小田急が多摩川を渡って神奈川県に入り、2番目の駅となっているのが向ヶ丘遊園駅です。
かつては駅と同名の遊園地が近くにあり、モノレールが駅と遊園地を結んでいました。
近年は昔と比べて静かな雰囲気となり、駅としての役割も大きく変化しました。
向ヶ丘遊園を境に、都心側をサバー区間、逆側をインター区間と呼び、運行頻度を大きく変える境界駅でした。
この境界は開業時から始まっており、各駅停車が向ヶ丘遊園で折り返し、その先には直通という種別の列車が運行されていたのです。
当然向ヶ丘遊園から先は人口が少なく、緑豊かな景色が広がっており、平成に入った頃でもその傾向は顕著でした。
その他の点も含めて、昔の向ヶ丘遊園の役割を整理すると、以下のようなものとなります。
・運行頻度を変える境界点
・多くの各停が優等列車を待避
・特急以外の全ての優等列車が停車する主要駅
・ロマンスカーの数少ない途中停車駅
・遊園地の最寄り
現在と比べて乗降人員が多かったわけではありませんが、小田急の中では重要な位置付けで、他の駅とは多くの点で差別化されていました。
住むという点でも、多くの列車が停車する駅であり、利便性は抜群だったといえます。
その背景にあったのは、インター区間の発展です。
町田駅の周辺等、古くから栄えていたエリアはありましたが、それ以外が徐々に発展してきました。
それでも、平成に入った頃はまだ開発途上の地域が多く残っており、運行頻度はサバー区間を中心に高くなっていたのです。
現在と比較した場合、圧倒的に各駅停車の本数が多い状況となっていました。
しかし、インター区間が発展するのに合わせて、運行頻度は徐々に変化を始めます。
各停は長編成化しつつも本数が減らされ、優等列車が増加しました。
多摩急行や快速急行等、向ヶ丘遊園を通過する種別も設定されていきます。
境界駅としての立場は徐々になくなり、現在は新百合ヶ丘や相模大野がその役割を引き継いでいます。
一方で、日中を中心に東京メトロ千代田線との直通列車が折り返す駅としての役割が与えられ、昔とは別の境界点になった面もあります。
現在はロマンスカーが停車することがなくなりましたが、通勤急行が停車するようになる等、一定の利便性は確保されています。
これらの点だけを見ると、遊園地が閉園したことも含めて、向ヶ丘遊園が衰退したような印象になりますが、その先の区間が発展したことで位置付けが変わった影響が大きく、どちらかというと普通の主要駅になったということなのでしょう。
現在はそういった利用の仕方はあまりしなくなったように思いますが、それだけ優等列車が充実したということなのかもしれませんね。
かつては駅と同名の遊園地が近くにあり、モノレールが駅と遊園地を結んでいました。
近年は昔と比べて静かな雰囲気となり、駅としての役割も大きく変化しました。
向ヶ丘遊園駅のかつての役割
現在は最盛期ほど見られなくなりましたが、昔は向ヶ丘遊園行きの列車が多く走っていました。向ヶ丘遊園を境に、都心側をサバー区間、逆側をインター区間と呼び、運行頻度を大きく変える境界駅でした。
この境界は開業時から始まっており、各駅停車が向ヶ丘遊園で折り返し、その先には直通という種別の列車が運行されていたのです。
当然向ヶ丘遊園から先は人口が少なく、緑豊かな景色が広がっており、平成に入った頃でもその傾向は顕著でした。
その他の点も含めて、昔の向ヶ丘遊園の役割を整理すると、以下のようなものとなります。
・運行頻度を変える境界点
・多くの各停が優等列車を待避
・特急以外の全ての優等列車が停車する主要駅
・ロマンスカーの数少ない途中停車駅
・遊園地の最寄り
現在と比べて乗降人員が多かったわけではありませんが、小田急の中では重要な位置付けで、他の駅とは多くの点で差別化されていました。
住むという点でも、多くの列車が停車する駅であり、利便性は抜群だったといえます。
大きく変化した向ヶ丘遊園の役割
小田急にとって重要な位置付けとなっていた向ヶ丘遊園は、徐々にその役割を変えてきました。その背景にあったのは、インター区間の発展です。
町田駅の周辺等、古くから栄えていたエリアはありましたが、それ以外が徐々に発展してきました。
それでも、平成に入った頃はまだ開発途上の地域が多く残っており、運行頻度はサバー区間を中心に高くなっていたのです。
現在と比較した場合、圧倒的に各駅停車の本数が多い状況となっていました。
しかし、インター区間が発展するのに合わせて、運行頻度は徐々に変化を始めます。
各停は長編成化しつつも本数が減らされ、優等列車が増加しました。
多摩急行や快速急行等、向ヶ丘遊園を通過する種別も設定されていきます。
境界駅としての立場は徐々になくなり、現在は新百合ヶ丘や相模大野がその役割を引き継いでいます。
一方で、日中を中心に東京メトロ千代田線との直通列車が折り返す駅としての役割が与えられ、昔とは別の境界点になった面もあります。
現在はロマンスカーが停車することがなくなりましたが、通勤急行が停車するようになる等、一定の利便性は確保されています。
これらの点だけを見ると、遊園地が閉園したことも含めて、向ヶ丘遊園が衰退したような印象になりますが、その先の区間が発展したことで位置付けが変わった影響が大きく、どちらかというと普通の主要駅になったということなのでしょう。
おわりに
座りたくて向ヶ丘遊園止まりの列車に乗り、後続を待った記憶が残っている方も多いのではないでしょうか。現在はそういった利用の仕方はあまりしなくなったように思いますが、それだけ優等列車が充実したということなのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (35)
複々線になって日中の各駅停車は待避がなくなり、準急も運転されるようになってここは変化したと思います。ただ快速急行は向ヶ丘遊園通過なので乗り換えは次の登戸でとなります。
ワタシダ
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ワタシダ
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毎回毎回思うのですが、参考のためと称して他社線と比較することになんの意味があるのでしょうか?
沿線環境や成り立ちも違うことを「参考のため」と並べ立てても「だからなに?」でしかありません。
よく似てるというのも個人の主観だけ、しかも毎回情報自体も正確さを欠いてらっしゃる…っていうよりデタラメだらけ。
そしてそういうことをやんわりとご指摘されてる方への返信もピントずれてますし。
ワタシダ
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向ヶ丘遊園駅は都心側と郊外側の境界駅、といっても過言ではありません。現在の千代田線直通は成城学園前・向ヶ丘遊園発着が多くなりましたが、ダイヤ乱れによる直通運転中止をできるだけ減少させる効果や代々木上原から折返しやすい距離であること、また始発列車を多く設定していることで着席チャンスが恵まれていること。それに尽きるのではないかと僕は思います。
ロマンスカーは長らく停車駅でありましたが、遊園地の廃止により停車駅としての使命は終えたと思います。急行は登戸・向ヶ丘遊園と連続停車しますが、今更向ケ丘遊園を外すとは考えにくいです。それはさておき、優等列車が連続停車しているところはあちこちで見かけますが、一度停車駅にしてしまうと今更通過駅にはできない事情があります。
例えば東急東横線の急行は東急多摩川線と接続する多摩川駅が急行停車駅に加わり、田園都市線ではあざみ野駅が急行停車駅に加わったことで両方とも3駅連続停車になりました。多摩川駅は目蒲線から東急多摩川線に運行系統変更したことで、東横線⇔東急多摩川線の意アクセス改善によって停車させるようになりました。あざみ野駅は横浜市営地下鉄線開業当時は通過駅だったのが、地下鉄からの乗り換え客が年々増加し、他の駅と匹敵するほどのレベルになったことや横浜市側からの要望も関係しています。
向ヶ丘遊園駅の話に戻しますが、明治大学や専修大学だけでなく、駅の北側には多摩区役所もあるので、やはり拠点駅でもあるのです。新宿から急行で最速20分という距離であることは広告等でアピールしやすく、今後もそのスタンスは変わらないだろうと思います。
ワタシダ
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戦時中は 代田 登戸 新宿…
連絡線があちこちに
各停が新宿~遊園の各駅
準急が遊園までの速達と遊園~本厚木の各駅
急行が本厚木までの速達と本厚木~新松田の各駅
とクッキリ分かれる時代が続いて
Y字の引上げ線しかない遊園も緩急接続という点では重要な駅でしたね…
ワタシダ
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ただ、その川が昔は多摩川だったのが今や相模川になりましたが。
ワタシダ
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モノレールはおらが町の名物でした。
あのモノレール、一時期運転席前面をウルトラマン風の造形物を被って運航していたの覚えていますかね?自分幼稚園時代にあれを見るのが毎回楽しみにでした。
ワタシダ
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登戸駅北側が、一帯を更地にしての再開発が進むのを見るにつけ、登戸~向ヶ丘遊園間の下り線の線増用地の確保が難航している様子に、なんとかならないものか、と思います。 千代田線準急の折り返し以外は、個性が減ってしまいましたね。
ワタシダ
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昭和の時代の頃とは役割は変わって来ているでしょうけどインターとサバーの境界駅、今も準急の停車駅がその時代の名残を表しています。
ワタシダ
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あの頃は新宿~向ヶ丘遊園間は優等が10分に2本走ってた計算になるのかな。
だとすると今は優等の数が減便されてるのかな。
ワタシダ
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その後、各停は本厚木行きが増え、おそらく無表示は本厚木行きに明け渡したと思うのですが、今ではどうなっているのでしょうか。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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向ケ丘遊園駅の果たす役割は都心区間各駅停車の折り返し駅としても重要ですね。私はもともと江ノ島線沿線住民でしたから子供の頃は向ケ丘遊園行きの表示を見るだけで感動できました。分割編成による二方向の行先表示は別として行先表示幕に文字数の多い駅名が表示されるのってなんかかっこよく感じたんですよね。
そして向ケ丘遊園駅といえば私にとってはかつてモノレールが駅前から遊園地を結んでいた場所です。
改めて写真を見るだけで懐かしいですがあの塗色はロマンスカーをイメージしていたのでしょうか?なんかウルトラマンを連想しそうな気もしますが。
登戸-向ケ丘遊園駅周辺の再開発もペースは遅いものの進展して周辺の景色もかなり変わりました。
将来的にはここの下り線も複々線化がされる日が来るのでしょうか?
ワタシダ
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今でも急行は全停車ですが、現状はそこまで急行停車駅としての価値はないと思います。
ワタシダ
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