代々木上原から登戸まで、立派な複々線区間が続くようになった小田急の小田原線。
平成の初期段階では、ほぼ全てが複線区間だったことを考えると、その変化は凄まじいものがあります。
小田原線のほとんどが複線だった頃は、現在の登戸から先の区間のように、待避線がある駅で各駅停車が優等列車の待避を行っていました。
今回は、複々線化された区間で、昔は待避線があった駅を紹介します。
早くから代々木上原と東北沢の間は複々線となっていましたが、東北沢の待避線を延長した程度の規模で、現在のような派手な並走は見ることができませんでした。
東北沢は各駅停車のみが停車する駅で、新宿から必死に逃げてきた列車は、ここで急行や特急の通過待ちをしていたのです。
急行線にはホームがなかったため、通過待ち以外はそもそもできない駅であり、比較的珍しい構造だったといえます。
代々木上原を出れば、複々線区間で追い抜くことも可能ではありましたが、抜かれる前に駅に到着してしまうため、そのような光景はほとんどなかったように思います。
上り列車の場合は、各停が出発しつつ、優等列車が横を走っていく光景もあったと記憶していますが、複々線区間の追い抜きといったような雰囲気ではありませんでした。
東北沢の次に待避線を備えていたのは、5駅先にある経堂です。
経堂も東北沢に続いて一癖ある駅で、急行以上の種別が通過、準急は朝のラッシュ時や東京メトロ千代田線に直通する列車は通過するという分かりにくい状態で、ホームも8両分しかありませんでした。
ホームの長さが足りないことが、一部の準急が通過することにも繋がっていました。
このように、都心部に近いほど待避線がある駅には個性があり、趣味的にも面白い面がありました。
各駅停車はこれらの駅で抜かれるばかりであり、乗り換えがしやすいとはいえない状況でした。
2面4線で10両が停車できる最初の駅であり、よく見られる形態がようやく出現してきます。
多くの各駅停車は成城学園前で緩急接続を行っており、急行が到着するまでは各駅停車の中で待つということが可能でした。
都心部を抜けてきたことを実感するのはこの付近で、徐々に郊外の雰囲気となっていきます。
成城学園前を出ると、現在の複々線区間で待避線がある駅は存在せず、次の急行停車駅である登戸も昔は2面2線の相対式ホームでした。
次に待避線があるのは向ヶ丘遊園で、駅の構造としては成城学園前と基本的に同様です。
振り返ってみると、都心部で待避線がある駅は少なく、列車種別が少なかった背景には、優等列車の運転本数が増やせなかったという事情もあるのかもしれません。
待避できる駅が限られるためか、各駅停車は複数の列車を退避するために長時間停車があり、乗り通すストレスはかなりのものでした。
振り返ってみれば、各駅停車は待避線がある駅まで頑張って逃げ切り、そこでまとめて待避をするという光景が、昔の小田急の日常でした。
平成の初期段階では、ほぼ全てが複線区間だったことを考えると、その変化は凄まじいものがあります。
小田原線のほとんどが複線だった頃は、現在の登戸から先の区間のように、待避線がある駅で各駅停車が優等列車の待避を行っていました。
今回は、複々線化された区間で、昔は待避線があった駅を紹介します。
通過待ちの名所だった2駅
新宿を出発して、最初に待避線があった駅は東北沢です。早くから代々木上原と東北沢の間は複々線となっていましたが、東北沢の待避線を延長した程度の規模で、現在のような派手な並走は見ることができませんでした。
東北沢は各駅停車のみが停車する駅で、新宿から必死に逃げてきた列車は、ここで急行や特急の通過待ちをしていたのです。
急行線にはホームがなかったため、通過待ち以外はそもそもできない駅であり、比較的珍しい構造だったといえます。
代々木上原を出れば、複々線区間で追い抜くことも可能ではありましたが、抜かれる前に駅に到着してしまうため、そのような光景はほとんどなかったように思います。
上り列車の場合は、各停が出発しつつ、優等列車が横を走っていく光景もあったと記憶していますが、複々線区間の追い抜きといったような雰囲気ではありませんでした。
東北沢の次に待避線を備えていたのは、5駅先にある経堂です。
経堂も東北沢に続いて一癖ある駅で、急行以上の種別が通過、準急は朝のラッシュ時や東京メトロ千代田線に直通する列車は通過するという分かりにくい状態で、ホームも8両分しかありませんでした。
ホームの長さが足りないことが、一部の準急が通過することにも繋がっていました。
このように、都心部に近いほど待避線がある駅には個性があり、趣味的にも面白い面がありました。
各駅停車はこれらの駅で抜かれるばかりであり、乗り換えがしやすいとはいえない状況でした。
各駅停車と急行が乗り換えられる駅
経堂から少し進むと、同一のホームで各駅停車と急行の乗り換えができる成城学園前に到着します。2面4線で10両が停車できる最初の駅であり、よく見られる形態がようやく出現してきます。
多くの各駅停車は成城学園前で緩急接続を行っており、急行が到着するまでは各駅停車の中で待つということが可能でした。
都心部を抜けてきたことを実感するのはこの付近で、徐々に郊外の雰囲気となっていきます。
成城学園前を出ると、現在の複々線区間で待避線がある駅は存在せず、次の急行停車駅である登戸も昔は2面2線の相対式ホームでした。
次に待避線があるのは向ヶ丘遊園で、駅の構造としては成城学園前と基本的に同様です。
振り返ってみると、都心部で待避線がある駅は少なく、列車種別が少なかった背景には、優等列車の運転本数が増やせなかったという事情もあるのかもしれません。
待避できる駅が限られるためか、各駅停車は複数の列車を退避するために長時間停車があり、乗り通すストレスはかなりのものでした。
おわりに
複々線化が完成したことにより、都心部では追い抜きが容易になった小田急の小田原線。振り返ってみれば、各駅停車は待避線がある駅まで頑張って逃げ切り、そこでまとめて待避をするという光景が、昔の小田急の日常でした。
コメント
コメント一覧 (15)
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東北沢だけが相対式ホームの間に通過線2本を配置していて、1970年代前半、鉄道雑誌でこの種の配線は「東北沢型」か「新幹線型」と紹介されていたのを記憶しています。
東北沢と同様の配線の駅としてはA80&481が指摘されていますが、他に名鉄堀田、近鉄瓢箪山、近鉄河内天美、南海住吉東、阪急六甲などが挙げられます。都心ターミナルに近い所に設置されることが多いことがわかります。京急鮫洲は高架になる前は相対式ホームでした。鮫洲を2段重ねた形の近鉄布施は奈良線と大阪線の都心に一番近い退避駅です。
ワタシダ
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東北沢駅の通過待ちは僕が現住所に転居するまで、苦痛の場所でした。かつて利用していた最寄り駅から新宿までひたすら各駅停車で行くと17分かかった記憶があり、新宿も遠いものだと実感してしまうくらいでした。また、代々木上原寄りはロマンスカーや一般車の回送列車が長時間にわたって停車していました。ロマンスカーに関しては営業列車の合間を縫っての回送だったので、新宿~経堂(検車区廃止に伴い喜多見検車区に変更)間はかなりの時間を要していたそうです。現在は緩行線を走行しているそうですが。
東北沢駅と同じような構造が西武新宿線の沼袋駅、東武スカイツリーラインの鐘ヶ淵駅。京急線の南太田駅、成田スカイアクセス線(京成成田空港線)の成田湯川駅が挙げられます。沼袋駅は現在地下化工事中で、通過線が1本減らされましたが、それ以外の駅の光景を見ると僕は昔の東北沢駅のことを思い出すことが多いです。
東北沢といえば開かずの踏切が有名であり、踏切を渡る東急バスの「渋55」は定時運行するのが大変だったそうです。通過待ち廃止や地下化されても道幅は狭いままで、松陰学園のある三角橋付近から井の頭通りと交差する大山交差点までは渋滞が著しいものでした。さらに利用者の減少も進んだこともあり、今年3月31日をもって「渋55」の東北沢~幡ヶ谷折返所間は廃止されました。ちなみに僕は先月東北沢から歩いて跡地を確認してきたところ、賃貸駐車場に整備されていました。
現在、「渋55」は東北沢駅のバスロータリーから発着していますが、毎時1本の超ローカル路線に成り下がりました。幡ヶ谷エリアに関しても甲州街道を走る京王バスが比較的本数の多いことや「渋55」の区間と並走するハチ公バス(京王バスに委託)の運賃が安いこともあり、僕は今後の先行きを考えても決して安泰ではないと思います。
ワタシダ
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東北沢ー代々木上原間の複々線?留置線?で回送電車(特に上り特急車両)が長時間待ち合わせをしたり、
そこを出入庫扱い(到着前後で列番変更)する電車が多数存在したのを覚えています。
ワタシダ
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通勤通学時も、朝:経堂3分、帰宅時:東北沢・経堂、各々3-4分、計約10分/日、退避待ちをしていた状況です。新宿までも27-8分。
通勤の実働日=約250日/年とすると、250✖10分=2500分≒2日/年、まるまる退避しているようなものでした。
複々線化の完成途上で登場した区間準急で、退避待ち無しで、新宿まで18分ほどで行けるとなった日は、まるで夢のようでした。
ワタシダ
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現に、代々木上原からの最初の複々線は、そのまま東北沢に繋がっていましたから。
ワタシダ
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京阪の普通列車は京橋を出たあと、寝屋川市までの複々線区間でバンバン特急や急行に抜かれとりますし、特急は枚方市までノンストップという小田急の快速急行並みの走りを見せます。
また京王は新宿を出たあと、桜上水、八幡山、つつじヶ丘とこまめに待避駅が続き、各停はその都度優等列車を待避するという、かつての小田急における各停とよく似たような運転パターンをしとります。
ワタシダ
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京急は品川を出発すると、最初に待避線がある鮫洲まで普通が逃げ、後続の快特を待避するというようなものです。
ワタシダ
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