朝のラッシュ時にだけ運転される、小田急では珍しい列車種別の通勤急行。
2018年のダイヤ改正で登場した列車種別ですが、小田急でこの名称が使われるのは2回目のことです。
今回は、初代の通勤急行がどのような列車種別だったのかを振り返ってみたいと思います。
現在の通勤急行と異なるのは、上りだけではなく下りでも運転されていたことで、停車駅も異なっています。
どのような列車であったのかをご紹介する前に、まずは停車駅を整理してみましょう。
当時の駅名ではなく、分かりやすいように現在の駅名で記載しています。
【小田原線】
・新宿
・下北沢
・成城学園前(上りが1960年から・下りが1964年から)
・登戸
・向ヶ丘遊園
・町田
・相模大野
・本厚木
・伊勢原
・鶴巻温泉
・秦野
・渋沢
・新松田
・小田原
【江ノ島線】
・南林間
・大和
・長後
・藤沢
・本鵠沼
・鵠沼海岸
・片瀬江ノ島
多摩線から新宿に向かって運転される現在の通勤急行とは異なり、小田原線と江ノ島線の全線で運転されていました。
また、停車駅が現在とは異なっているのも分かります。
快速急行に準じているため、急行より上位に位置付けられます。
初代の通勤急行については、この位置付けが異なっていました。
小田原線では、当時の急行の停車駅に登戸が追加されたものとなっており、後に成城学園前が加わりました。
つまり、急行よりも下位に位置付けられる列車種別だったのです。
もっと面白いのは江ノ島線で、急行が藤沢と片瀬江ノ島にしか停車しなかったため、完全に性格が異なる列車種別でした。
当時の江ノ島線は急行の本数が少なく、不定期で増発されていました。
急行よりも停車駅が多いというのが通勤急行の特徴でしたが、沿線が発展したことで急行の停車駅が徐々に増加していきます。
1970年に登戸、1971年に成城学園前が追加となったことで、急行と通勤急行の停車駅は差がなくなり、通勤急行は廃止されました。
その後は2018年に名称として復活するまで、小田急に通勤急行は存在しませんでした。
しかし、昔の通勤急行とは位置付けが異なっており、列車種別としては全く別のものといえそうです。
2018年のダイヤ改正で登場した列車種別ですが、小田急でこの名称が使われるのは2回目のことです。
今回は、初代の通勤急行がどのような列車種別だったのかを振り返ってみたいと思います。
初代通勤急行の停車駅
その名称が示すとおり、初代の通勤急行もラッシュ時に運転される列車種別で、1955年のダイヤ改正で登場しました。現在の通勤急行と異なるのは、上りだけではなく下りでも運転されていたことで、停車駅も異なっています。
どのような列車であったのかをご紹介する前に、まずは停車駅を整理してみましょう。
当時の駅名ではなく、分かりやすいように現在の駅名で記載しています。
【小田原線】
・新宿
・下北沢
・成城学園前(上りが1960年から・下りが1964年から)
・登戸
・向ヶ丘遊園
・町田
・相模大野
・本厚木
・伊勢原
・鶴巻温泉
・秦野
・渋沢
・新松田
・小田原
【江ノ島線】
・南林間
・大和
・長後
・藤沢
・本鵠沼
・鵠沼海岸
・片瀬江ノ島
多摩線から新宿に向かって運転される現在の通勤急行とは異なり、小田原線と江ノ島線の全線で運転されていました。
また、停車駅が現在とは異なっているのも分かります。
どのような位置付けの列車種別だったのか
現在の通勤急行は、快速急行に準じた列車種別で、成城学園前と向ヶ丘遊園には停車するものの、登戸を通過する千鳥停車となっていることが特徴です。快速急行に準じているため、急行より上位に位置付けられます。
初代の通勤急行については、この位置付けが異なっていました。
小田原線では、当時の急行の停車駅に登戸が追加されたものとなっており、後に成城学園前が加わりました。
つまり、急行よりも下位に位置付けられる列車種別だったのです。
もっと面白いのは江ノ島線で、急行が藤沢と片瀬江ノ島にしか停車しなかったため、完全に性格が異なる列車種別でした。
当時の江ノ島線は急行の本数が少なく、不定期で増発されていました。
急行よりも停車駅が多いというのが通勤急行の特徴でしたが、沿線が発展したことで急行の停車駅が徐々に増加していきます。
1970年に登戸、1971年に成城学園前が追加となったことで、急行と通勤急行の停車駅は差がなくなり、通勤急行は廃止されました。
その後は2018年に名称として復活するまで、小田急に通勤急行は存在しませんでした。
おわりに
50年近くが経過して、現代に復活することとなった小田急の通勤急行。しかし、昔の通勤急行とは位置付けが異なっており、列車種別としては全く別のものといえそうです。
コメント
コメント一覧 (4)
その頃の通勤急行が今の急行の基礎になっている感じですね。
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藤沢~片瀬江ノ島間を除けば今の快速急行と停車駅数は変わらない事実。
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