海老名駅にロマンスカーミュージアムがオープンし、日常的に小田急の保存車両と触れ合うことができるようになりました。
その一方で、保存されていた車両の一部が解体される際には、ちょっとした騒動も発生しました。
解体自体は残念ではあったものの、いつかはやらなければいけないことであったのだと思います。
今回の記事では、小田急が保存車両の一部を解体せざるを得なくなった必然性について考えてみたいと思います。
大手の鉄道会社とはいえ、私鉄が保存している車両の両数としては、多いほうだったといえるでしょう。
保存のされ方にも特徴があり、一つの形式を数両ずつ残している状況で、ファンとしてはかなり恵まれている状況でした。
解体前に保存されていた車両は、以下のとおりです。
1100形:1両
2200形:2両
3000形(SE):5両
3100形(NSE):6両
2600形:1両
9000形:1両
10000形(HiSE):3両
20000形(RSE):3両
このように、1編成全てが保存されている形式もありました。
ロマンスカーは保存されている両数が多く、保存スペースの確保が大変だったことは間違いありません。
3000形以外の車両は、喜多見検車区内でこのように保存されていました。
以前9000形のさよなら列車に乗車した際に、当時の保存車両を撮影する機会に恵まれました。
喜多見検車区は屋根があるため、保存車両を置くには都合が良かったのでしょう。
それは、保存車両の置かれ方に起因します。
このように、保存車両は本来車庫として使用する線路に置かれていたのです。
当然自走はできませんから、移動することも簡単ではありません。
撮影した当時は1線しか使用していませんでしたが、保存車両の増加によって占有する線路も増えてしまいました。
小田急が保存車両の一部を解体したことは、過去にもありました。
3100形のケースが分かりやすく、元々は1編成の全ての車両を保存していたものの、後に中間車の5両が解体されて6両に短縮されています。
車両が1編成で保存されること、それはファンにとって最も嬉しいことです。
しかし、多分その段階で先々のことは考えられていなかったのだと思います。
保存する車両が増えれば、それだけ置いておくスペースが必要となりますから、場所に限りがある以上解体はやむを得ないことだったといえます。
見方を変えれば、3100形の一部を解体していたからこそ、2600形や9000形といった通勤型車両が保存できたのかもしれません。
もしも1編成での保存にこだわり続けていたら、今のように多くの形式が保存されることはなかったでしょう。
個人的には、2200形だけは1編成で保存してほしかったという思いはありますが、他の鉄道会社での事例を見ても、それは難しかったのかもしれません。
2両が揃っていてこそ価値がある車両なのは間違いないことですが、現実的には難しいこともあるのでしょう。
将来的に保存車両が増えることを想定していなかったこと、長く保存していくためには間引くしかなかったこと、それが一部の車両を解体せざるを得なかった必然性なのだと思います。
一部の車両が解体されたことは残念ではあるものの、それ自体はいつかやらなければいけなかったことであり、多くの車両が保存されている現状に感謝しています。
通勤型車両は地味な存在ですが、これらの車両にも日常的に触れ合える日が訪れることを願っています。
その一方で、保存されていた車両の一部が解体される際には、ちょっとした騒動も発生しました。
解体自体は残念ではあったものの、いつかはやらなければいけないことであったのだと思います。
今回の記事では、小田急が保存車両の一部を解体せざるを得なくなった必然性について考えてみたいと思います。
合計で22両もあった小田急の保存車両
保存車両の一部が解体される前には、22両もの車両が保存されていました。大手の鉄道会社とはいえ、私鉄が保存している車両の両数としては、多いほうだったといえるでしょう。
保存のされ方にも特徴があり、一つの形式を数両ずつ残している状況で、ファンとしてはかなり恵まれている状況でした。
解体前に保存されていた車両は、以下のとおりです。
1100形:1両
2200形:2両
3000形(SE):5両
3100形(NSE):6両
2600形:1両
9000形:1両
10000形(HiSE):3両
20000形(RSE):3両
このように、1編成全てが保存されている形式もありました。
ロマンスカーは保存されている両数が多く、保存スペースの確保が大変だったことは間違いありません。
3000形以外の車両は、喜多見検車区内でこのように保存されていました。
以前9000形のさよなら列車に乗車した際に、当時の保存車両を撮影する機会に恵まれました。
喜多見検車区は屋根があるため、保存車両を置くには都合が良かったのでしょう。
保存車両を解体せざるを得なかった必然性
屋根がある場所で大切にされてきた保存車両ですが、徐々に困った状況が発生します。それは、保存車両の置かれ方に起因します。
このように、保存車両は本来車庫として使用する線路に置かれていたのです。
当然自走はできませんから、移動することも簡単ではありません。
撮影した当時は1線しか使用していませんでしたが、保存車両の増加によって占有する線路も増えてしまいました。
小田急が保存車両の一部を解体したことは、過去にもありました。
3100形のケースが分かりやすく、元々は1編成の全ての車両を保存していたものの、後に中間車の5両が解体されて6両に短縮されています。
車両が1編成で保存されること、それはファンにとって最も嬉しいことです。
しかし、多分その段階で先々のことは考えられていなかったのだと思います。
保存する車両が増えれば、それだけ置いておくスペースが必要となりますから、場所に限りがある以上解体はやむを得ないことだったといえます。
見方を変えれば、3100形の一部を解体していたからこそ、2600形や9000形といった通勤型車両が保存できたのかもしれません。
もしも1編成での保存にこだわり続けていたら、今のように多くの形式が保存されることはなかったでしょう。
個人的には、2200形だけは1編成で保存してほしかったという思いはありますが、他の鉄道会社での事例を見ても、それは難しかったのかもしれません。
2両が揃っていてこそ価値がある車両なのは間違いないことですが、現実的には難しいこともあるのでしょう。
将来的に保存車両が増えることを想定していなかったこと、長く保存していくためには間引くしかなかったこと、それが一部の車両を解体せざるを得なかった必然性なのだと思います。
一部の車両が解体されたことは残念ではあるものの、それ自体はいつかやらなければいけなかったことであり、多くの車両が保存されている現状に感謝しています。
おわりに
ロマンスカーミュージアムという素晴らしい施設ができた反面、一部の車両は保存用の車庫に入ってしまいました。通勤型車両は地味な存在ですが、これらの車両にも日常的に触れ合える日が訪れることを願っています。
コメント
コメント一覧 (14)
ならないと思います。某近◯に至っては日本初の
二階建て車両やブルーリボン賞受賞車両ですら
1両も保存する事無く解体してしまってますので…。
とはいえ私達第三者からすれば安易に「車両を保存してほしい」と言いますが、それには保管場所、修繕費、維持費などの問題もありますのでそう簡単には行かないのも現実です。
各鉄道会社も出来る範囲で過去の車両の保存には
力を注いですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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> 多分その段階で先々のことは考えられていなかった
当時の役員会で、SEは1編成まるごと「永久保存」が決定しています。「永久保存」が決定ということは、すなわち先々のことを考えての決定のはずです。あっさりその後のダメ経営陣(私は当時長く株主だったので、そう言う権利はあるな)のために反故にされるのですが。
> 3100形の一部を解体していたからこそ、2600形や9000形といった通勤型車両が保存できた
これも違います。3100を11連にしていたのは、まだ車籍が残っていたからで、実際にその籍を使って海老名の展示へ自力回送したこともありました。しかし、車籍抹消により、9000×4でけん引しなければ回送できなくなり、そのために6連に短縮したのです。その後の通勤車の保存については、全く別な話で、3100を5車体解体したから保存できたということはありません。長さとしても合わないでしょう。
そもそも車庫線スペースが足りなくなったのは、複々線完成が見えてきて、増車しなければならないのは必然だったのに、車庫のスペースを確保もしないで、駅留置でなんとかしようとしたら、それだけでは足りず、あわてて先人の遺産である保存車解体でしのぐという計画性の無さが招いたものであり、厳しい言い方をすれば、経営的にも先々のことが考えられないのは、現経営陣ということになりますね。
ワタシダ
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ロマンスカーは興味もないので要らないや。さっさと解体すればいい
ワタシダ
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ワタシダ
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ロマンスカーミュージアムに続いて、通勤形で何らかの展示をお願いしたいです。
ワタシダ
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NSEやSSEが一部解体されたのは現役時代の輝かしい姿を知っている者としてはとても残念でした。
けれど、これが小田急としての解決方法だったのでしょうから文句は言えません。
只、廃車された車両を保管しておくことだけ考えるなら、あんまり使っていない相武台前の引き込み線辺りに簡易な保管庫でも作れば可能だったでしょうに。
現在残している通勤車が、初のカルダン車、初の大型車、初の地下鉄乗り入れ車であることを考えると現役車の中で保存対象になるには相当ハードルが高いなと思います。
ワタシダ
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喜多見や大野に居るときは多少関心あったけど、ミュージアムに収まったら全く関心がなくなった。
これオンレールか、オフレールかの違いだな。もし、ミュージアム内の線路がどんなヘロヘロの線路でも保線車両側線にでも繋がっていれば少し関心持てたのかも。なんかオフレールになった瞬間に鉄道車両じゃなくなった印象。てっぱくや京都は線路がヘロヘロつながっているのでなんかまだ鉄道車両である感じがする。「営業線に繋がっている」っていう鉄オタのロマンがロマンスカーミュージアムにないんですよねー。
小田急はなんだかんだ営業効率が高く余剰な土地やましてや普段使わない線路なんて全く無い鉄道会社でオンレールな置き場所なんてほぼない。その点、貨物遺産のある東武や西武あたりと事情が異なるし、今後の引退車両はどうするんですかね。個人的にはオフレール保存ならさっさと解体でいいや。
ワタシダ
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限られた土地で車輌を保存するとなるとどうしても取捨選択をしなくてはならないわけで。
車輌を屋根の下で保存している小田急は良心的な会社だと思います(次の世代の経営陣がどういう決断を下すかはわかりませんが)
ワタシダ
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そこで、車両を保存しつつ、保存費用を少しでもペイするための施設として、ロマンスカーミュージアムが出来たのかな、て思います。
疑問なのは、今後更に保存ロマンスカーを増やす場合、現在のロマンスカーミュージアムには保存するスペースがないので、それをどうするのかな、て思います。
増築するのかな?
現在は保存されておらずに現役で走ってる形式は、30000形EXE、50000形VSE、60000形MSE、70000形GSEの4形式が存在しています。
これらも、いずれは引退する時が来ます。
そうなった時に、ロマンスカーミュージアムで保存するのかどうか、ていうところが、気になります。
ロマンスカーミュージアムの他に、通勤電車ミュージアムとかが出来てくれると、とても嬉しいんですけどねえ。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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小田急の保存車両は長らく喜多見に留置が続きました。しかしながら、保存車両が増えたことや複々線化工事完成に伴い列車の本数が増えたり、成城学園前止まりのメトロ車・JR車が一時的な休憩で検車区に入ることを考え、保存車両を移設・一部解体を行うことになりました。車両の保存ですが、京王れーるランドに保存されている一部車両は京王電鉄の研修所(平山城址公園近くにある)に屋外保存されていたのを陸送でレールランドまで持ってきたそうです。研修所に保存されていた時は数年に1回の公開日しか見れなかったのが、れーるランドに保存されたことでいつでも見れるようになったことや状態の良さには頭が下がります。
車両の保存は屋外だと傷みやすいのはどこかしら抱えています。また車両一つ保存するにしても固定資産税がかかるなどといった問題もあり、一筋縄にはいかない部分があります。過去の車両を保存する・しないは鉄道会社によって異なることもあります。小田急は保存車に関しては恵まれているなぁと僕は思います。
ワタシダ
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とはいえ、ロマンスカーミュージアムのような屋内展示施設に移したのはこうした事情も踏まえると正解やったと言えるでしょう。さすがに露天で保存すると辻堂海浜公園の2600形みたく傷みやすいですし、メンテナンスにも手間や費用がかかりますから屋内での保存が有利であることが改めて伺えますね。
ワタシダ
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