1988年に営業運転を開始した小田急1000形。
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1000形としては初めて川崎重工業で製造された編成で、その後1058Fまでが続きました。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線には乗り入れができない編成で、専ら小田急と箱根登山線内で使われました。
登場当初は他の4両の編成と同様に8両での運用を基本とし、各停や準急での活躍が目立ちました。
3000形の8両固定編成が登場すると、8両で運用する機会が少なくなり、10両の新宿方が定位置となっていきます。
最終的には番号の末尾が揃っている1256Fと組むことが基本となり、半固定的な10両で使われるようになりました。
2016年度にはリニューアルが行われ、1256Fと合わせて10両固定編成の1095Fとされたことから、1056Fは消滅しています。
※左側が新宿方
デハ1006:1次車
デハ1106:1次車
クハ1156:1次車
デハ1006:川崎重工業
デハ1106:川崎重工業
クハ1156:川崎重工業
デハ1006:1988年2月12日
デハ1106:1988年2月12日
クハ1156:1988年2月12日
デハ1006:2016年4月25日
デハ1106:2016年4月25日
クハ1156:2016年4月25日


小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1056Fの概要
4両の1次車として1988年に登場しました。1000形としては初めて川崎重工業で製造された編成で、その後1058Fまでが続きました。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線には乗り入れができない編成で、専ら小田急と箱根登山線内で使われました。
登場当初は他の4両の編成と同様に8両での運用を基本とし、各停や準急での活躍が目立ちました。
3000形の8両固定編成が登場すると、8両で運用する機会が少なくなり、10両の新宿方が定位置となっていきます。
最終的には番号の末尾が揃っている1256Fと組むことが基本となり、半固定的な10両で使われるようになりました。
2016年度にはリニューアルが行われ、1256Fと合わせて10両固定編成の1095Fとされたことから、1056Fは消滅しています。
編成表
クハ1056-デハ1006-デハ1106-クハ1156※左側が新宿方
製造区分
クハ1056:1次車デハ1006:1次車
デハ1106:1次車
クハ1156:1次車
製造所
クハ1056:川崎重工業デハ1006:川崎重工業
デハ1106:川崎重工業
クハ1156:川崎重工業
竣功日
クハ1056:1988年2月12日デハ1006:1988年2月12日
デハ1106:1988年2月12日
クハ1156:1988年2月12日
10両固定編成化・改番日
クハ1056:2016年4月25日デハ1006:2016年4月25日
デハ1106:2016年4月25日
クハ1156:2016年4月25日
1056Fの写真



コメント
コメント一覧 (3)
それから、8000形関しても代走運用で8連が時折登場していました。しかしながら8000形による8連各停の代走は2004(平成16)年を最後に見れなくなり、高校在学中は8000形の8連各停で通学できたことは今となっては思い出です。こんな時代はもう二度と味会うことはできないので、今思えば僕にとって黄金時代でもありました。
1000形の話に戻しますが、一昨年のダイヤ改正で渋谷3駅(南新宿・参宮橋・代々木八幡)が10連化されたことにより、新宿口で10連固定編成も含め、各停運用で見かける機会が若干増えました。その一方で今後4+4を見る機会が減ってしまうかどうかは気になるところはあります。
例えば京王は7000系の4+4はそうそう滅多に見られませんし、20年前位には8000系の4+4が何らかの事情で発生したことがあります。京急は自社線内のみで4+4運用がありますが、都営浅草線直通には一切入りません(これは京成3500形更新車も同じ)。中間運転台は小田急に限らず、扱いづらい事業者は多かれ少なかれ抱えているようです。
ワタシダ
が
しました
実際、僕は1097Fと相性が悪いようで、一度も出会った事がありません。
ワタシダ
が
しました
かわらない前面車号横の凹みですが
いつ頃からあったのか気になります。
リニューアル時にも取り替えられなかった
ので、遠目に1095Fと判別できるポイントだと
思います
ワタシダ
が
しました