小田急で最も都心に近く、車庫が屋内にあることが特徴の喜多見検車区。
成城学園前から喜多見の間で入出庫が行われ、本線の上を車両が通過する光景を見ることができます。

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小田急の中では最も新しい車庫となっており、かつて存在した経堂検車区の代わりとして建設されました。

屋上に公園がある喜多見検車区

喜多見検車区は、1994年3月27日に開設された新しい車庫で、留置線の上に屋根があることが最大の特徴です。
これは住宅地に建設されたことが影響しており、周辺地域に対する配慮が図られました。

面白いのは、屋上が世田谷区の区立公園として開放されており、緑地としても利用されている点です。
公園はきたみふれあい広場と名付けられ、緑豊かな広場がありますが、残念ながら入出庫する車両はあまり見えません。

喜多見検車区への入出庫は成城学園前から行われており、回送電車が出入りする様子が時々見られます。
上下線の両方から線路が繋がっていますが、車両は本線を支障せずに入出庫をすることが可能で、とても機能的な構造となっています。

このように面白い車庫ではあるものの、構造上の特性によって中を見ることができないため、利用者の目に触れることはほとんどありません。

経堂検車区から喜多見検車区への大移動

小田急の都心部にある車庫としては、かつて経堂検車区という施設が存在しました。
1950年に発足した経堂検車区は、ロマンスカーの基地としての役割もあり、新宿を出てから最初にまとまった数の車両が見られる場所でした。

住宅地に囲まれ、拡張の余地はありませんでしたが、都心部の重要な拠点として、経堂検車区は長年重宝されてきました。
しかし、複々線化のためにまとまった土地が必要となったため、喜多見検車区に役目を譲ることとなったのです。
喜多見検車区の建設は1990年から開始され、徐々に移転の準備が進められていきました。

経堂検車区から喜多見検車区への移転は1994年3月27日に行われ、経堂検車区の歴史は終わりました。
現在も経堂駅の新宿方には留置線がありますが、これは経堂検車区の名残でもあります。

移転した当初の喜多見検車区は、上り線側にしか直接繋がっていませんでした。
複々線化の進展に合わせて、下り線から入出庫が可能な立体交差の線路が設けられ、現在の姿へと変わっていったのです。
喜多見検車区は、都心側の重要な車庫として、これからも小田急の輸送を支えていくことでしょう。

おわりに

外からよく見えた経堂検車区がなくなり、秘密基地のような喜多見検車区がその役目を担うこととなりました。
公開される機会がほとんどなく、なかなか入れない場所であるという点も、喜多見検車区の希少性を高めているのかもしれませんね。