小田急初の高性能車として、1954年に登場した2200形。
前面2枚窓の特徴的なデザインは、似た車両が多い小田急の中では珍しい存在でした。
今回ご紹介するのは、そんな2200形で計画されていた貫通型への改造です。
一部の車両に例外はあったものの、1995年に登場した2000形までその流れが続いたのです。
2200形はそれまでの車両とは異なり、前面2枚窓の非貫通型で登場しました。
湘南顔が流行していた時代ということに加え、視野の拡大を図るという狙いがあったようです。
隙間風が入らないといったメリットもあり、運転士にも好評だったといわれています。
しかし、非貫通型の前面はその後長続きはせず、2300形が同様に2枚窓とされたものの、続いて登場した2220形は貫通型へと戻されることとなりました。
それから2000形まで、小田急では貫通型の前面が当たり前となりますが、2001年に登場した3000形、現在増備されている5000形は非貫通型となりました。
これは鉄道ピクトリアルの対談で生方良雄さんが触れており、行先方向幕の設置が他の車両よりも遅れた理由にも繋がっているそうです。
このような計画が生まれた背景には、2220形から貫通型に戻ったことも無関係ではないでしょう。
そもそも貫通型へと戻ったのは、検車区からの要望が強かったそうで、清掃において都合が良かったようです。
また、2220形では貫通扉の構造を工夫することで、隙間風への対策も行われています。
視野が広いというメリットを除けば、デメリットも目立っていたことが、貫通型への改造を計画することに繋がったのでしょう。
しかし、実際には改造されずにそのまま使われ、引退まで特徴的な前面は維持されました。
輸送力の増強に追われたことで、それどころではなくなってしまったのかもしれませんね。
幼少期から著書を夢中で拝読したことで、小田急ファンになるきっかけを私に与えて下さった方でもあります。
何度かお目にかかる機会があり、その元気なお姿に驚いたことを思い出します。
近年も積極的に執筆活動をされていましたので、それらの著書も全て拝読し、楽しませていただきました。
生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。
前面2枚窓の特徴的なデザインは、似た車両が多い小田急の中では珍しい存在でした。
今回ご紹介するのは、そんな2200形で計画されていた貫通型への改造です。
前面2枚窓の特徴的なデザインで登場した2200形
小田急の車両といえば、前面に貫通扉を備えた姿が昔の定番でした。一部の車両に例外はあったものの、1995年に登場した2000形までその流れが続いたのです。
2200形はそれまでの車両とは異なり、前面2枚窓の非貫通型で登場しました。
湘南顔が流行していた時代ということに加え、視野の拡大を図るという狙いがあったようです。
隙間風が入らないといったメリットもあり、運転士にも好評だったといわれています。
しかし、非貫通型の前面はその後長続きはせず、2300形が同様に2枚窓とされたものの、続いて登場した2220形は貫通型へと戻されることとなりました。
それから2000形まで、小田急では貫通型の前面が当たり前となりますが、2001年に登場した3000形、現在増備されている5000形は非貫通型となりました。
2200形で計画されていた貫通型への改造
特徴的な前面デザインで愛されていた2200形ですが、一時期貫通型への改造が計画されていました。これは鉄道ピクトリアルの対談で生方良雄さんが触れており、行先方向幕の設置が他の車両よりも遅れた理由にも繋がっているそうです。
このような計画が生まれた背景には、2220形から貫通型に戻ったことも無関係ではないでしょう。
そもそも貫通型へと戻ったのは、検車区からの要望が強かったそうで、清掃において都合が良かったようです。
また、2220形では貫通扉の構造を工夫することで、隙間風への対策も行われています。
視野が広いというメリットを除けば、デメリットも目立っていたことが、貫通型への改造を計画することに繋がったのでしょう。
しかし、実際には改造されずにそのまま使われ、引退まで特徴的な前面は維持されました。
輸送力の増強に追われたことで、それどころではなくなってしまったのかもしれませんね。
おわりに
文中で触れた生方良雄さんが、先日96歳で亡くなられました。幼少期から著書を夢中で拝読したことで、小田急ファンになるきっかけを私に与えて下さった方でもあります。
何度かお目にかかる機会があり、その元気なお姿に驚いたことを思い出します。
近年も積極的に執筆活動をされていましたので、それらの著書も全て拝読し、楽しませていただきました。
生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
コメント一覧 (10)
昭和の鉄道雑誌の小田急特集記事には必ず寄稿していた名物男(失礼)で、「TBSのロングおじさん」こと吉村光夫アナ(京急ファン)とともに僕が鉄道ファン・乗り物好きになるきっかけになった人でした。
一度お会いしてじっくりロマンスカーの話を聞いてみたかったです。
謹んで哀悼の意を表します
ワタシダ
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生方さんの後継者はワタシダ様になるのでしょうか。がんばってください。
ワタシダ
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末筆ながら小田急の車両開発及び運輸計画に関わっておられ、また鉄道ピクトリアルをはじめ様々な鉄道雑誌において小田急に関する記事を執筆・寄稿されていた生方良雄さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ワタシダ
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多数の伝統の小田急顔の中で前面2枚窓、かつ晩年は6両編成の中間に入ることが多かったので先頭に立ったときは異彩を放っていました。
同時期の車両では京急の旧1000形の初期車も前面2枚窓で登場しながらも後に貫通化されたのも有名な話ですね。
ワタシダ
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生方先生の本は幼少期から読ませていただいてて、GSE試乗会ではお元気にしていらしていたようですが…。
私からも、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
ところで、2200形の貫通化工事ですが、実際は2217fが貫通型で誕生していたところからも、改造は容易だったものと推測できそうですが、2300形が貫通化されて2200形が改造を受けていなかったというのが不思議です。
多分ですが詳細に話すと、2300形や2320形の2両化でお金がね…っていう感じだったんじゃ?
ワタシダ
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