小田急の車両には、前面や側面にブランドマークが掲出されています。
ブランドマークは2008年から掲出されるようになりましたが、それ以前にも車両には小田急を示すマークが掲出されてきました。

今回の記事では、小田急の開業から現在まで、それらのマークがどのように変遷してきたのかを紹介したいと思います。

社紋からOERの切り抜き文字へ

小田急の車両で最初に掲出されたのは、社紋と呼ばれる円形のプレートでした。
車両の側面中央部に掲出され、小田急の車両であることを示していました。

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夜間の撮影で分かりにくいですが、中央の扉に社紋が掲出されています。
この社紋は2400形まで掲出されますが、2600形以降の車両からはなくなりました。
車体の幅が広がったことで、取り付けることができなくなってしまったことが、掲出されなくなった理由と考えられます。

社紋より少し遅れて掲出されるようになったのが、現在も一部の車両で見ることができるOERの切り抜き文字です。
これはOdakyu Electric Railway Co.の頭文字を取ったもので、社紋と合わせて掲出されるようになっていきました。

しばらくはそのパターンが続けられますが、ケープアイボリーにロイヤルブルーの塗装に改められる頃に社紋は外されたようで、その後はOERの切り抜き文字のみの状態となります。
これが塗装変更のタイミングで外されたのか、別のタイミングだったのかは断定できていません。

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こうした経緯で、小田急の車両といえば、OERの切り抜き文字が掲出されているという状態になりました。

OERの切り抜き文字からブランドマークへ

1000形で車体がステンレスとなっても、OERは掲出が続きました。
それまでの切り抜き文字ではなく、プレートに文字が書かれた状態とはなりましたが、それなりに立派なものが取り付けられています。
2000形についても同様でしたが、OERのプレートはここで終わることとなります。

続いて登場した3000形では、ついにOER自体がなくなり、車体に小田急を示すものがない状態となりました。
全くない状態というのは極端な気がしますが、余計なことにお金を使わないというのは、不況が続いていた当時らしいともいえます。

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この写真のように、小田急を示すものが一時的になくなってしまいました。
また、8000形はリニューアルの途中からOERの切り抜き文字を撤去するようになりますが、その背景にはブランドマークの掲出という、次の動きがありました。

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それまでとは一転して、前面と側面に複数のブランドマークが掲出され、一気に車両は賑やかになりました。
OERの切り抜き文字やプレートを同時に撤去することはしていないため、混在した車両も多くあります。
8000形の一部はリニューアルの際にOERの切り抜き文字を撤去しましたが、1000形はリニューアル後も残されているため、撤去された車両は存在しません。

小田急を示すマークは、社紋からOER、そしてブランドマークへと変更され、徐々にブランドマークのみの車両が増えつつあります。

おわりに

ブランドマークの時代に変わってから、早いもので10年以上が経過しました。
このままの状態が継続するのか、どこかのタイミングでブランドマーク自体が変わるのか、そんなことも気になってしまいますね。