高性能車としては小田急初の大型車となり、全132両が製造された2600形。
2000形と3000形によって2000年から淘汰が進められ、2004年に2670Fが引退したことで形式消滅しました。

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事故や組み替えの影響もあり、2600形の廃車順序はやや複雑でした。
今回の記事では、全132両の廃車順序をまとめてみたいと思います。

事故と8両への組み替えに伴う廃車

編成単位での本格的な廃車が始まる前に、2600形には事故と8両への組み替えに伴う廃車が発生しています。
両数としてはそこまで多くないものの、編成数が少なくなったことで2600形を見かける機会はそれ以前より少なくなりました。

先行して廃車となった車両は以下のとおりで、記載している日付は各車両の廃車日です。

サハ2771:1992年2月28日
クハ2871:1992年2月28日
クハ2656:1994年3月31日
クハ2658:1994年3月31日
クハ2855:1994年3月31日
クハ2857:1994年3月31日
クハ2954(クハ2654):1994年3月31日
サハ2751:1995年2月9日
サハ2764:1995年2月9日
クハ2966(クハ2666):1995年2月9日
サハ2754:1996年6月30日
クハ2854:1996年6月30日

全12両が先行して廃車となっており、晩年は120両の2600形が残ることとなりました。
最初に廃車となった2両は、1991年10月11日に発生した事故によるものですが、車両自体は現地で解体されているため、廃車日はあくまでも手続き上のものでしょう。



残りの10両は8両化によって余剰となった車両ですが、余った車両を寄せ集めて電装化し、2666Fを誕生させているため、廃車自体は最小限に抑えられています。
2900番台の車両は、組み替えによって番号の重複が発生してしまうため、廃車の前に改番が行われたものです。

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こうして、6両が22編成あった2600形は、6両が12編成、8両が6編成に再編されました。

2000年から開始された編成単位での廃車

120両が残っていた2600形ですが、2000年からは編成単位での本格的な廃車が始まりました。
8両化された編成が活躍した期間は短く、10年と経っていませんでした。

各編成が廃車となった順序は以下のとおりで、日付は各編成の廃車日です。

2666F:2000年4月10日
2656F:2000年11月13日
2655F:2001年1月15日
2654F:2001年2月2日
2657F:2001年4月23日
2659F:2001年5月21日
2652F:2002年2月18日
2661F:2002年3月1日
2669F:2002年3月16日
2662F:2002年7月23日
2653F:2003年2月13日
2665F:2003年3月18日
2668F:2003年4月15日
2667F:2003年5月12日
2672F:2003年6月4日
2671F:2003年6月24日
2663F:2003年7月8日
2670F:2004年6月16日

廃車の順序は、まず2000形によって8両を一気に置き換え、その後は3000形で6両を置き換えるというものでした。
最初に廃車となったのは、組み替えで余剰となった車両を集めて電装化した2666Fで、主電動機と制御装置は2000形の2054Fに流用されました。
8両の6編成が廃車となったところで、一旦2600形の廃車はストップしました。

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2002年の2652Fからは6両の編成で、3000形の1次車が登場したことによって廃車が再開されます。
3000形が4編成登場したため、2662Fまでの4編成が廃車となったところで一旦ストップしますが、2003年に3000形の2次車が増備されたことで廃車が再開され、あっという間に2663Fまでの7編成が廃車されてしまいました。

本来は2670Fまでの8編成を一気に廃車する予定だったようですが、最後の1編成を旧塗装にして走らせることとなったため、4000形と廃車順序が入れ替わったようです。

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こうして2670Fだけが他の編成より1年程度遅く廃車となり、旧塗装で最後の勇姿を見せてくれました。
本来であれば、2003年度の早い段階で2600形は形式消滅する予定だったのでしょうね。

おわりに

1992年から2004年にかけて廃車が進んだ2600形。
事故と組み替え、そして老朽化による置き換えとなりましたが、旧塗装化によって延命されることにもなっており、趣味的には興味深い廃車の順序でした。