小田原線から多摩線が分岐し、小田急の中では大規模な駅となっている新百合ヶ丘。
1974年に開業した比較的新しい駅ながら、既に2回の改良工事が行われており、設備の増強が図られています。
今回の記事では、過去の改良工事によって変化した、新百合ヶ丘の歴史を振り返ってみたいと思います。
開業当時は周辺に何もない駅で、大規模な設備だけが目立っていました。
新百合ヶ丘は最初から3面6線を備えており、基本的な構造は現在も変わっていません。
多摩線が中央のホームで折り返しているのも開業当時からですが、小田原線と多摩線の直通運転が増えたことで、近年は各線が発着するホームがやや複雑化しています。
開業時の新百合ヶ丘には、中央に2ヶ所の階段が設けられていました。
現在の位置としては、小田原方から2番目と3番目にある階段がそれにあたり、当然エスカレーターはありませんでした。
ホームの両端には上屋がなく、改札階のコンコースや南北を結ぶ自由通路も現在とは比較にならないぐらい狭いものでした。
新百合ヶ丘の最初の改良工事は、1990年代の前半に行われました。
駅全体のリニューアルと設備の増強が行われ、小田原方に階段とエスカレーターが増設され、コンコースもそれに合わせて拡大されています。
また、小田原線の上りホームのみ、新宿方の階段にエスカレーターが増設されたほか、南北を結ぶ自由通路の拡大や、小田原線のホームの上屋の増設等も行われました。
小田急らしいといえばそれまでですが、最初の改良工事での見通しが甘かったということでしょう。
2回目の改良工事は、新宿方の設備を増強することが主な内容でした。
具体的には、エスカレーターとエレベーターの設置、改札口の増設が行われています。
上屋が増設されていなかった多摩線のホームにも、このタイミングで設置が行われました。
この改良によって、新百合ヶ丘は4ヶ所の階段やエスカレーター、加えてエレベーターも備える駅となったのです。
同時に南北を結ぶ自由通路もさらに拡大され、商業施設もオープンしました。
さすがにこれで終わると思われた改良工事ですが、現在3回目が計画されています。
短期間でここまでの回数を重ねるケースは、全国的にも珍しいのではないでしょうか。
3回目の改良工事は、どのぐらいの規模となるのでしょうか。
過去2回の改良工事は、複々線化が進められている中であまり予算が使えず、結果として中途半端な内容となってしまったように思います。
どれぐらいの変化が起きるのか、今後の動向からも目が離せませんね。
さらに行われる改良工事によって、今後どのように姿を変えていくのでしょうか。
1974年に開業した比較的新しい駅ながら、既に2回の改良工事が行われており、設備の増強が図られています。
今回の記事では、過去の改良工事によって変化した、新百合ヶ丘の歴史を振り返ってみたいと思います。
1回目の改良工事による変化
多摩線の開業と合わせて、1974年6月1日に新百合ヶ丘駅は誕生しました。開業当時は周辺に何もない駅で、大規模な設備だけが目立っていました。
新百合ヶ丘は最初から3面6線を備えており、基本的な構造は現在も変わっていません。
多摩線が中央のホームで折り返しているのも開業当時からですが、小田原線と多摩線の直通運転が増えたことで、近年は各線が発着するホームがやや複雑化しています。
開業時の新百合ヶ丘には、中央に2ヶ所の階段が設けられていました。
現在の位置としては、小田原方から2番目と3番目にある階段がそれにあたり、当然エスカレーターはありませんでした。
ホームの両端には上屋がなく、改札階のコンコースや南北を結ぶ自由通路も現在とは比較にならないぐらい狭いものでした。
新百合ヶ丘の最初の改良工事は、1990年代の前半に行われました。
駅全体のリニューアルと設備の増強が行われ、小田原方に階段とエスカレーターが増設され、コンコースもそれに合わせて拡大されています。
また、小田原線の上りホームのみ、新宿方の階段にエスカレーターが増設されたほか、南北を結ぶ自由通路の拡大や、小田原線のホームの上屋の増設等も行われました。
意外とすぐに行われた2回目の改良工事
改良工事によって、利用者の増加に対応したはずだった新百合ヶ丘ですが、2000年代の後半には早くも2回目の改良工事が行われています。小田急らしいといえばそれまでですが、最初の改良工事での見通しが甘かったということでしょう。
2回目の改良工事は、新宿方の設備を増強することが主な内容でした。
具体的には、エスカレーターとエレベーターの設置、改札口の増設が行われています。
上屋が増設されていなかった多摩線のホームにも、このタイミングで設置が行われました。
この改良によって、新百合ヶ丘は4ヶ所の階段やエスカレーター、加えてエレベーターも備える駅となったのです。
同時に南北を結ぶ自由通路もさらに拡大され、商業施設もオープンしました。
さすがにこれで終わると思われた改良工事ですが、現在3回目が計画されています。
短期間でここまでの回数を重ねるケースは、全国的にも珍しいのではないでしょうか。
3回目の改良工事は、どのぐらいの規模となるのでしょうか。
過去2回の改良工事は、複々線化が進められている中であまり予算が使えず、結果として中途半端な内容となってしまったように思います。
どれぐらいの変化が起きるのか、今後の動向からも目が離せませんね。
おわりに
改良工事によって、少しずつ姿を変えてきた小田急の新百合ヶ丘駅。さらに行われる改良工事によって、今後どのように姿を変えていくのでしょうか。
コメント
コメント一覧 (10)
ワタシダ
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改札が新たにできれば乗降客も分散されて駅構内の混雑緩和にも繋がります。
多摩線との分岐点として作られた新百合ヶ丘駅ですが開業時はなかなか発展しなかったのはやはり多摩線沿線の開発が思うように進まなかったからでしょうか。近年は多摩線も便利になり逆に駅が手狭になってきたようにも感じます。
おそらくこれが東急ならもっと早い段階で駅周辺の道路整備から商業施設の誘致を行って既に成熟した街になっていたのでしょうが開発の遅れも小田急だからなのでしょう。とはいえまだまだ進化を遂げそうな新百合ヶ丘駅の今後がどのように変化していくのかは気になりますね。
ワタシダ
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今となっては何故下車して出口を出たのか覚えていませんが、掛け値なく何もない所でした。今のようになるとは、当時はもちろん微塵ほども想像できませんでした。これから地下鉄も来るようですが、人口減もあり、次の四半世紀の変化が拡大方向の最後となるのではないかと思います。
ワタシダ
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上に書いてあるけどみんな町田行ってくれる
エルミロードやビブレ&サティの上階には普通に飲食店ずらっとあるから困ることはない
ワタシダ
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今では考えられないが
ワタシダ
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居酒屋ない。
丸亀製麺や一風堂、二郎系ラーメン、何も無い。
ステーキ屋もラーメン屋も行きたいと思う飲食店が無いので、わざわざ町田に行く始末。
ワタシダ
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複々線化が実現し、以前の記事でもあった2層化が行われれば、京急蒲田駅のような構造の地下版となるのでしょうか。
ワタシダ
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その上、当時五月台にあったお上品とはいえない高校の客層も相まって小競り合いも多く、ひどい惨状だった。
小田原方の階段増設で劇的に混雑は改善した。おそらく階段の狭さよりも改札内側のコンコースの狭さが問題だったんだろうな。その後は某高校も閉校になり治安も回復し、平和が訪れた。
ワタシダ
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ワタシダ
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