1988年に営業運転を開始した小田急1000形。
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
新製された車両では最初の8両固定編成で、同時期に組み替えられた2600形の編成も加わり、今日に繋がる固定編成化の流れを作りました。
当時の小田急では、4両を2編成繋いで8両として各停に充当していましたが、中間に先頭車が入ることで収容力が落ちてしまっていました。
そこで、分割併合がない8両は固定編成化を推進することとなり、その結果生まれたのが1081Fだったということになります。
編成は10両からサハ1290とデハ1240を抜いた構成となっており、10両が40番台とされたのに対して、8両は30番台とされました。
1081Fだけの仕様変更がいくつかあり、目立つものとしては路線図式の案内装置の採用や、車内非常通報装置を対話可能なものとする等があり、2000形の装備品へと繋がりました。
その後8両の編成が増備されることはなく、1000形で唯一の8両として活躍していましたが、その希少性が問題視されたのか、付随車の2両以外は廃車となりました。
残った付随車は、リニューアルによる組み替えで10両化され、現在は1097Fの一員として活躍しています。
※左側が新宿方
デハ1031:1次車
デハ1131:1次車
サハ1181:1次車
デハ1331:1次車
サハ1381:1次車
デハ1431:1次車
クハ1481:1次車
デハ1031:川崎重工業
デハ1131:川崎重工業
サハ1181:川崎重工業
デハ1331:川崎重工業
サハ1381:川崎重工業
デハ1431:川崎重工業
クハ1481:川崎重工業
デハ1031:1993年2月8日
デハ1131:1993年2月8日
サハ1181:1993年2月8日
デハ1331:1993年2月8日
サハ1381:1993年2月8日
デハ1431:1993年2月8日
クハ1481:1993年2月8日
デハ1031:調査中
デハ1131:調査中
デハ1331:調査中
デハ1431:調査中
クハ1481:調査中
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1081Fの概要
1000形では唯一の8両固定編成で、1993年に1次車が1編成だけ登場しました。新製された車両では最初の8両固定編成で、同時期に組み替えられた2600形の編成も加わり、今日に繋がる固定編成化の流れを作りました。
当時の小田急では、4両を2編成繋いで8両として各停に充当していましたが、中間に先頭車が入ることで収容力が落ちてしまっていました。
そこで、分割併合がない8両は固定編成化を推進することとなり、その結果生まれたのが1081Fだったということになります。
編成は10両からサハ1290とデハ1240を抜いた構成となっており、10両が40番台とされたのに対して、8両は30番台とされました。
1081Fだけの仕様変更がいくつかあり、目立つものとしては路線図式の案内装置の採用や、車内非常通報装置を対話可能なものとする等があり、2000形の装備品へと繋がりました。
その後8両の編成が増備されることはなく、1000形で唯一の8両として活躍していましたが、その希少性が問題視されたのか、付随車の2両以外は廃車となりました。
残った付随車は、リニューアルによる組み替えで10両化され、現在は1097Fの一員として活躍しています。
編成表
クハ1081-デハ1031-デハ1131-サハ1181-デハ1331-サハ1381-デハ1431-クハ1481※左側が新宿方
製造区分
クハ1081:1次車デハ1031:1次車
デハ1131:1次車
サハ1181:1次車
デハ1331:1次車
サハ1381:1次車
デハ1431:1次車
クハ1481:1次車
製造所
クハ1081:川崎重工業デハ1031:川崎重工業
デハ1131:川崎重工業
サハ1181:川崎重工業
デハ1331:川崎重工業
サハ1381:川崎重工業
デハ1431:川崎重工業
クハ1481:川崎重工業
竣功日
クハ1081:1993年2月8日デハ1031:1993年2月8日
デハ1131:1993年2月8日
サハ1181:1993年2月8日
デハ1331:1993年2月8日
サハ1381:1993年2月8日
デハ1431:1993年2月8日
クハ1481:1993年2月8日
廃車日
クハ1081:調査中デハ1031:調査中
デハ1131:調査中
デハ1331:調査中
デハ1431:調査中
クハ1481:調査中
コメント
コメント一覧 (7)
ワタシダ
がしました
2000形の試作品の意味合いもあったのでしょうかね。
8両編成という性質上、急行に入るのは早朝にあるかないかという所で、基本的に各停、良くて準急でした。
小田急通勤電車ミュージアム、とか出来ないでしょうかね。
出来たところで、1081Fが展示されるかは別問題ですけども、でもそういうのがあっても良いのかな、て思いました。
ワタシダ
がしました
1081Fがデビューした当時は小田急一般車全体を見ても自動放送やマップ式路線図を搭載している唯一の編成であり、乗車できるとラッキー、みたいな気分になったことは今でも僕の記憶に残っています。しかしながらマップ式路線図は2002(平成14)年改正で「多摩急行」「湘南急行」が追加されそれらに対応しきれない、という理由で2000形第2編成までとともにその部分は広告枠に交換されてしまいました。末期は新規路線の延伸・開業が相次ぎ、乗り換え案内部分は上からシールを重ね張りしていたのも印象に残っています。
1081Fは1000形で唯一8連固定で製造されましたが、その後導入される2000形や3000形8連の礎になったとも言えます。しかしながら1編成だけの存在ということもあり、現場においては扱いづらかったのではないかと今となっては思います。これは1081Fに限らず、乗入れ先の千代田線06系や207系900番台(JR)にも言えることであり、これらは1編成だけの製造でその後は量産化されず、短命に終わってしまいました。
他社の例として現在北陸鉄道浅野川線で活躍している井の頭線3000系の1枚扉車(2編成)の場合、京王在籍時代の1980年代以降は使い勝手が悪く基本的には平日朝運用だけしか入らず、以後引退まで富士見ヶ丘検車区の端っこに固定留置されていました。1081Fとほぼ同時期に製造された東急田園都市線の2000系(現・大井町線9020系)は半蔵門線全通を前に、東武直通改造の対象外とされてしまい以後朝夕しか走らなくなってしまったケースもあります。このように少数派編成は輸送力増強で製造されたケースが多く、その後の状況によっては使い勝手の悪い車両、になってしまうことも少なくありません。
そのように振り返ると1081Fの引退はまさにそれを物語っているのでは、と今となっては思うのです。もう少し現役でいてほしかったのですが、やはり難しかったのかもしれません。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました