1988年に営業運転を開始した小田急1000形。
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
8編成が増備された1次車の中では、唯一日本車輌製造で製造された編成です。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線には乗り入れない編成となっており、登場時から専ら小田急と箱根登山線内で使われました。
1次車は各停の8両化用として登場したため、登場当初は8両での運用を基本としていました。
その後、1000形の編成数が増えたことで活躍の場が広がり、他形式との併結運用も行われるようになっています。
3000形の8両固定編成が登場した後は、10両の新宿方に繋がれることが多くなり、最終的には1255Fと組むことが基本となっていました。
この編成ならではの特徴としては、小田原方の2両にクリヤラッカーが塗られており、かなり目立つ外見となっていました。
2020年にはクハ1155のみが廃車となり、残った3両は1097Fに組み替えられ、1055Fは消滅しています。
※左側が新宿方
デハ1005:1次車
デハ1105:1次車
クハ1155:1次車
デハ1005:日本車輌製造
デハ1105:日本車輌製造
クハ1155:日本車輌製造
デハ1005:1988年2月9日
デハ1105:1988年2月9日
クハ1155:1988年2月9日
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1055Fの概要
4両の1次車として1988年に登場しました。8編成が増備された1次車の中では、唯一日本車輌製造で製造された編成です。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線には乗り入れない編成となっており、登場時から専ら小田急と箱根登山線内で使われました。
1次車は各停の8両化用として登場したため、登場当初は8両での運用を基本としていました。
その後、1000形の編成数が増えたことで活躍の場が広がり、他形式との併結運用も行われるようになっています。
3000形の8両固定編成が登場した後は、10両の新宿方に繋がれることが多くなり、最終的には1255Fと組むことが基本となっていました。
この編成ならではの特徴としては、小田原方の2両にクリヤラッカーが塗られており、かなり目立つ外見となっていました。
2020年にはクハ1155のみが廃車となり、残った3両は1097Fに組み替えられ、1055Fは消滅しています。
編成表
クハ1055-デハ1005-デハ1105-クハ1155※左側が新宿方
製造区分
クハ1055:1次車デハ1005:1次車
デハ1105:1次車
クハ1155:1次車
製造所
クハ1055:日本車輌製造デハ1005:日本車輌製造
デハ1105:日本車輌製造
クハ1155:日本車輌製造
竣功日
クハ1055:1988年2月9日デハ1005:1988年2月9日
デハ1105:1988年2月9日
クハ1155:1988年2月9日
コメント
コメント一覧 (3)
でも、1055Fがデビューした時、3両はは更新され1255Fと1081Fと10両化、1両は廃車になる未来なんて誰が想像していたことでしょう。
あと、クハ1155の廃車日が不明とのことなので去年のカメラの記録を見てみました。7月2日に運用を離脱、9月11日に解体されています。もう一年も経っていまいましたね。100%の情報ではありませんが、odpedia、ワタシダさんの手助けになれば幸いです。
ワタシダ
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ワタシダ
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リニューアルされた編成は今後も末永く活躍してほしいです。
ワタシダ
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