小田急小田原線の新松田駅を出発すると、間に引き上げ線を挟んで上下線の間隔が開き始め、そのまま酒匂川橋梁へと繋がっています。
酒匂川橋梁は単線の橋が2本並んだ状態となっていることが特徴で、ここでも上下線は少し離れている状態が続きます。
なぜ酒匂川橋梁は2本に分かれているのでしょうか。
小刻みな延伸を繰り返すのではなく、同日に全ての区間が開業しているのです。
2年後の1929年4月1日には江ノ島線も全線が開業しており、この時点で多摩線を除いた路線ができあがっていたことになります。
開業当時は運転本数が少なく、沿線の人口もかなり少ない路線でしたが、小田急は全線を複線として、小田原線と江ノ島線を立体交差とすることで、将来的な発展を見込んだ投資をしていました。
さて、全線を複線とした小田急ですが、開業から約半年の期間だけは、稲田登戸(現在の向ヶ丘遊園)から小田原までの区間が単線でした。
小田急の歴史上で、単線だった期間はとても短いものでした。
単線の橋が2本並んでいる理由は、開業時が単線だったからなのでしょうか。
2本の橋はそこそこ離れており、完全に独立した状態となっています。
ここが個人的には気になっており、開業から約半年で複線化していることからも分かるとおり、最初から全線を早期に複線とすることは決まっていたと考えられます。
酒匂川橋梁は単線の橋が2本並んだ状態となっていることが特徴で、ここでも上下線は少し離れている状態が続きます。
なぜ酒匂川橋梁は2本に分かれているのでしょうか。
開業時には短期間だけ単線区間があった小田原線
1927年4月1日に、小田急は新宿から小田原までの全線を一気に開業しました。小刻みな延伸を繰り返すのではなく、同日に全ての区間が開業しているのです。
2年後の1929年4月1日には江ノ島線も全線が開業しており、この時点で多摩線を除いた路線ができあがっていたことになります。
開業当時は運転本数が少なく、沿線の人口もかなり少ない路線でしたが、小田急は全線を複線として、小田原線と江ノ島線を立体交差とすることで、将来的な発展を見込んだ投資をしていました。
さて、全線を複線とした小田急ですが、開業から約半年の期間だけは、稲田登戸(現在の向ヶ丘遊園)から小田原までの区間が単線でした。
小田急の歴史上で、単線だった期間はとても短いものでした。
酒匂川橋梁はなぜ単線の橋が2本並んでいるのか
記事のテーマである酒匂川橋梁に話を戻しましょう。単線の橋が2本並んでいる理由は、開業時が単線だったからなのでしょうか。
2本の橋はそこそこ離れており、完全に独立した状態となっています。
ここが個人的には気になっており、開業から約半年で複線化していることからも分かるとおり、最初から全線を早期に複線とすることは決まっていたと考えられます。
そのような状況で、なぜ橋を別々にしたのでしょうか。
さらに興味深いことがあり、開業時は単線だった区間にある他の橋梁は、複線用の橋となっているのです。
なぜ酒匂川橋梁がこのような構造になったのかを考えてみましたが、結局のところはよく分かりませんでした。
開業時は今のように長編成ではないですから、引き上げ線を設置するためではないでしょう。
しばらくは単線で営業するつもりだったとしたら、あっという間に複線化したことの説明ができません。
建設費の問題であれば、他の橋梁も同様としそうです。
何か分かった際には、改めて記事にしたいと思います。
使われ始めてから100年となる日も近付きつつありますね。
さらに興味深いことがあり、開業時は単線だった区間にある他の橋梁は、複線用の橋となっているのです。
なぜ酒匂川橋梁がこのような構造になったのかを考えてみましたが、結局のところはよく分かりませんでした。
開業時は今のように長編成ではないですから、引き上げ線を設置するためではないでしょう。
しばらくは単線で営業するつもりだったとしたら、あっという間に複線化したことの説明ができません。
建設費の問題であれば、他の橋梁も同様としそうです。
何か分かった際には、改めて記事にしたいと思います。
おわりに
どこか不思議な2本の橋。使われ始めてから100年となる日も近付きつつありますね。
コメント
コメント一覧 (7)
この先にある相模川橋梁は2代目の橋です。開業当時の相模川橋梁がどのような構造だったのかは分かりませんが、厚木駅の下り線側には旧線の橋台が残って(残念ながら最近小田原側の橋台が撤去)ます。ただあの幅的には単線な気もしますし、恐らくは相模川橋梁も単線だったのではないでしょうか?もし当時の相模川橋梁が単線だったとしたら、現在こっちだけが単線の橋梁2本なのも納得がいきます。
ワタシダ
がしました
現地で見ると予定変更ではなく当初から単×2で計画され、橋脚は同時期で作られたように見受けられます。
個人的にはトラス橋であることがポイントのように思います。一般的な橋梁と異なりトラス橋の場合、複線トラスにするよりも、単×2にすることで単線当たりの強度が単純に倍になる算段になります。(2本の梁で支えるか、4本の梁で支えるかの違いになります)
暴れ川であること、また他の方も書かれているように断層跨ぎもひょっとしたら考慮されているのかもしれません。
小田急では河川橋梁だと厚木にもトラス橋がありますが開通当初は橋脚の多い一般的な橋梁でした。昭和中期の架け替えなので技術的にも進化し厚木では複線トラスにしたのでは、と勝手に考えています。
藤沢にもトラス橋があって複線トラスですが、これは河川ではないので環境が違いますよね。
全部推測ですいません
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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というか社史に書いてありませんかね
ワタシダ
がしました
ちなみに南海本線の紀ノ川橋梁も今回の投稿で紹介されとる酒匂川橋梁と同じく単線の橋梁を並列した構造が特徴ですが、こちらは開業当初は単線で現在の上り線部分の橋梁を使用しとりました。その後の複線化で現在の下り線部分の橋梁が架けられ、現在の形になりました。
あとは新松田の小田原方に引き上げ線があり、その引き上げ線の位置が関係しとるのではと思われます。川を渡る直前に車止めがあるので、その部分との合流地点がカーブにならへんように敢えて直線的でに単線の橋梁を並列したとも言われとります。
ワタシダ
がしました
こうなった経緯が書かれた文書が早く見つかってほしいです。
ワタシダ
がしました