優等列車を中心に小田原線との直通列車はあるものの、多くの列車が線内の折り返し運用となっている小田急の多摩線。
優等列車が走っていなかった頃は、ほとんどの列車が折り返し運用で、方向幕には専用のコマが設けられていました。
折り返しの際に、幕回しをする手間を省くことが目的だったと思われるこのコマですが、駅の配置が左右で違う2種類が存在していました。
同じ車両が行ったり来たりするのみで、今とは比較にならないぐらいのんびりした路線だったのです。
短い区間の折り返し運転では、必然的に折り返す回数が多くなります。
終点ではその都度幕回しをする必要が生じますが、自動で幕回しができない車両も多かったため、その手間を削減するために、折り返し運転用のコマが設けられることとなりました。
小田急で折り返し運転用のコマが用意されたのは主に前面で、短い区間での使用を想定したものです。
新松田から小田原、藤沢から片瀬江ノ島、そして新百合ヶ丘から小田急多摩センターがありましたが、動作が自動化された後の黒地の幕では多摩線用のみとなりました。
現在もコマ自体は残っており、運が良ければ幕回しの最中に見ることができます。
先日種別幕が無表示の状態で見る機会があり、懐かしい姿だったことから、この記事を書くことにしました。
車両によって左右に書かれている駅が異なり、多摩線用のコマであれば、左側が新百合ヶ丘だったり多摩センターだったりするのです。
側面に設けられているコマが海側と山側で異なるように、上り方と下り方で異なるのではないかとも思いましたが、そんなこともありませんでした。
どちらにも両方のパターンがあり、法則性がまるでないのです。
しかし、これらの違いは白地の幕だけのようで、黒地の幕は左側が新百合ヶ丘で統一されていると思われます。
これは完全に仮説ですが、元々は上り方と下り方で左右を変えていたのではないでしょうか。
しかし、中間に封じ込められる先頭車が増加し、取り外した幕を他の車両に流用したりしていく過程でぐちゃぐちゃになり、このような状態になったと考えれば違和感がありません。
真相は完全に闇の中ですが、左右がどうであるかはあまり意味がないため、途中で意識しなくなったのかもしれませんね。
手で回していた頃は、この折り返し用のコマがありがたい存在だったのでしょうね。
優等列車が走っていなかった頃は、ほとんどの列車が折り返し運用で、方向幕には専用のコマが設けられていました。
折り返しの際に、幕回しをする手間を省くことが目的だったと思われるこのコマですが、駅の配置が左右で違う2種類が存在していました。
多摩線用の折り返し幕とは
多摩線が新百合ヶ丘から小田急多摩センターまでだった頃は、ほとんどが多摩線内を折り返し運転する列車でした。同じ車両が行ったり来たりするのみで、今とは比較にならないぐらいのんびりした路線だったのです。
短い区間の折り返し運転では、必然的に折り返す回数が多くなります。
終点ではその都度幕回しをする必要が生じますが、自動で幕回しができない車両も多かったため、その手間を削減するために、折り返し運転用のコマが設けられることとなりました。
小田急で折り返し運転用のコマが用意されたのは主に前面で、短い区間での使用を想定したものです。
新松田から小田原、藤沢から片瀬江ノ島、そして新百合ヶ丘から小田急多摩センターがありましたが、動作が自動化された後の黒地の幕では多摩線用のみとなりました。
現在もコマ自体は残っており、運が良ければ幕回しの最中に見ることができます。
先日種別幕が無表示の状態で見る機会があり、懐かしい姿だったことから、この記事を書くことにしました。
左右の違いで2種類ある折り返し用の行先幕
これらの折り返し用のコマですが、昔撮影された写真をみるとあることに気付きます。車両によって左右に書かれている駅が異なり、多摩線用のコマであれば、左側が新百合ヶ丘だったり多摩センターだったりするのです。
側面に設けられているコマが海側と山側で異なるように、上り方と下り方で異なるのではないかとも思いましたが、そんなこともありませんでした。
どちらにも両方のパターンがあり、法則性がまるでないのです。
しかし、これらの違いは白地の幕だけのようで、黒地の幕は左側が新百合ヶ丘で統一されていると思われます。
これは完全に仮説ですが、元々は上り方と下り方で左右を変えていたのではないでしょうか。
しかし、中間に封じ込められる先頭車が増加し、取り外した幕を他の車両に流用したりしていく過程でぐちゃぐちゃになり、このような状態になったと考えれば違和感がありません。
真相は完全に闇の中ですが、左右がどうであるかはあまり意味がないため、途中で意識しなくなったのかもしれませんね。
おわりに
方向幕を装備する車両自体が少なくなり、幕回しという光景も過去のものとなりつつあります。手で回していた頃は、この折り返し用のコマがありがたい存在だったのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (27)
「快速」幕は、8000の8251F出場前に東急車輌で表示されていたりしましたが、たまに経堂駅電留線にある2600が表示したりしているのは見かけましたね。でかでか快速ということです。
おそらく、かつて存在した快速準急のような、向ヶ丘遊園以遠も一部駅の通過運転をする種別を検討していた時期があるためではないかと思いますが、その後2600の「各停 新百合ヶ丘-多摩センター」や、9000の「準急 本厚木-綾瀬」幕で潰されたりし、最終的に湘南急行があの位置には入ったように思います。
ワタシダ
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方南町⇔中野坂上とか新大塚⇔茗荷谷とか。
ワタシダ
がしました
小田急で「各停」幕を使うようになったのは1998(平成10)年4月からで急行通過灯廃止によるものだったと記憶しています。
小田急の方向幕は一部を除き、基本的に順序は共通だったと思います。1000形千代田線乗入れ車は撤退する前に引き上げ線や留置線のある霞ヶ関、湯島、明治神宮前、代々木公園の入った幕に交換されたそうです。同業他社の場合、たとえば京急線ですと泉岳寺以東に全く乗り入れることのない4連、6連、そして2ドアの2100形ですら都営浅草線、京成線、北総線のコマが入ってます。神奈川新町や金沢文庫にある車両基地では停車している車両で幕焼け防止のために乗入れ先の行先を表示していることがあります(例・快速浅草橋、急行上野など)。
ワタシダ
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9000形に、準急 本厚木⇔綾瀬 ていう幕があったのは覚えています。
あとは分割併合してた際には、前面行き先幕が箱根湯本/江ノ島 と 小田原/江ノ島 がありました。
その他、千代田線に入線しない5000形や8000形とかの行き先幕に「代々木上原」とかがあって、何故あるのかなぁ?て思ったことがあります。
今にして思えば、○○形に関係なく行き先幕の内容は同じになってたからだったのでしょうかね。
種別幕には使用しない「快速」があったのを覚えてますが、あれは何故あったのでしょうかね?
「各停」幕も随分前からあったと思いますが、実際に「各停」を表示して走るようになったのは最近になってからのことですね。
ワタシダ
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利用者が混乱するから当然の措置と思われるかもしれないが、世界を旅して各都市の地下鉄に乗ってみると一種類の掲示物で済ましている所もあるとわかる。小田急は親切なのだと思います。
ワタシダ
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しかし、幕は白地と黒地のため、何らかの変化があったのでしょうか。
ワタシダ
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ワタシダ
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側面は5200の5254F、5255Fのものが基準になっているのでしょう。
前面・側面ともに「折り返し幕」は、黒幕でも本線、江ノ島線、多摩線と用意されており、使われていないだけで、今も幕車には残っていると思います。幕自体はいくつか所有しているので、調べればよくわかるのですが…。
ワタシダ
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ワタシダ
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私も知ったの最近だし、もっと興味を持って読んでくださる方が増えるといいな!
ワタシダ
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小田急多摩線が小田急多摩センターまでだったころといえばこの幕でした。京王線では6000系のワンマン編成は終日「東府中⇔府中競馬正門前」、「高幡不動⇔多摩動物公園」を表示していました。しかしながら正面・側面ともキツキツで見づらいこともあってか7000系になってからは行先だけを出すようになりました。
今の小田急通勤車ですが、LEDが当たり前の今では行先設定のなかには今回みたく区間折返し専用が用意されてるかどうかは全く分かりません。ちなみにLEDは幕と違って追加・削除が簡単に行えるので、どの時期に追加され、知らぬ間に設定から消えていた、ということもあり得るのです。
ワタシダ
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でも小田急のは上下2段ですよね。
側面の区間表示ですと新宿=向ヶ丘遊園、新百合ヶ丘=多摩センター、新松田=小田原、藤沢=江ノ島とありますね。
ワタシダ
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確か1000形の幕には
「新 宿
向ヶ丘遊園」
っていう、近郊区間折り返し専用幕も入ってませんでしたっけ…?
ワタシダ
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