1988年に営業運転を開始した小田急1000形。
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
6両の1次車となっており、登場当初から営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れ用の編成でした。
編成は3M3Tで構成されていますが、付随車にパンタグラフが搭載されていることが特徴となっています。
千代田線に乗り入れる際は、4両と併結して10両編成を構成しますが、中間に入る先頭車同士は幌で繋がれないため、非常時以外の通り抜けはできませんでした。
10両の1092F以降が登場した際に、千代田線に乗り入れるための機器を取り外して転用したため、地下鉄線内には入れなくなりましたが、後に機器を再度取り付けて再び乗り入れるようになりました。
4000形の登場後は、他の編成と同様に小田急線内ばかりを走るようになっています。
他の4両と組んだ10両で、優等列車として活躍する姿が多く見られましたが、ホームドアの設置が進んだことで、電磁直通ブレーキの車両を極力都心部に入れない方針となり、最近は小田原線の末端区間や多摩線で活躍しています。
※左側が新宿方
デハ1201:1次車
デハ1301:1次車
サハ1351:1次車
デハ1401:1次車
クハ1451:1次車
デハ1201:東急車輛製造
デハ1301:東急車輛製造
サハ1351:東急車輛製造
デハ1401:東急車輛製造
クハ1451:東急車輛製造
デハ1201:1988年12月10日
デハ1301:1988年12月10日
サハ1351:1988年12月10日
デハ1401:1988年12月10日
クハ1451:1988年12月10日
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1251Fの概要
1988年の終わり頃に登場した編成で、1000形としては初めての6両です。6両の1次車となっており、登場当初から営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れ用の編成でした。
編成は3M3Tで構成されていますが、付随車にパンタグラフが搭載されていることが特徴となっています。
千代田線に乗り入れる際は、4両と併結して10両編成を構成しますが、中間に入る先頭車同士は幌で繋がれないため、非常時以外の通り抜けはできませんでした。
10両の1092F以降が登場した際に、千代田線に乗り入れるための機器を取り外して転用したため、地下鉄線内には入れなくなりましたが、後に機器を再度取り付けて再び乗り入れるようになりました。
4000形の登場後は、他の編成と同様に小田急線内ばかりを走るようになっています。
他の4両と組んだ10両で、優等列車として活躍する姿が多く見られましたが、ホームドアの設置が進んだことで、電磁直通ブレーキの車両を極力都心部に入れない方針となり、最近は小田原線の末端区間や多摩線で活躍しています。
編成表
クハ1251-デハ1201-デハ1301-サハ1351-デハ1401-クハ1451※左側が新宿方
製造区分
クハ1251:1次車デハ1201:1次車
デハ1301:1次車
サハ1351:1次車
デハ1401:1次車
クハ1451:1次車
製造所
クハ1251:東急車輛製造デハ1201:東急車輛製造
デハ1301:東急車輛製造
サハ1351:東急車輛製造
デハ1401:東急車輛製造
クハ1451:東急車輛製造
竣功日
クハ1251:1988年12月10日デハ1201:1988年12月10日
デハ1301:1988年12月10日
サハ1351:1988年12月10日
デハ1401:1988年12月10日
クハ1451:1988年12月10日
コメント
コメント一覧 (3)
千代田線と常磐緩行線が相互乗り入れ開始時点のATCだと、45や25からATC境界表を過ぎると、いきなり01信号もらって、車内はドミノ倒しw、車両的には、この01信号受けて止まった時にセクション内停止してしまう可能性が有る(01信号受けているから動かせない)のでパンタグラフ位置に制約が、となります。
この、ドミノ倒し停車、近年では埼京線がATACSに改良されるまで続いていました。
ドミノ倒し停車を改良して一段ブレーキに改良したのは東急で・・・、と長くなり小田急線から外れ過ぎてしまうのでここまで。
ワタシダ
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千代田線内は、構体架線ですから、何かの間違えでセクション内停止してしまうと、パンタグラフが溶けてしまいます(普通の小田急線みたいな架線の場合は架線が溶ける)。
ワタシダ
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営業列車として登戸のホームドアに入線するのを見たことがあります。ワイドではないから一応対応しているんですね。
ワタシダ
がしました