10両固定編成の車両が増加し、2編成を併結した10両編成が少しずつ減少している小田急。
小田急の10両編成といえば、小田原方に6両、新宿方に4両というのが少し前の常識であり、そんな日常が徐々に消えていくのは寂しいものです。
あえて常識と書きましたが、昔はその常識が通用しない10両編成も存在していました。
小田原方に4両、新宿方に6両が繋がる逆10両について、今日の記事では紹介します。
そのため、6両の小田原方や4両の新宿方には電気連結器がない車両が多く、併結の位置関係が変わることはありません。
しかし、2000年代の前半までは、多くの4両や6両の先頭車に電気連結器が備えられていました。
8000形や1000形にも電気連結器がない先頭車がありますが、登場時の4両や6両は全ての先頭車に装備されており、後に撤去されたものなのです。
普段連結をすることがない先頭車にも電気連結器があったのは、逆10両という運用があったためです。
このように呼ばれる理由は、小田原方に4両、新宿方に6両が繋がっているためで、通常とは逆であることを意味しています。
なぜ逆10両があったのかといえば、箱根登山線に乗り入れられるのが昔は4両までだったことや、運用上の都合が主な理由でした。
昔は4両を2本繋いだ8両の急行も多かったため、そういった点でも全先頭車に電気連結器が必要でした。
過去の運行図表等を分析すれば分かるのでしょうが、そこまではできていないのが実情です。
昔になるほど多かったことは間違いなく、箱根登山線への乗り入れが実質的に2400形に限定されていた時期が、最盛期といえるでしょう。
1990年代になっても逆10両はありましたが、その本数は僅かでした。
2000年代にはほぼ間違いなくなかったと思われるため、1990年代にひっそりと消滅している可能性が高そうです。
文献にも明確な記述を見た記憶がないため、おおよその時期もよく分かりません。
いつか判明させられるよう、継続調査をしていきたいと思います。
いつまで存在していたのか、困難な調査がこれからも続きそうです。
小田急の10両編成といえば、小田原方に6両、新宿方に4両というのが少し前の常識であり、そんな日常が徐々に消えていくのは寂しいものです。
あえて常識と書きましたが、昔はその常識が通用しない10両編成も存在していました。
小田原方に4両、新宿方に6両が繋がる逆10両について、今日の記事では紹介します。
通常とは編成の位置関係が異なっていた逆10両
現在の小田急では、2編成を併結した10両編成の場合、小田原方に6両、新宿方に4両が繋がっています。そのため、6両の小田原方や4両の新宿方には電気連結器がない車両が多く、併結の位置関係が変わることはありません。
しかし、2000年代の前半までは、多くの4両や6両の先頭車に電気連結器が備えられていました。
8000形や1000形にも電気連結器がない先頭車がありますが、登場時の4両や6両は全ての先頭車に装備されており、後に撤去されたものなのです。
普段連結をすることがない先頭車にも電気連結器があったのは、逆10両という運用があったためです。
このように呼ばれる理由は、小田原方に4両、新宿方に6両が繋がっているためで、通常とは逆であることを意味しています。
なぜ逆10両があったのかといえば、箱根登山線に乗り入れられるのが昔は4両までだったことや、運用上の都合が主な理由でした。
昔は4両を2本繋いだ8両の急行も多かったため、そういった点でも全先頭車に電気連結器が必要でした。
逆10両はいつまで走っていたのか
最初から申し訳ないことを書きますが、正確な時期は判明していません。過去の運行図表等を分析すれば分かるのでしょうが、そこまではできていないのが実情です。
昔になるほど多かったことは間違いなく、箱根登山線への乗り入れが実質的に2400形に限定されていた時期が、最盛期といえるでしょう。
1990年代になっても逆10両はありましたが、その本数は僅かでした。
2000年代にはほぼ間違いなくなかったと思われるため、1990年代にひっそりと消滅している可能性が高そうです。
文献にも明確な記述を見た記憶がないため、おおよその時期もよく分かりません。
いつか判明させられるよう、継続調査をしていきたいと思います。
おわりに
僅かな本数ながら、平成になっても走っていた小田急の逆10両。いつまで存在していたのか、困難な調査がこれからも続きそうです。
コメント
コメント一覧 (30)
ちなみに分割案内板Cは4B+4Bの8Bが解放する位置で新宿から相模大野で急行が停まる駅で昭和の末期や平成の初期に見掛けた記憶あります。
1990年代は少数の急行が停まってた相武台前(上下線ホーム)にも分割案内板Aの札が存在しましたが2008年の時点で撤去されてましたので若い鉄ヲタは「分割案内板BとC」を知らない事でしょう。
分割案内板Bと書かれてれば話は通じますが「逆10両」と書かれるとイマイチ違和感あります。
ワタシダ
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・新宿601発 急行 小田原・江ノ島
(前4両 小田原、後4両 江ノ島)
・新宿646発 急行 小田原
(大野から前4両 急行小田原、後4両 各停江ノ島)
何型で運転していたのか非常に気になります。
ご存じの方、いらっしゃいますか??
時刻表を見直すきっかけが出来てとても楽しかったです。
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平日下り なし
平日上り
・小田原651発 準急 新宿行
(本厚木で後4両増結)
・小田原2214発 各停 相模大野行 前6両
江ノ島2231発 各停 相模大野行 後4両
(相模大野で連結、急行新宿)
・藤 沢2312発 各停 相模大野行 前6両
江ノ島2302発 各停 相模大野行 後4両
(相模大野で連結、急行新宿)
休日下り
・新宿2211発 急行 相模大野行
(前4両 各停小田原、後6両 大野止)
・新宿2250発 急行 相模大野行
(前4両 各停小田原、後6両 大野止)
休日上り
・小田原1903発 急行 新宿行 前6両
江ノ島1912発 各停 相模大野行 後4両
(大野で連結)
・小田原2033発 急行 新宿行 前6両
藤 沢2052発 各停 相模大野行 後4両
(大野で連結)
96年~99年は、時刻表上では逆10両は見当たりませんでした。91年と95年の時刻表は持っていないのでわかりません…。
90年、92年、93年も見落としがあるかもしれませんので、参考までにお願いします。
ワタシダ
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平日下り
・新宿910発 急行 相模大野行
(前4両 大野止、後6両 各停江ノ島)
平日上り
・小田原651発 準急 新宿行
(本厚木で後4両増結)
・小田原2214発 各停 相模大野行 前6両
江ノ島2230発 各停 相模大野行 後4両
(大野から急行新宿)
・藤沢2311発 各停 相模大野行 後4両
(大野で前6両増結、急行新宿)
休日下り
・新宿2211発 急行 相模大野行
(前4両 各停小田原、後6両 大野止)
・新宿2250発 急行 相模大野行
(前4両 各停小田原、後6両 大野止)
休日上り
・小田原1903発 急行 新宿行 前6両
藤 沢1920発 各停 相模大野行 後4両
(大野で連結)
・小田原2033発 急行 新宿行 前6両
藤 沢2050発 各停 相模大野行 後4両
(大野で連結)
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90年
平日下り
・新宿2209発 急行 相模大野行
(前4両 各停小田原、後6両大野止)
平日上り
・小田原651発 準急 新宿行
(本厚木で後4両増結)
・小田原703発 急行 新宿行
(本厚木で後4両増結)
・小田原2034発 急行 新宿行
藤 沢2051発 各停 相模大野行
(相模大野で連結)
休日下り
・新宿1050発 急行 小田原行
(後6両 大野止)
・新宿1150発 急行 相模大野行
(前4両 大野止、後6両 各停江ノ島)
・新宿2116発 急行 小田原行
(前4両急行小田原、後6両各停江ノ島)
・新宿2246発 急行 相模大野行
(前4両 各停小田原、後6両 大野止)
休日上り
・小田原909発 急行 新宿行 前6両
江ノ島926発 各停 相模大野行 後4両
(相模大野で連結)
・江ノ島1013発 各停 相模大野行 前6両
江ノ島1027発 急行 新宿行 後4両
(相模大野で連結)
・小田原1933発 急行 新宿行 前6両
藤 沢1949発 各停 相模大野行 後4両
(相模大野で連結)
・小田原2103発 急行 新宿行 前6両
藤 沢2123発 各停 相模大野行 後4両
(相模大野で連結)
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特に廃車が始まり、晩年はABFM2両+2400やその逆な編成もありました。
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土休日ダイヤの7時前後で唐木田から?逆組成で相模大野まで回送、
分割案内板Cでどちらも相模大野始発各停藤沢行だったかな?
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(後ろ4両が相模大野から各停江ノ島行き)されてから逆10両を見る機会が少なくなったと記憶しています。懐かしい思い出です。
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逆向き連結禁止は、2600の低速域高加速と他の形式の高速域高加速の性能差が大きく付随車3両は脱輪の可能性大のためと新宿駅のバイト内では言われていました。ちなみに完全共通運用になっていました。
ワタシダ
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前4両2400急行箱根湯本行き、後ろ6両5200か9000の急行江片瀬江ノ島行きというのがあったような覚えがあります。
手元にあるもので『鉄道ピクトリアル』1991年7月増刊号小田急特集の本多聡志「小田急列車運転の興味」に「逆10両」という
項目があり、平日は新宿9:10発、土休日は20:41, 22:11, 22:50が逆10両だとあります。
『鉄道ピクトリアル』1999年12月増刊号の小田急特集にも同じ本多氏の「小田急 列車運転の興味」がありますが、逆10両に関する記述は一切ありません。
1990年代前半くらいになくなったのではないでしょうか。
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成城学園前で下車するまで着席のチャンスが無かったのを覚えています。
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それに関連して、今は無くなりましたが、新宿駅4,5番ホームの「分割案内板」。前6後4,前4後6、前5後5、前4後4、等々の編成両数の組合せに加え、20m大型車、2400形等の中型車の混在により、分割案内板AからF、くらいまであったように記憶しています。今では、もう懐かしい話ですが。
ワタシダ
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それまでは、たしか江ノ島線の各停+各停が大野で併結し上り急行になる変な運用と、通勤時間上りの本厚木での空車増結列車の中でなぜか後ろ4両が増結となる列車が存在し、それが逆10両になったと思っていますが、ほかのパターンも有りましたっけ?
折り返し下りは、平日は回送か、急行大野行きでしたが、休日ダイヤでは、急行で下り大野で後ろ6両を切り離し、前4両が●急行小田原行きになる運用があり、これが大野ー本厚木間で殺人的に混んでいた記憶があります。
小田急を代表する変な運用だった逆10両の史実すらぱっと思い出せない、ネット上も確かな分析がない事実に驚愕します。。。。。
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正月の終夜運転での初日の出合わせの急行が小田原線を先に発車させるためか、方向幕の都合かで逆十両だったよね。
千代田線から江ノ島線への初日の出号に置き換わって無くなったけど。
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列車によって連結位置が違っている会社があり、揃えている会社もあったりと、見ているだけで楽しいものです。
ワタシダ
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4000形+1800形の脱線以降、車両の浮き上がりに神経質だったようで、トレーラー車が3両を超えて連なるのがダメだったからだと聞いてます。
ワタシダ
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小田急に逆10連が走っている姿は僕の記憶に残念ながら一切残っていません。そんな僕が物心ついて真っ盛りの1991(平成3)年頃でしょうか、1000形の4+4で新宿側が標準ドア、小田原方がワイドドアという組み合わせがあったような記憶があります。その次に一番記憶に残っているのは2000(平成12)年1~3月に1000形の4+4の両方がワイドドアだった組み合わせが登場したことです。あとから思い出してもこれらは車両不足か代走で発生したかは分かりませんでしたが。
小田急のライバル路線である京王線でも8000系は新宿寄りから4+6だったのが、2007(平成19)年から翌年にかけて、ATC改造に伴い新宿寄りから6+4に変わったり、中央線の201系はE233系導入後に4+6から6+4に変わりましたね。最初は見慣れないものでしたが、京王8000系に関しては組成が変わっても中間運転台は残りましたが、分割特急の廃止以降中間運転台が不要になり大規模更新で中間車化されてしまい、今では完全に固定編成です。
今思い出しても小田急の4+6の組み合わせは同じ車両同士もありましたが、違う車両同士となると今日はどの編成に乗って帰ろうかな、的な楽しみがありました。僕が現住所に引っ越して今年で15年になりますが、小田急の思い出は何といっても4+6の組み合わせが僕を鉄道好きにさせた原点なのかもしれません。
ワタシダ
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過去の小田急時刻表を見れば分かるのではないでしょうか?
ワタシダ
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