地球温暖化によって気温が上昇し、冷房がない生活は難しくなってきた現代の日本。
鉄道車両でも冷房は標準装備となり、小田急も全車両が冷房車となっていますが、昔は冷房がない車両が当たり前という時代がありました。
初めて小田急に冷房車が登場してから、全車両が冷房車となるまでには何年を要したのでしょうか。
画期的な車両となった3000形ですが、登場時は冷房を搭載しておらず、1962年から追加で設置されたものです。
つまり、小田急初の冷房車は、1962年に登場したということになります。
翌年の1963年に登場した3100形(NSE)も当然冷房車で、早い段階でロマンスカーは冷房車が当たり前となっています。
3000形が32両、3100形が77両ですから、この段階で109両が冷房車になっていました。
通勤型車両の冷房車は、少し遅れた1968年に登場しました。
登場したといっても、最初は試験的に改造された1両のみで、2400形のクハ2478だけが冷房車となりました。
国鉄の御殿場線に乗り入れるため、この時期に3000形は編成の組み替えを行い、その際に2両を廃車ししたことから、冷房車の合計は108両となりました。
そして、1972年までに非冷房で登場した5000形も冷房車に改造され、いよいよ冷房車の本格的な導入が始まります。
冷房車の導入は、新しい車両を冷房車で導入して古い車両を廃車、比較的新しい車両は冷房車に改造するという流れで進められました。
この時点での冷房車は、2400形の1両と、5000形の48両でしたが、続いて9000形が冷房車で登場し、小田急の冷房車は徐々に増加していきます。
5000形の次に冷房化の対象となったのは、大型車の2600形でした。
1972年から改造が始められますが、全車の冷房化が完了したのは1981年のことで、約9年を要しています。
その間には9000形や6両の5000形が冷房車で新造され、非冷房の中型車が置き換えられていきました。
5000形の増備が終わった段階の冷房車は、2400形が1両、2600形が132両、5000形が180両、9000形が90両で、合計は403両となっています。
1982年には8000形が冷房車で登場し、いよいよ非冷房車を一掃するための動きが始まります。
非冷房車の2200系列を置き換えた後は、8000形と1000形によって2400形を置き換え、同時に4000形を冷房車に改造することで、一気に冷房車の比率が引き上げられていきました。
こうして1989年に冷房化率100%が達成され、全ての車両が冷房車となりました。
ロマンスカーで冷房車が登場してから約27年、2400形が試験的に冷房を搭載してから約21年、5000形の冷房車が登場してからでは約18年でした。
今の時代に非冷房車が残っていたら、暑すぎて倒れる人が続出してしまいそうですね。
鉄道車両でも冷房は標準装備となり、小田急も全車両が冷房車となっていますが、昔は冷房がない車両が当たり前という時代がありました。
初めて小田急に冷房車が登場してから、全車両が冷房車となるまでには何年を要したのでしょうか。
ロマンスカーから始まった小田急の冷房車
小田急で初めての冷房車となったのは、1957年に登場したロマンスカーの3000形(SE)でした。画期的な車両となった3000形ですが、登場時は冷房を搭載しておらず、1962年から追加で設置されたものです。
つまり、小田急初の冷房車は、1962年に登場したということになります。
翌年の1963年に登場した3100形(NSE)も当然冷房車で、早い段階でロマンスカーは冷房車が当たり前となっています。
3000形が32両、3100形が77両ですから、この段階で109両が冷房車になっていました。
通勤型車両の冷房車は、少し遅れた1968年に登場しました。
登場したといっても、最初は試験的に改造された1両のみで、2400形のクハ2478だけが冷房車となりました。
国鉄の御殿場線に乗り入れるため、この時期に3000形は編成の組み替えを行い、その際に2両を廃車ししたことから、冷房車の合計は108両となりました。
新造と改造で進められた通勤型車両の冷房化
通勤型車両として初めて冷房車で新造されたのは、1971年に登場した5000形の3次車でした。そして、1972年までに非冷房で登場した5000形も冷房車に改造され、いよいよ冷房車の本格的な導入が始まります。
冷房車の導入は、新しい車両を冷房車で導入して古い車両を廃車、比較的新しい車両は冷房車に改造するという流れで進められました。
この時点での冷房車は、2400形の1両と、5000形の48両でしたが、続いて9000形が冷房車で登場し、小田急の冷房車は徐々に増加していきます。
5000形の次に冷房化の対象となったのは、大型車の2600形でした。
1972年から改造が始められますが、全車の冷房化が完了したのは1981年のことで、約9年を要しています。
その間には9000形や6両の5000形が冷房車で新造され、非冷房の中型車が置き換えられていきました。
5000形の増備が終わった段階の冷房車は、2400形が1両、2600形が132両、5000形が180両、9000形が90両で、合計は403両となっています。
1982年には8000形が冷房車で登場し、いよいよ非冷房車を一掃するための動きが始まります。
非冷房車の2200系列を置き換えた後は、8000形と1000形によって2400形を置き換え、同時に4000形を冷房車に改造することで、一気に冷房車の比率が引き上げられていきました。
こうして1989年に冷房化率100%が達成され、全ての車両が冷房車となりました。
ロマンスカーで冷房車が登場してから約27年、2400形が試験的に冷房を搭載してから約21年、5000形の冷房車が登場してからでは約18年でした。
おわりに
冷房車が当たり前となり、扇風機や窓から入る風のみを頼りに涼んだ時代は、どんどん遠くなりつつあります。今の時代に非冷房車が残っていたら、暑すぎて倒れる人が続出してしまいそうですね。
コメント
コメント一覧 (25)
最後は1000形で2400形を置き換えたってことですよね?
ちょっとビックリ。
1000形ってもう古い形式なんですよね。。
まだ自分の中では、1000形は新車なんだけどなぁ…。
ワタシダ
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藤沢方面から乗って相模大野まで来てから冷房を入れるなんて事が、私が通学で利用してた80年代後半に何度か経験してます。
ワタシダ
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ところで小田急の冷房装置は何故分散式だったのでしょうか?最近は集中式に変わったのでコスト面などで結果その方が良いと判断されたということなのですかね。
ワタシダ
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冷房の効きは悪かったけども、暖房の効きは段違いに良かったと思います。
乗ったら暑いぐらいでした。
2600、5000、5200、9000形の冷房は、冷気吹出口が不規則な配置となってたように思います。
なので、どこからどの程度の量の冷気が降ってきてるのか分からなかったです。
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しかし札幌市地下鉄やユーカリが丘線など、非冷房車100%の路線もあります。
ワタシダ
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「冷房車が混雑する」ありましたね。山手線と京浜東北線で乗客の入れ替わりもあったようです。私は非冷房車を選んで乗ることもありました。確かに暑いですが、車内の混雑度が幾分低かったので。当時のラッシュは酷いものでしたからね。
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こんなコロナ禍でも窓あけを積極的にする乗客は限られ、髪が乱れる、雨が吹き込むなどクレームもあるようですが、非冷房だったときは生死に関わる??ので雨が多少吹き込もうが上段は開けてましたね。小田急は上段窓は1段上昇で半開とかできないのでみんなガバっとあけて下段窓を少し上に開けるってのが定番でしたね。営団6000系の1段下降窓は座っている人に風が当たらず、あれはほんと暑かった。。。
乗客の協力といえば、地下鉄直通準急で代々木上原前後でみんなで一斉に窓あけをする、そんな車内雰囲気も過去のものですな。
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ワタシダ
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もうちょうど半世紀も前のことになるのですね。
ワタシダ
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