1982年から1987年にかけて、合計160両が製造された小田急8000形。
6両の一部の編成に廃車が発生していますが、登場から35年以上が経過した現在もほとんどの編成が現役で活躍しています。

8000形が長生きをすることとなった理由は色々とありますが、大前提には8000形が優等生であったことが寄与しています。

8000形はどのような点で優等生といえるのか

各停から急行まで、東京メトロ千代田線に乗り入れる運用以外の全てに充当が可能な8000形は、とてもバランスが良い性能を持つ車両です。
箱根登山線への乗り入れも可能であり、運用上の制限がありませんでした。

8000形よりも前に登場した車両は、各停用の2600形、急行用の5000形等、ある程度用途を定めていました。
しかし、実際にはそれ以外の運用に充当される機会も多く、年月の経過によって使い方が本来の想定とは全く違うものとなった形式も多かったのです。

性能が合わない使われ方や運用上の制限、組み替え等の大改造が行われた車両が多い中、8000形は現在に至るまでそのようなことがほとんどありません。
足回りこそ一新されてはいますが、優等生だからこそ行われたともいえるでしょう。

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8000形が優等生となった理由には、4両と6両が同じ編成数であり、その点でも扱いやすかったということが挙げられます。
10両が当たり前となった時代においては、この点がとてもプラスに作用しました。
6両の2編成のみが界磁チョッパ制御のままとなったことは、8000形の中では数少ない失敗だったのかもしれません。

他形式では当たり前だった大改造や組み替え

足回りの一新を含むリニューアル以外に、8000形では大きな改造や組み替えが行われていません。
これが小田急では比較的珍しい事例となっており、他形式がどうだったのかを確認してみましょう。

中型車の2200系列は、性能こそ申し分なかったものの、全電動車方式という問題があり、最終的に全編成が2両化されるものの、結局複数の編成を繋いで運用するという結果になりました。
2400形は箱根登山線への乗り入れに重宝されますが、先頭車と中間車で車両の長さが違うという特殊性や、中型車であること自体が災いし、4000形に主電動機を譲って廃車となりました。

大型車になっても小田急の車両は安定せず、本来各停用であった2600形は急行でも使われるようになり、併結運用まで行われることとなりました。
機器流用車であった4000形は、高性能化と大規模な組み替えを行っています。

地下鉄への乗り入れ用車両についても安定せず、9000形は結果的に乗り入れを行っていない時期のほうが多く、性能の特殊性が災いしました。
1000形もワイドドア車という異端車の存在や、編成のバリエーションが多すぎること等が災いし、早期に廃車となっている状況です。

8000形に今後何らかの動きがある可能性はありますが、他に比較的安定していたのは5000形ぐらいだったことになります。
しかし、5000形も急行用として登場しながら各停で使われたり、6両が早期に廃車となっていたりしますから、8000形の安定感には及ばなかったといえるでしょう。

おわりに

まだしばらくは活躍する姿が見られそうな8000形。
最後までこの安定感が維持できるのか、今から気になるところです。