海老名駅にロマンスカーミュージアムがオープンし、日常的に小田急の保存車両と触れ合うことができるようになりました。
その一方で、保存されていた車両の一部が解体される際には、ちょっとした騒動も発生しました。

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解体自体は残念ではあったものの、いつかはやらなければいけないことであったのだと思います。
今回の記事では、小田急が保存車両の一部を解体せざるを得なくなった必然性について考えてみたいと思います。

合計で22両もあった小田急の保存車両

保存車両の一部が解体される前には、22両もの車両が保存されていました。
大手の鉄道会社とはいえ、私鉄が保存している車両の両数としては、多いほうだったといえるでしょう。

保存のされ方にも特徴があり、一つの形式を数両ずつ残している状況で、ファンとしてはかなり恵まれている状況でした。
解体前に保存されていた車両は、以下のとおりです。

1100形:1両
2200形:2両
3000形(SE):5両
3100形(NSE):6両
2600形:1両
9000形:1両
10000形(HiSE):3両
20000形(RSE):3両

このように、1編成全てが保存されている形式もありました。
ロマンスカーは保存されている両数が多く、保存スペースの確保が大変だったことは間違いありません。

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3000形以外の車両は、喜多見検車区内でこのように保存されていました。
以前9000形のさよなら列車に乗車した際に、当時の保存車両を撮影する機会に恵まれました。
喜多見検車区は屋根があるため、保存車両を置くには都合が良かったのでしょう。

保存車両を解体せざるを得なかった必然性

屋根がある場所で大切にされてきた保存車両ですが、徐々に困った状況が発生します。
それは、保存車両の置かれ方に起因します。

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このように、保存車両は本来車庫として使用する線路に置かれていたのです。
当然自走はできませんから、移動することも簡単ではありません。
撮影した当時は1線しか使用していませんでしたが、保存車両の増加によって占有する線路も増えてしまいました。

小田急が保存車両の一部を解体したことは、過去にもありました。
3100形のケースが分かりやすく、元々は1編成の全ての車両を保存していたものの、後に中間車の5両が解体されて6両に短縮されています。

車両が1編成で保存されること、それはファンにとって最も嬉しいことです。
しかし、多分その段階で先々のことは考えられていなかったのだと思います。
保存する車両が増えれば、それだけ置いておくスペースが必要となりますから、場所に限りがある以上解体はやむを得ないことだったといえます。

見方を変えれば、3100形の一部を解体していたからこそ、2600形や9000形といった通勤型車両が保存できたのかもしれません。
もしも1編成での保存にこだわり続けていたら、今のように多くの形式が保存されることはなかったでしょう。

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個人的には、2200形だけは1編成で保存してほしかったという思いはありますが、他の鉄道会社での事例を見ても、それは難しかったのかもしれません。
2両が揃っていてこそ価値がある車両なのは間違いないことですが、現実的には難しいこともあるのでしょう。

将来的に保存車両が増えることを想定していなかったこと、長く保存していくためには間引くしかなかったこと、それが一部の車両を解体せざるを得なかった必然性なのだと思います。
一部の車両が解体されたことは残念ではあるものの、それ自体はいつかやらなければいけなかったことであり、多くの車両が保存されている現状に感謝しています。

おわりに

ロマンスカーミュージアムという素晴らしい施設ができた反面、一部の車両は保存用の車庫に入ってしまいました。
通勤型車両は地味な存在ですが、これらの車両にも日常的に触れ合える日が訪れることを願っています。