2012年3月16日に最後の営業運転を行い、その後廃車となった小田急5000形。
6両を中心に早期廃車となった編成が多く、長生きをしている8000形とは対照的な車両です。

5000形が早期に廃車となった理由には、下北沢付近の地下化が関係していたといわれていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

リニューアルから短期間で廃車となった5000形の6両

5000形といえば、4両が長生きをした反面、6両は短命に終わった車両というイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。
途中で9000形の増備を挟んだため、製造期間が長期に渡っていたという事情はありますが、6両の編成はあまりにも早く廃車となった印象です。

製造から廃車までの期間が短いというだけではなく、リニューアルから廃車までの期間も短い編成があり、何らかの事情で廃車が計画より早まったことを推察させます。
リニューアルから7年程度で廃車となっている編成があり、元々の計画だったとした場合にはあまりにも不自然です。



5000形の6両は、側窓が下降式となったことで、9000形と同様に車体の腐食が進んでいたといわれます。
しかし、リニューアルの際にある程度の補修はされていることや、晩年も外見上はそこまで酷い状態ではありませんでした。

下北沢付近の地下化と早期廃車の関係

5000形の廃車が始まった頃、耳にする機会が多かった噂が、下北沢付近が地下化されると5000形がその勾配を上れないというものでした。
下北沢付近が地下化されたのは2013年のことであり、実際に地下化前に廃車が完了しています。

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噂の真偽は不明ですが、5000形が本当に勾配を上れなかったのかというと、そんなことはなさそうに思われます。
箱根登山線の小田原から箱根湯本までの区間には40‰の勾配があり、下北沢付近にある35‰より急勾配だからです。
細かい条件は当然異なるでしょうが、5000形は日常的に箱根登山線内を走行しており、走れないということはないでしょう。

下北沢付近を走れなくなるというのは、あくまでも噂であり、結局は老朽化が早期廃車の原因だったのでしょうか。
しかし、老朽化が原因だった場合、今度はリニューアルから廃車までの期間が短いという事実が不自然です。

さらに、8000形は6両のリニューアルを優先し、2009年度までに完了しているというのも気になる点です。
2編成は界磁チョッパ制御で残っていますが、これも地下化前に終わらせようとしている印象があります。
4両は地下化後も未更新車が走行していますが、単独でこの区間に入線することは基本的にありませんでした。

このような点から考えられるのが、地下区間で故障車が発生した際の牽引性能です。
5000形は走行自体はできるものの、牽引性能の関係で早期に廃車となったと考えると、そこまで違和感がありません。

下北沢付近の都市計画が変更されたのは2003年、5000形全編成のリニューアルが完了したのが2001年度、8000形が界磁チョッパ制御のままリニューアルされたのが2002年度、8000形のVVVFインバーター制御化が始まったのが2003年度、これは偶然なのでしょうか。
真相は分かりませんが、やはり地下化と5000形の早期廃車には何らかの関係がありそうですね。

おわりに

何らかの事情があり、早期に全編成が廃車となってしまった5000形。
晩年の6両から4両への編成短縮も含めて、何らかのやむを得ない事情があり、廃車が早まってしまったのでしょうね。