以前は通勤型車両を使用して運転される種別として、最上位に位置付けられていた小田急の急行。
快速急行の運転本数が増加したことで、現在の役割は変化しており、昔の準急に近い存在となっています。

そんな小田急の急行の中に、以前は赤丸急行という不思議な列車が設定されていました。
現在は見られなくなった赤丸急行について、今回は振り返ってみたいと思います。

通常の急行より停車駅が多い赤丸急行

以前の小田急には、大きく分けて二つの急行が存在していました。
列車種別としてはどちらも同じ急行ですが、小田原線の末端区間での停車駅が異なっており、開成から足柄までの各駅を通過する列車と、停車する列車があったのです。

車両に表示される種別は、どちらも急行の表記で違いがないものの、時刻表や駅での案内には赤い丸が付けられていたため、赤丸急行と呼ばれるようになりました。
利用者としては紛らわしい列車であり、本厚木から先は終点まで各停となることから、歓迎されない面もあったといえます。

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本来であれば、本厚木で種別変更を行うことで、本厚木から小田原までの区間は各停で走れば良さそうですが、分割併合を行う列車があったことや、急行という名称が示す価値の違いが、それを許さなかったのかもしれません。
また、以前の小田急は列車種別としての終点を表示していましたから、行先が本厚木になることを避けたのでしょう。

赤丸急行が設定されていた背景

通常より停車駅が多い赤丸急行は、1983年3月23日のダイヤ改正で登場しました。
新松田から小田原の区間には、通過する急行を補完するための各停が設定されていましたが、これの一部を赤丸急行に置き換えたものです。
路線図等では、急行の一部が停車することが明記され、停車駅が異なる二種類の急行が走るようになりました。

赤丸急行は時期によって設定されている割合が異なり、列車の長編成化によって徐々に減少していきました。
開成から足柄までの各駅はホームの長さが6両分までしかなく、10両のまま小田原まで走る急行については、そもそも停車することができなくなってしまいました。

2008年3月15日のダイヤ改正以降は、分割併合を行う列車が激減してしまったことから、区間運転の列車で見られる存在となっていきます。
そして、2012年3月17日のダイヤ改正で新宿発着の列車から赤丸急行が消滅、2018年3月17日の複々線化が完成したことに伴うダイヤ改正において、赤丸急行は過去のものとなりました。

しかし、赤丸急行としては消滅してしまったものの、同様の列車自体は今も残っています。
赤丸急行が消滅したダイヤ改正以降、行先は最終的に到着する駅を表示するように変わりました。
例えば、小田原から各駅停車の相模大野行きとして出発し、新松田で種別を急行に変更するような列車があり、こういった列車が現在も実質的な赤丸急行となっています。

おわりに

小田原まで行く際、赤丸急行に当たると損した気分になったものでした。
その分ロマンスカーに乗る価値が高かったようにも思いますが、のんびりと向かう旅というのも、それはそれで良かったのかもしれませんね。