多くの列車が10両で走るようになり、長編成化が進んだ小田急。
現在は一部の各駅停車も10両となっており、準急以上の優等列車については、ほとんどが10両で運転されています。

10両化が進んだことで、近年は10両固定編成の通勤型車両が小田急では増えています。
小田急における長編成化の歴史は、固定編成化の歴史でもありました。

1両の単行からスタートした小田急

現在の姿からは想像ができませんが、開業時の小田急では単行の列車が走っていました。
車両もそれに合わせた両運転台となっていますが、ラッシュ時等には2両編成での運転も見られたようです。

開業時は乗客が少なかった小田急の利用者は徐々に増加し、それに合わせて編成は少しずつ長くなっていきます。
2両から3両へ、3両から4両へと増強されますが、古い車両は先頭車が多く、それらを寄せ集めて固定編成として使われるようになっていきました。
編成が長くなったとはいえ、小さな車両が繋げられている状態であり、当然現在の両数と同じ輸送力ではありません。

編成が長くなることに合わせて、戦後は中間車を組み込んだ固定編成の時代へと突入します。
1960年代前後までは、2両や4両の編成が基本とされ、これらを組み合わせた6両での運転も見られるようになっていきました。

1963年には2600形が5両固定編成で登場し、1964年には急行が8両での運転を開始します。
この頃から長編成化が一気に加速し、2600形の6両固定編成化等が行われ、2両での増備は結果的に2200形が最後となりました。

長編成化と固定編成化

車両の編成が急激に長くなったことで、小田急では先頭車が多すぎる問題が発生するようになりました。
2両固定編成の車両も沢山在籍し、編成内に多数の先頭車が入っていることは珍しくありませんでした。

1800形や2100形のように、編成内に先頭車を残したまま、実質的に4両固定編成として使われるパターンや、2両を3編成繋いで6両として使われた2200系列のような例が相次ぎますが、完全な中間車化まで行われるケースはほとんどありませんでした。
完全な中間車化を行い、4両固定編成となった1900形のようなケースはあったものの、大型車以外を長く使うことは想定していなかったのか、他の形式には波及していません。

長編成化は続き、1969年には大型車による8両での運転、1977年にはついに10両での運転が始まります。
この動きに合わせて、車両の編成は4両や6両単位が基本となり、前述した半固定編成化が見られるようになりました。
大型車による8両や10両での運転が始まったものの、当時の小田急は相模大野での分割併合が盛んであり、1編成の単位は4両か6両という時代がしばらく続くこととなります。

その状況が変化したのが、1992年に1000形で10両固定編成が登場したことでした。
翌年には8両固定編成も登場し、いよいよ長い固定編成の時代が始まります。

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この頃から、小田急では歴史が繰り返されるような状況となり、9000形が半固定編成化して使われるようになったり、1000形のワイドドア車が組み替えられるような事例が発生します。
そして、古い車両は一気に淘汰が進められ、残された8000形は4両と6両でほぼ半固定編成化、1000形も一時期は4両と6両で半固定編成として使われていました。
8両や10両での運転が始まった頃に行われていたようなことが、近年も発生していたのです。

1000形のリニューアルにおいては、先頭車を中間車化することによる10両固定編成化が行われますが、これは2編成で中止されてしまいました。
1900形が4両固定編成化されながらも、その後他の形式が続かなかったケースに似たものを感じます。
小田急では歴史が繰り返されている、最近はそんな気がしています。

おわりに

今後の小田急では、さらに10両固定編成化が進められていくものと思われます。
編成の中間に先頭車が入るパターンは、徐々に見られなくなっていきそうですね。