10両編成が当たり前となり、中間に先頭車が入らない編成も増えてきた小田急の車両。
昔は2両や4両を多数繋いだ編成も多く、中間に先頭車が入っていることが基本でした。

長編成化が進められる過程で、2両の編成は半固定編成化されて4両や6両で使われることが基本となっていきますが、中間に入る先頭車にだけ原形に近い前面デザインが残っている車両がありました。

1800形に残っていた原形に近い前面デザインの車両

国鉄の63系や廃車となった20m車をルーツに持ち、最終的には2両が11編成となっていた1800形でしたが、晩年は2両を2編成繋いだ4両で半固定編成化されていました。
晩年の編成表は以下のとおりです。

1801-1851+1802-1852
1803-1853+1804-1854
1805-1855+1806-1856
1807-1857+1808-1858
1809-1859+1810-1860
1811-1861

5本の4両編成が組まれ、1811Fだけが2両で余っており、予備車の扱いとなっていました。
検査等で運用から外れる編成がある場合には、1811Fが外れた編成の代わりに使われます。

4両となる際、編成の両端となる先頭車については貫通扉が交換され、窓が大きくなって印象が変わったほか、行先表示器が埋め込まれて自動化されていました。
1811Fのみ、どちらの先頭車も貫通扉が交換されており、予備車ならではの形態となっています。

原則として先頭に立つことがない10両の先頭車については、貫通扉の交換が行われておらず、小さな窓と出っ張った行先表示器の前面デザインを最後まで見ることができました。
秩父鉄道に譲渡された後もこの違いは残っており、2種類の前面デザインが混在する車両となっていました。

2100形に残っていた前照灯が1灯のままの前面デザイン

高性能車で登場する2200形への繋ぎとして、吊り掛け駆動の足回りに近代的な車体を組み合わせて登場したのが2100形です。
見た目は2200系列に近いものの、車両としての性能は1900形等と同様であり、8両だけが増備された試作要素の強い形式です。

晩年は2両を2編成繋いだ4両で半固定編成化され、以下のような編成となっていました。

2101-2151+2102-2152
2103-2153+2104-2154

新塗装化や前照灯の2灯化も行われましたが、中間に入る4両は前照灯が1灯のままで、先頭に立つことはないものの、新塗装で前照灯が1灯という状態はかなり珍しいものでした。
登場から21年後の1975年に廃車となっており、新塗装は短期間だけの貴重な姿となりました。

おわりに

長編成化が進められる過程で、中間に封じ込められていった多数の先頭車たち。
8000形の先頭車にも、似たような状態が発生していますね。