限られた区間だけを通過する種別で、2016年まで運転されていた小田急の区間準急。
快速急行と同時に誕生した種別であり、このタイミングから種別表示は背景自体を色付けするように変わりました。

通過する区間がとても短く、速達性があるとはいえない区間準急は、何を目的として誕生したのでしょうか。

区間準急はどんな種別だったのか

区間準急は、2004年12月11日のダイヤ改正で設定された種別です。
過去に小田急で区間準急という種別名が使われたことはなく、名称自体が初登場となっています。

一応優等列車ではあるものの、通過する駅が少ないことが特徴で、梅ヶ丘から先は各駅に停車していました。
通過する駅は、南新宿、参宮橋、代々木八幡、東北沢、世田谷代田の5駅のみで、通過する駅がある各駅停車という表現のほうが合うのかもしれません。

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新宿駅では地下ホームに入線し、優等列車は地上ホームの発着という原則にも反している種別でした。
このことからも、どちらかといえば各駅停車に近い種別だったことが分かります。
ほとんどの列車が8両での運転でしたが、6両で運転される列車も少数ながら存在しました。

区間準急が運転されるのは、新宿から唐木田というのが基本であり、小田原線と多摩線を直通運転する列車でした。
この時期の多摩線は、区間準急と多摩急行が小田原線に直通運転を行っていたため、現在より線内折り返しの列車が少なかったのです。
一部には異なる区間を走る列車があり、伊勢原までのロングランや、成城学園前までのショートランも見られました。



登場した当時は、短命の種別になるのではないのかと思われましたが、区間準急は意外と長期に渡って設定され続けました。
廃止されたのは2016年のダイヤ改正で、11年程度設定されていたことになります。

区間準急が誕生した理由

特殊な種別である区間準急が登場したのには、主に二つの理由がありました。
一つ目は複々線化工事のために東北沢の待避線が廃止されたこと、二つ目は新宿に向かわない多摩急行と接続する速達列車の確保です。

区間準急が登場したダイヤ改正では、梅ヶ丘から喜多見の区間が複々線化され、現在に近い緩急分離運転が実現しました。
これによって快速急行の運転が可能となりますが、一方で代々木上原から梅ヶ丘の区間を複々線化するために、東北沢の待避線を廃止する必要が発生してしまうのです。

優等列車は新宿から梅ヶ丘までの区間で各駅停車を追い抜くことができなくなり、各駅停車は優等列車から逃げなくてはいけない苦しい状態となりました。
当時は1時間に8本程度の各駅停車が都心部で運転されており、優等列車から逃げきれない2本を区間準急に変更することで、本数を減らすことを避けています。
また、向ヶ丘遊園で折り返していた列車を多摩線まで延長することで、利便性の向上にも寄与しました。

二つ目の理由である多摩急行との接続については、代々木上原で行われました。
区間準急と多摩急行はホーム上で並ぶようにダイヤが組まれており、新宿から区間準急に乗ると代々木上原で多摩急行に接続し、上りの多摩急行に乗った場合には、先行の区間準急に代々木上原で追いつくようになっていました。
乗り換えは伴うものの、新宿と多摩線は当時から優等列車で結ばれていたことになります。

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通過する駅は少ないものの、多摩急行と組み合わせることで優等列車を乗り通すことができるようになっており、よく考えられた列車だったといえます。
東北沢の問題をプラスに変えていたのが、区間準急の面白いところでした。

おわりに

区間準急が廃止されてから、既に5年以上が経過しました。
意外と便利な列車だった記憶があり、廃止は多摩線ユーザーにとっては残念なものだったのかもしれません。