前面展望席や連接構造のイメージが強い小田急ロマンスカー。
近年はそういった特徴が少なくなりつつありますが、前面展望席等の一部は現在も受け継がれています。

ミュージックホーンとして使われるようになった、補助警報もその一つです。
現在は出発時や到着時に鳴らすものとなっていますが、かつては走行中にずっと鳴らすものでした。

3000形から搭載されるようになった補助警報装置

小田急ロマンスカーの特徴の一つともなっている補助警報は、1957年に登場した3000形で初めて採用されました。
高速で走行することを前提としていたことから、補助警報を鳴らしながら走行することで、列車の接近を早めに知らせることが目的でした。

補助警報装置が搭載された詳しい理由については、以前まとめたこちらの記事をご覧下さい。



昔の小田急沿線は、現在のように宅地化されていない地域も多く、遮断機がない踏切も多く存在していました。
音を鳴らしながら走ることにデメリットはあまりなく、都心部からあのメロディーを奏でながら走っていたのです。

しかし、沿線の宅地化が進行すると、当然のことながら騒音として問題視されるようになります。
沿線に親しまれていたメロディーでしたが、徐々にその存在はネガティブに捉えられるようになっていくのです。

補助警報はいつ頃まで走行中に鳴らされていたのか

現在は走行中に鳴らし続けるということがなくなりましたが、そもそもいつ頃まで鳴らされていたのでしょうか。
都心部は比較的早い時期に鳴らされなくなったようですが、それ以外の場所では継続して鳴らされていたようです。

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残念ながら、私はその時代を記憶している世代ではありません。
色々と調べていくと、どうやら1980年の中頃までは鳴らして走行をしていたという結論に達しました。
最後まで鳴らされていたのは、多摩川を渡った先から小田原までの区間と考えられますが、同時期の江ノ島線がどうだったのかについては分かっていません。

その後も状況によって鳴らす機会はあったようですが、この時期に取り扱いの何らかの変更があったと考えられます。
ある日を境に常時鳴らすことをやめたのか、徐々に鳴らさなくなったのかまでは分かりませんでした。
こういったものは人の記憶だけが頼りだったりもしますので、引き続き調べていきたいと思います。

おわりに

走行中に鳴らし続けていたことが信じられないぐらい、多くが宅地化された小田急沿線。
踏切の安全対策が進み、線路脇にも柵があることが当たり前となったことで、補助警報としての本来の役目は終わったといえるのでしょうね。