備されている5000形が、将来的に大成功だったとなることを、心より願っています。