以前は通勤型車両を使用して運転される種別として、最上位に位置付けられていた小田急の急行。
快速急行の運転本数が増加したことで、現在の役割は変化しており、昔の準急に近い存在となっています。
そんな小田急の急行の中に、以前は赤丸急行という不思議な列車が設定されていました。
現在は見られなくなった赤丸急行について、今回は振り返ってみたいと思います。
列車種別としてはどちらも同じ急行ですが、小田原線の末端区間での停車駅が異なっており、開成から足柄までの各駅を通過する列車と、停車する列車があったのです。
車両に表示される種別は、どちらも急行の表記で違いがないものの、時刻表や駅での案内には赤い丸が付けられていたため、赤丸急行と呼ばれるようになりました。
利用者としては紛らわしい列車であり、本厚木から先は終点まで各停となることから、歓迎されない面もあったといえます。
本来であれば、本厚木で種別変更を行うことで、本厚木から小田原までの区間は各停で走れば良さそうですが、分割併合を行う列車があったことや、急行という名称が示す価値の違いが、それを許さなかったのかもしれません。
また、以前の小田急は列車種別としての終点を表示していましたから、行先が本厚木になることを避けたのでしょう。
新松田から小田原の区間には、通過する急行を補完するための各停が設定されていましたが、これの一部を赤丸急行に置き換えたものです。
路線図等では、急行の一部が停車することが明記され、停車駅が異なる二種類の急行が走るようになりました。
赤丸急行は時期によって設定されている割合が異なり、列車の長編成化によって徐々に減少していきました。
開成から足柄までの各駅はホームの長さが6両分までしかなく、10両のまま小田原まで走る急行については、そもそも停車することができなくなってしまいました。
2008年3月15日のダイヤ改正以降は、分割併合を行う列車が激減してしまったことから、区間運転の列車で見られる存在となっていきます。
そして、2012年3月17日のダイヤ改正で新宿発着の列車から赤丸急行が消滅、2018年3月17日の複々線化が完成したことに伴うダイヤ改正において、赤丸急行は過去のものとなりました。
しかし、赤丸急行としては消滅してしまったものの、同様の列車自体は今も残っています。
赤丸急行が消滅したダイヤ改正以降、行先は最終的に到着する駅を表示するように変わりました。
例えば、小田原から各駅停車の相模大野行きとして出発し、新松田で種別を急行に変更するような列車があり、こういった列車が現在も実質的な赤丸急行となっています。
おわりに
小田原まで行く際、赤丸急行に当たると損した気分になったものでした。
その分ロマンスカーに乗る価値が高かったようにも思いますが、のんびりと向かう旅というのも、それはそれで良かったのかもしれませんね。
快速急行の運転本数が増加したことで、現在の役割は変化しており、昔の準急に近い存在となっています。
そんな小田急の急行の中に、以前は赤丸急行という不思議な列車が設定されていました。
現在は見られなくなった赤丸急行について、今回は振り返ってみたいと思います。
通常の急行より停車駅が多い赤丸急行
以前の小田急には、大きく分けて二つの急行が存在していました。列車種別としてはどちらも同じ急行ですが、小田原線の末端区間での停車駅が異なっており、開成から足柄までの各駅を通過する列車と、停車する列車があったのです。
車両に表示される種別は、どちらも急行の表記で違いがないものの、時刻表や駅での案内には赤い丸が付けられていたため、赤丸急行と呼ばれるようになりました。
利用者としては紛らわしい列車であり、本厚木から先は終点まで各停となることから、歓迎されない面もあったといえます。
本来であれば、本厚木で種別変更を行うことで、本厚木から小田原までの区間は各停で走れば良さそうですが、分割併合を行う列車があったことや、急行という名称が示す価値の違いが、それを許さなかったのかもしれません。
また、以前の小田急は列車種別としての終点を表示していましたから、行先が本厚木になることを避けたのでしょう。
赤丸急行が設定されていた背景
通常より停車駅が多い赤丸急行は、1983年3月23日のダイヤ改正で登場しました。新松田から小田原の区間には、通過する急行を補完するための各停が設定されていましたが、これの一部を赤丸急行に置き換えたものです。
路線図等では、急行の一部が停車することが明記され、停車駅が異なる二種類の急行が走るようになりました。
赤丸急行は時期によって設定されている割合が異なり、列車の長編成化によって徐々に減少していきました。
開成から足柄までの各駅はホームの長さが6両分までしかなく、10両のまま小田原まで走る急行については、そもそも停車することができなくなってしまいました。
2008年3月15日のダイヤ改正以降は、分割併合を行う列車が激減してしまったことから、区間運転の列車で見られる存在となっていきます。
そして、2012年3月17日のダイヤ改正で新宿発着の列車から赤丸急行が消滅、2018年3月17日の複々線化が完成したことに伴うダイヤ改正において、赤丸急行は過去のものとなりました。
しかし、赤丸急行としては消滅してしまったものの、同様の列車自体は今も残っています。
赤丸急行が消滅したダイヤ改正以降、行先は最終的に到着する駅を表示するように変わりました。
例えば、小田原から各駅停車の相模大野行きとして出発し、新松田で種別を急行に変更するような列車があり、こういった列車が現在も実質的な赤丸急行となっています。
おわりに
小田原まで行く際、赤丸急行に当たると損した気分になったものでした。その分ロマンスカーに乗る価値が高かったようにも思いますが、のんびりと向かう旅というのも、それはそれで良かったのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (25)
(当時と違い新松田で各駅停車への変更とはいえ……本厚木から変更ではないのはいつも通り)
ワタシダ
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その間の 11 31 51分 小田原・藤沢行きは新松田~小田原が各駅停車で
小田原に着くと1本後の湯本急行がすぐに追い付いてくる…
なんていうパターンだった記憶が……
ワタシダ
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ワタシダ
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ちなみに赤丸急行消滅後、それまでの停車駅は全て各駅停車のみの停車となってしまいましたが、開成駅のみホームの10両化が行われ急行が再び停車するように。相模大野より先の区間は唯一快速急行の通過する駅となっていますが、殆どの快速急行が手前の新松田で種別変更するので、実質快速急行停車駅にまで昇格しました。
もう6年くらい前、部活の遠征でここまで来た時、帰りに通過するはずの急行が到着して驚いたことがありました。しかも急行では初めて見た相模大野行き。この列車はなんなのかと疑問に思いましたが、自分でスマホを持つようになり、赤丸急行という種別を見つけ納得しました。
ワタシダ
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通勤車分併廃止までの小田原行終電・小田原発初電は長い事赤丸急行だったわけですし。
(前者は江ノ島線終電への連絡便でもあったので江ノ島線民にもお馴染みでした)
ワタシダ
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しかし、これの車内での案内が「この列車は、新松田から急行小田原行きになります」と言うもの。これって、どうなんだろうか?、といつも疑問に思っています。 急行小田原行きに変わって、何が違うか、と言えば開成に停車するだけ。
ならば、「この列車は、開成にも停車いたします」で充分であり、むしろ停車駅が明示され、望ましいように思います。
優等列車の停車扱いの「例外」を極力減らそうとし、現在は経堂の急行停車の件(時間帯による)、のみとなっておりますが、この辺は、もう少し柔軟でも良いのでは、と思うのですが。
ワタシダ
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新宿駅みたいに先発列車の停車駅が路線図で表示されているものが各駅に設置されていればとも思いますがその複雑さ故に簡単でなかったのでしょう。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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わかりにくさと途中駅種別変更列車というのが社内でのはやり、というのもあってそういうダイヤにはなってないですが。
ワタシダ
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江ノ島線各停とルーティーン運用になっていたような
ワタシダ
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帰りのロマンスカーあしがら号(さがみ号だったかも?)が格別でした
平成11年・99年ごろの思い出
ワタシダ
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しかし今となっては途中駅における分割併合の廃止や小田原線系統における列車の長編成化に伴い、小田原線末端区間折り返しの各停に置き換えられました。これにより栢山〜足柄間の各駅から新松田以東及び箱根登山線方面に向かう列車は大幅に減少し、挙句の果てには途中駅で種別変更する列車に変更されたことで赤丸急行という種別自体も発展的解消の運びとなりました。
そのうち赤丸急行の停車駅パターン(本厚木以西各停となる急行)自体も消滅する日が近づいとるのかもしれませんね。
ワタシダ
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ワタシダ
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栢山から小田原に行く際、栢山を通過する急行と栢山に停車する急行を見て、不思議に思ったものでした。
記事中にも出てきた、新松田で化け急する相模大野行きにも乗ったことがあります。
赤丸急行が走っていた時は、レーティッシュカラーの1000形の新松田乗り入れもありましたし、小田急顔の5000形も走っていて、楽しいものでした。
ワタシダ
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そっちは完全に廃止されてしまいました。
ワタシダ
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