複々線化に合わせて地下化され、近年はロマンスカーも停車するようになった小田急の成城学園前駅。
連続した高架線となっている梅ヶ丘から登戸の区間内で、唯一地下に潜っている地点でもあります。

なぜ成城学園前だけが、地下駅となったのでしょうか。

複々線化時に地下化された成城学園前駅

1989年から工事が始まった小田急の複々線化は、同時に高架化を伴う大規模なものでした。
最初に複々線化が進められたのは喜多見から和泉多摩川の区間で、続いて梅ヶ丘から喜多見にかけての工事へと移っていきました。

最後に工事が行われた下北沢付近とは異なり、梅ヶ丘から登戸までは連続した高架線となっています。
電車は踏切のない線路を走り抜け、一昔前の小田急では考えられなかったぐらい快適な区間となりました。

外を眺めつつ、快適な高架複々線区間を走行していると、突然暗い空間に突入する場所があります。
それが成城学園前で、高架線を走っているはずが、急に地下駅が出現するのです。
通過する列車に乗車していると、高速で高架から地下へと突入し、あっという間に高架へと戻るため、慣れていないと一瞬どうなっているのか分からなくなるかもしれません。

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複々線化に合わせて地下化された下北沢付近とは異なり、成城学園前は駅だけが地下になっている状態です。
しかも、地上から地下に入らず、高架から地下に入っているという点が面白く、独特な雰囲気を作り出しているといえます。

成城学園前はなぜ地下駅となったのか

地下駅となった理由を明らかにするためには、地上時代にこの付近がどのようになっていたのかを知る必要があります。
まずは少し前の成城学園前付近を思い出してみましょう。

下り方面の列車に乗って祖師ヶ谷大蔵を出発すると、成城学園前にかけてゆるやかな下り勾配が始まります。
現在と同じ下り勾配が、今ほど急ではないものの存在していました。
成城学園前は2面4線の配置で、前後に踏切がある普通の駅でした。

問題は駅を出た先にあり、すぐにまた下り勾配が始まるのです。
この下り勾配は比較的急で、それなりの長さでもありました。
これこそが成城学園前が地下駅となった理由です。

成城学園前を高架駅にしようとした場合、成城学園前から喜多見にかけての区間がとんでもない急勾配となってしまいます。
しかも、喜多見検車区に出入りするための設備も必要であり、ポイント付近は平坦にする必要がありました。

これらの悪条件を解決するために、成城学園前は地下駅とされたのです。
地下駅とすることで小田原寄りの勾配を解消し、喜多見検車区への出入りも可能な構造とすること、これこそが地下化の理由でした。
実質的には、小田原寄りにあった勾配を新宿寄りに移している面もあり、祖師ヶ谷大蔵から成城学園前にかけては昔より急勾配となっています。

おわりに

成城学園前が地下駅になることを知った時、どのような姿になるのかを想像し、楽しみにしていたことを覚えています。
昔の小田急には新宿にしか地下駅がなかったため、それが増えることは衝撃的な展開だったのでしょうね。