最近は10両で走る列車が増加し、年々長編成化が進んできた小田急の各駅停車。
1988年には8両化、2019年に10両化というように、小田原線の新宿から発着する各駅停車も長くなってきました。
各停の8両化は輸送力の増強を目的としたものでしたが、それと同時に小田急は車両の高加速化も狙っていたと考えられます。
今回は、小田急が考えていたであろうことを読み解いてみたいと思います。
ダイヤ改正に合わせて登場した1000形は、4両を2編成繋いだ8両で各停に投入され、長編成化が開始されていくこととなりました。
昭和の終わり頃の各停は6両が当たり前の時代で、江ノ島線や多摩線では4両の列車も多く走っていました。
各停の主役といえば2600形であり、現在とは全く違う状況だったのです。
1000形で始まった8両の各停ですが、8000形や9000形も8両での運転を開始し、徐々にバリエーションが増加していきました。
9000形は全ての車両が電動車という強力な編成で、力強い走りを見せていたのです。
8両の各停は、どの形式も4両を2編成繋いで実現していましたが、中間に先頭車が入ってしまうことで客室スペースが減少してしまうという問題がありました。
そこで、中間に先頭車を挟まない8両固定編成を導入し、客室スペースを増やすこととなりました。
最後まで1編成だけの存在となってしまい、早期に廃車されてしまったことは残念でしたが、長編成化へのきっかけとなった象徴的な編成だったのです。
そして、同時期に登場した8両固定編成が、2600形を組み替えて8両化した編成でした。
6両の2編成を組み合わせることで8両化し、余った車両を電装することで有効活用していく計画でした。
1000形と2600形から少し遅れて登場したのが、現在も各駅停車の主力として活躍する2000形です。
最初から8両固定編成で登場した最初の形式であり、他形式との併結を考慮しない設計が特徴となっています。
4両を2編成繋いだ編成と、8両固定編成で各停の8両化が進められますが、小田急にはもう一つの狙いがありました。
それが各停で使用する車両の高加速化だったのです。
各停に8両で使用する編成は、6M2Tか足回りを2000形と共通化して強力な編成となった2600形、編成全てが電動車の9000形、元々性能上は高加速の1000形と2000形でした。
8000形も走りましたが、加速度が若干劣るため、最低限の本数でした。
小田急が考えていた計画は定かではないものの、古い車両は電動車の比率を高めることで高加速化し、1000形や2000形と合わせることで、都心部の各停のランカーブを変更しようとしていたと考えられます。
2600形、9000形、1000形、2000形の8両に統一することが最終目標だったのでしょう。
しかし、複々線化工事の遅れ等が影響したことで2600形の8両化は中止となり、近年まで6両の各停も残ることとなってしまいました。
なかなか理想どおりには進まない、苦しい時代が小田急にはあったのです。
3000形や4000形の登場によって車両が近代化され、念願だった状態には到達できたようです。
1988年には8両化、2019年に10両化というように、小田原線の新宿から発着する各駅停車も長くなってきました。
各停の8両化は輸送力の増強を目的としたものでしたが、それと同時に小田急は車両の高加速化も狙っていたと考えられます。
今回は、小田急が考えていたであろうことを読み解いてみたいと思います。
1988年から始まった各停の8両化
小田急に8両の各停が登場したのは、1988年3月22日のダイヤ改正からでした。ダイヤ改正に合わせて登場した1000形は、4両を2編成繋いだ8両で各停に投入され、長編成化が開始されていくこととなりました。
昭和の終わり頃の各停は6両が当たり前の時代で、江ノ島線や多摩線では4両の列車も多く走っていました。
各停の主役といえば2600形であり、現在とは全く違う状況だったのです。
1000形で始まった8両の各停ですが、8000形や9000形も8両での運転を開始し、徐々にバリエーションが増加していきました。
9000形は全ての車両が電動車という強力な編成で、力強い走りを見せていたのです。
8両の各停は、どの形式も4両を2編成繋いで実現していましたが、中間に先頭車が入ってしまうことで客室スペースが減少してしまうという問題がありました。
そこで、中間に先頭車を挟まない8両固定編成を導入し、客室スペースを増やすこととなりました。
8両固定編成の導入と車両の高加速化
小田急で最初の8両固定編成となったのは、1000形の1081Fでした。最後まで1編成だけの存在となってしまい、早期に廃車されてしまったことは残念でしたが、長編成化へのきっかけとなった象徴的な編成だったのです。
そして、同時期に登場した8両固定編成が、2600形を組み替えて8両化した編成でした。
6両の2編成を組み合わせることで8両化し、余った車両を電装することで有効活用していく計画でした。
1000形と2600形から少し遅れて登場したのが、現在も各駅停車の主力として活躍する2000形です。
最初から8両固定編成で登場した最初の形式であり、他形式との併結を考慮しない設計が特徴となっています。
4両を2編成繋いだ編成と、8両固定編成で各停の8両化が進められますが、小田急にはもう一つの狙いがありました。
それが各停で使用する車両の高加速化だったのです。
各停に8両で使用する編成は、6M2Tか足回りを2000形と共通化して強力な編成となった2600形、編成全てが電動車の9000形、元々性能上は高加速の1000形と2000形でした。
8000形も走りましたが、加速度が若干劣るため、最低限の本数でした。
小田急が考えていた計画は定かではないものの、古い車両は電動車の比率を高めることで高加速化し、1000形や2000形と合わせることで、都心部の各停のランカーブを変更しようとしていたと考えられます。
2600形、9000形、1000形、2000形の8両に統一することが最終目標だったのでしょう。
しかし、複々線化工事の遅れ等が影響したことで2600形の8両化は中止となり、近年まで6両の各停も残ることとなってしまいました。
なかなか理想どおりには進まない、苦しい時代が小田急にはあったのです。
おわりに
現在は高加速な車両ばかりになった小田急の車両。3000形や4000形の登場によって車両が近代化され、念願だった状態には到達できたようです。
コメント
コメント一覧 (8)
ワタシダ
がしました
JRは205系/211系から、小田急だと2000形/30000形から変わってます。
小田急は同じような車体、外観で1000形はアルストム台車、2000形はモノリンク台車になってるのが興味深いです
ワタシダ
がしました
車種はあまり変わらないはずなのに、起動加速度が違うのです。
各駅停車と優等列車とで、起動加速度を変えているのでしょうか。
だとすれば、それは何故なのでしょうか。
ワタシダ
がしました
小田急の保線には定評があると聞いたことがあります。
ワタシダ
がしました
これは小田急でのことではありませんが、鋼製車からステンレス車になってから、高速走行中の揺れが大きくなった気がします。線路状態もあるのでしょうが。
ワタシダ
がしました