2012年に5000形が営業運転を終了したことで、長く親しまれた小田急顔の車両が過去のものとなりました。
貫通扉の上にライトが二つあるその姿は、小田急といえばこの前面デザインといえるぐらい、多くの車両に共通する特徴でした。
この前照灯は面白く、通常は片側のみを点灯していることがほとんどで、両側を点灯している姿を見かけるのは稀でしたが、なぜそのようなことになっていたのでしょうか。
この前照灯は、その後の車両にも採用が続けられ、従来車にも改造によって取り付けられるケースが相次ぎ、小田急を象徴するものとなりました。
同様の前照灯は、京阪電気鉄道や秩父鉄道にも採用事例があり、汎用的な部品だったと考えられます。
小田急はこれを気に入り、部品の統一という観点で採用が続けられたのでしょう。
この前照灯は、通常左側だけが点灯していました。
二つあるのに片方だけが点灯しているというのが特徴で、気になった方も多いのではないでしょうか。
そして、稀に見かけたのが、このように右側を点灯している姿です。
比較的珍しいもので、左側が球切れをしているといったタイミングで、このようになっていたと考えられます。
両側を点灯させれば、より明るくできるはずです。
両側を点灯させることがなかったのかというと、そういうわけでもありません。
しかし、見かける頻度はかなり低く、この状態で走ってくるとお得に感じたものです。
写真を見れば分かるとおり、両側を点灯させなかったのはこの前照灯の仕様に起因しています。
片側だけを点灯させた場合にはハイビーム、両側を点灯させるとロービームとなるためです。
両側を点灯させると、明らかに暗くなっていることが分かります。
まだ前照灯が1灯だけという車両も多い時代で、予備灯としての要素が強かったのだと思われます。
電球の寿命も今よりは短かったでしょうから、このような仕様になったのかもしれませんね。
他社でも採用事例自体はあるものの、小田急のイメージが最も強いのではないでしょうか。
貫通扉の上にライトが二つあるその姿は、小田急といえばこの前面デザインといえるぐらい、多くの車両に共通する特徴でした。
この前照灯は面白く、通常は片側のみを点灯していることがほとんどで、両側を点灯している姿を見かけるのは稀でしたが、なぜそのようなことになっていたのでしょうか。
通常は左側が点灯していた小田急顔の前照灯
小田急顔といえば、貫通扉の上にライトを二つ設けている姿ですが、このデザインを最初に採用したのは2400形でした。この前照灯は、その後の車両にも採用が続けられ、従来車にも改造によって取り付けられるケースが相次ぎ、小田急を象徴するものとなりました。
同様の前照灯は、京阪電気鉄道や秩父鉄道にも採用事例があり、汎用的な部品だったと考えられます。
小田急はこれを気に入り、部品の統一という観点で採用が続けられたのでしょう。
この前照灯は、通常左側だけが点灯していました。
二つあるのに片方だけが点灯しているというのが特徴で、気になった方も多いのではないでしょうか。
そして、稀に見かけたのが、このように右側を点灯している姿です。
比較的珍しいもので、左側が球切れをしているといったタイミングで、このようになっていたと考えられます。
なぜ片側だけを点灯させていたのか
せっかく二つのライトがあるのに、なぜ片側だけを点灯させていたのでしょうか。両側を点灯させれば、より明るくできるはずです。
両側を点灯させることがなかったのかというと、そういうわけでもありません。
しかし、見かける頻度はかなり低く、この状態で走ってくるとお得に感じたものです。
写真を見れば分かるとおり、両側を点灯させなかったのはこの前照灯の仕様に起因しています。
片側だけを点灯させた場合にはハイビーム、両側を点灯させるとロービームとなるためです。
両側を点灯させると、明らかに暗くなっていることが分かります。
まだ前照灯が1灯だけという車両も多い時代で、予備灯としての要素が強かったのだと思われます。
電球の寿命も今よりは短かったでしょうから、このような仕様になったのかもしれませんね。
おわりに
多くの車両に採用され続け、小田急を象徴するアイテムとなったこの前照灯。他社でも採用事例自体はあるものの、小田急のイメージが最も強いのではないでしょうか。
コメント
コメント一覧 (10)
なので球切れしていたけど予備のライトで走らせていたことが推測されますね。
ワタシダ
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片方の球は予備兼減光用抵抗代わり なんていう話しも聞いたが… 真偽は?………
逆側の片側点灯は見たことが無いけど
昼でも常時点灯するようになってから電球消耗の左右バランスをとるためにそうしていたのかな?……
営団2000型などは A灯⇔B灯 の切り替えをする大型のキャノピースイッチが目立ったけど
小田急のそれは普通のスイッチ列の中に紛れた小さな物で、手元で扱える場所ではなかったような…
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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私事を挟んで恐縮ですが、関西に住む祖父母の家にあるアルバムとかがあったら当時の資料があったはずです…(整理整頓で見つからへんかも…(泣))
ワタシダ
がしました
それで電球の偏りを減らすために一定周期(例えば奇数日・偶数日や列検の周期毎とか)で切り替えていたのではないかと思われます。
ワタシダ
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昔の車両は2200形以下貫通形でした。
特に幌を付ける訳でもなく、あまり意味が無い気がします。
ただのデザイン的なものなのでしょうか?
貫通扉の脇に手すりが付いていたので、非常時に渡れる様にしたのでしょうか?
ご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。
よろしくお願いいたします。
ワタシダ
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