2005年度から廃車が始まり、約1年でほとんどの編成が姿を消してしまった小田急9000形。
置き換えのペースが早く、あっという間に消えてしまった印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
今回の記事では、9000形の各編成がどのような順序で廃車となったのかを振り返り、当時の状況を思い出してみたいと思います。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるために登場した経緯があり、それが災いして先輩の5000形よりも先に廃車が進められました。
車両を新造する場合とは異なり、廃車は検査のタイミング等を考慮して決められるため、編成順とはなりません。
また、置き換える側となる車両の都合にも左右されます。
9000形もこのような事情を考慮して廃車が進められたと考えられ、廃車となった順番に各編成を並べると以下のとおりとなります。
記載している日付は、各編成の廃車日です。
9409F:2005年4月15日
9406F:2005年4月30日
9403F:2005年6月9日
9408F:2005年7月9日
9005F:2005年7月20日
9006F:2005年7月20日
9002F:2005年10月14日
9008F:2005年10月14日
9003F:2005年11月24日
9004F:2005年11月24日
9009F:2005年12月12日
9007F:2005年12月29日
9402F:2006年2月10日
9405F:2006年2月28日
9401F:2006年3月16日
9404F:2006年4月12日
9407F:2006年6月14日
9001F:2006年7月6日
約1年でほとんどの編成が廃車となっていることが、この一覧からも見えてきます。
そして、廃車となった編成や時期にも、当時の事情が反映されています。
まずは6両、その後に4両が集中的に廃車され、再び6両が廃車されています。
真っ先に廃車となった編成は、4両に中間車を2両追加し、9010Fから9409Fとなった編成でした。
9000形で最も新しい車両を含む編成が、最初に廃車となったのです。
そして、6両が廃車となった時期には、3000形の6両が増備されていました。
川崎重工業で4編成が製造されており、それがそのまま9000形の6両を置き換えたことが分かります。
その後は、4両が連続して8編成も廃車となっていますが、これは同時期に3000形の8両が増備されたことで、それと置き換えたことが影響しています。
9001Fから9006Fまでは半固定編成として使われていましたが、廃車に合わせて編成の組み合わせを変えていたため、本来のペアの廃車時期が揃っていません。
9001Fの先頭車を保存する方針もこの時点で決まっていたと考えられ、他の編成から優先して廃車が進められました。
4両の8編成が廃車となった段階で、9001Fは定期運用に充当できなくなっており、廃車が保留された状態となっています。
4両の廃車がほぼ終わった後は、6両の9000形が次々に廃車となりました。
2006年3月17日に9000形は定期運用を終えることとなりますが、この時点で営業運転を行っているのは9404Fと9407Fのみで、定期運用からの離脱後に9404Fが廃車されています。
この時期には3000形の6両が集中的に増備されており、それらの編成と置き換えられたことになります。
定期運用からの離脱後も残された9001Fと9407Fは、10両を組んでさよなら運転等を行い、多くのファンに別れを告げた後に廃車となりました。
検査の期限や状態を考慮しつつも、3000形の増備に合わせた両数の編成を優先して廃車としていることが、廃車の順番から見えてきます。
4両が5ヶ月で定期運用から全編成外れていることが、今思えば印象的でした。
熱烈なファンが多い形式でしたが、3000形の増備によってあっという間に置き換えられてしまい、気付いた頃にはほとんど走っていないような状況となっていました。
置き換えのペースが早く、あっという間に消えてしまった印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
今回の記事では、9000形の各編成がどのような順序で廃車となったのかを振り返り、当時の状況を思い出してみたいと思います。
9000形の各編成が廃車となった順序
4000形に続き、2005年度から廃車が始まった9000形は、ハイペースで3000形への置き換えが進められました。営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるために登場した経緯があり、それが災いして先輩の5000形よりも先に廃車が進められました。
車両を新造する場合とは異なり、廃車は検査のタイミング等を考慮して決められるため、編成順とはなりません。
また、置き換える側となる車両の都合にも左右されます。
9000形もこのような事情を考慮して廃車が進められたと考えられ、廃車となった順番に各編成を並べると以下のとおりとなります。
記載している日付は、各編成の廃車日です。
9409F:2005年4月15日
9406F:2005年4月30日
9403F:2005年6月9日
9408F:2005年7月9日
9005F:2005年7月20日
9006F:2005年7月20日
9002F:2005年10月14日
9008F:2005年10月14日
9003F:2005年11月24日
9004F:2005年11月24日
9009F:2005年12月12日
9007F:2005年12月29日
9402F:2006年2月10日
9405F:2006年2月28日
9401F:2006年3月16日
9404F:2006年4月12日
9407F:2006年6月14日
9001F:2006年7月6日
約1年でほとんどの編成が廃車となっていることが、この一覧からも見えてきます。
そして、廃車となった編成や時期にも、当時の事情が反映されています。
各編成の廃車時期から分かる当時の事情
9000形の各編成が廃車となった順序には、ある程度の規則性があります。まずは6両、その後に4両が集中的に廃車され、再び6両が廃車されています。
真っ先に廃車となった編成は、4両に中間車を2両追加し、9010Fから9409Fとなった編成でした。
9000形で最も新しい車両を含む編成が、最初に廃車となったのです。
そして、6両が廃車となった時期には、3000形の6両が増備されていました。
川崎重工業で4編成が製造されており、それがそのまま9000形の6両を置き換えたことが分かります。
その後は、4両が連続して8編成も廃車となっていますが、これは同時期に3000形の8両が増備されたことで、それと置き換えたことが影響しています。
9001Fから9006Fまでは半固定編成として使われていましたが、廃車に合わせて編成の組み合わせを変えていたため、本来のペアの廃車時期が揃っていません。
9001Fの先頭車を保存する方針もこの時点で決まっていたと考えられ、他の編成から優先して廃車が進められました。
4両の8編成が廃車となった段階で、9001Fは定期運用に充当できなくなっており、廃車が保留された状態となっています。
4両の廃車がほぼ終わった後は、6両の9000形が次々に廃車となりました。
2006年3月17日に9000形は定期運用を終えることとなりますが、この時点で営業運転を行っているのは9404Fと9407Fのみで、定期運用からの離脱後に9404Fが廃車されています。
この時期には3000形の6両が集中的に増備されており、それらの編成と置き換えられたことになります。
定期運用からの離脱後も残された9001Fと9407Fは、10両を組んでさよなら運転等を行い、多くのファンに別れを告げた後に廃車となりました。
検査の期限や状態を考慮しつつも、3000形の増備に合わせた両数の編成を優先して廃車としていることが、廃車の順番から見えてきます。
4両が5ヶ月で定期運用から全編成外れていることが、今思えば印象的でした。
おわりに
短期間で小田急線上から姿を消した9000形。熱烈なファンが多い形式でしたが、3000形の増備によってあっという間に置き換えられてしまい、気付いた頃にはほとんど走っていないような状況となっていました。
コメント
コメント一覧 (17)
ワタシダ
がしました
ステンレスカーにアイボリーのラッピングの意見もありますが、元々が最初からあの意匠なのでラッピングしなくても銀色のままでも合っていると思いますけどね。
ワタシダ
がしました
あちらさんは進行方向右側の窓が高かったのが難点でした
小田急9000形を05年3月、片瀬江ノ島~豪徳寺まで乗り通せてよかった
あのあとすぐなくなったので…
ワタシダ
がしました
かな
MT比が違うためや回生制動のためかモーター出力が異なり
4連はオールMなので他の4連よりパワフル
でも もったいないとユニットカットすると非力
6連は重量増+弱いモーターで2割パワーダウン…
8M2Tで丁度の出力でなく
4連も6連も単体での編成出力が地上専用車並みにあれば…
とか……
回生と電制の独特な切り替えが…
ブレーキ初速に応じてなどでなく 地下(回生)⇔地上(電制) を保安装置に連動して切り替えるとかで
地上転用後は地下用保安装置等と共に回生関連の装置だけ下ろせてしまう… とかだったら
地下で雨風に当たらないで済む時間も長かったのだから
もっと長生きできたのかな…
なんて思ってしまう……
ワタシダ
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技術的な革新はあれどデザイン的にはシンプルになったのは正直残念な印象でした。
改めてデータを見ると短期間で全廃に追い込まれたんですね。小田急において唯一ローレル賞受賞の9000形ですからやはりロマンスカーミュージアムにていつでも拝見出来るようにして欲しいです。
ワタシダ
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小田急で活躍してきた車両の中で僕が一番最初に好きになった形式は2600形で、2番目は9000形、3番目は1000形ワイドドア車でした。9000形は1段窓車であり、リニューアルされてからは明るい印象ではあったものの、重装備であったこともあり、老朽化が目立っていました。シングルアームパンタグラフに交換されても転落防止幌は設置されず、その時はもう余命もある程度覚悟していたのかもしれません。先輩格の初代5000形より早く廃車になってしまいましたが、初代・千代田線乗り入れ車両として貢献したことは決して色あせることはありません。
僕は今でも鉄道に乗る機会はあるのですが、2、30年前に比べるとどこの事業者も個性が感じられない車両が多くなったと感じずにはいられません。ちなみに僕は車掌さんの声を聴くと電車に乗った気がするのですが、自動放送ばかりだと地下鉄やバスとさほど変わらないのです。例えば京急は全体的に肉声放送なのですが、定期列車における自動放送導入は乗入れ先の行先、また途中駅で種別変更(直通列車の種別変更は基本的に品川・押上などで行う)が多いためか、自動放送ソフトを導入したとしてもそこまで対応しきれない事情があります。
小田急の話に戻しますが、1000形未更新車の廃車が進み、肉声放送そのものがあと数年で絶滅危惧種になろうとしていますし、京王線では7000系初期編成や9000系0番台、東急では田園都市線8500系が未だに肉声放送なのですが、これもいつまで聴けるのだろうか・・・やはり気がかりになってしまいます。
ワタシダ
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ワタシダ
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正面は他車と大きく違う個性のある顔ですが、当時は子供だったこともあり前が見えないので駅で待っていて9000形が来るとがっかりしました。
同様に営団車はドア窓が小さく高い位置にあった為、子供の頃は基本営団車は大嫌いでした。
色々な理由があるのは当然知っていましたが、子供の私はたまに乗れる電車で景色が見えないのはどうしても好きにはなれません。
最近の車両は戸袋窓が各社で無くなり、採光の意味も含めて窓が大きくなったのは良い方向だと思います。
ステンレスやアルミで無塗装化が進み、また車両メーカーの基本デザインでラインなどのステッカー・シールでしか差別化できない最近の車両なのでちょっとした違いを鉄道各社には頑張っていただきたいです。
一編成数億かかるので難しいのはよくわかりますが、見て・乗って楽しい車両が増えて欲しいものです。
ワタシダ
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しかし廃車となるとそうでもなく、旧4000形以降の車両は各編成とも同時進行で廃車することがほとんどでした(今回の9000形の場合は6両→4両→6両の順で廃車されました。また旧5000形は暫定的に4両化された編成を含む6両を優先的に廃車し、4両は後回しで廃車されとりました)。やはり小田急の車両は登場順にも廃車順にもある程度法則性がある、それが今回の投稿を拝見して私が思ったことです(他社ですと編成両数に関係なく登場・廃車ともに順番が一定していないことが多いのですが、近年の小田急で1000形未更新車4両が廃車されとることを考えると、基本的に半端な存在である短い編成が優先的に廃車されとる傾向があります)。
ワタシダ
がしました