小田急としては久し振りの新型通勤車両である5000形が登場したことで、順次廃車が進められている1000形のワイドドア車。
近年は他の編成との併結を行わず、6両単独で各駅停車を中心に使われてきました。

最終的には6両が6編成となっていたワイドドア車ですが、元々は4両の編成が存在し、組み替えによって整理された経緯があります。
今回の記事では、ワイドドア車を6両に組み替えることによって、1000形全体の運用を最適化しようとしていた可能性を考えてみたいと思います。

製造段階での1000形の編成数

1987年に登場した1000形は、製造の過程で様々なバリエーションが生まれ、最終的に196両となりました。
ワイドドア車は1500番台とされていますが、形式としては196両全車が1000形としてまとめられます。

製造段階での編成数を両数別にまとめると、以下のとおりとなります。

4両:25編成
6両:8編成
8両:1編成
10両:4編成

1000形の特徴として、4両が他の編成と比べて多かったことがあげられます。
これは2編成を繋いで8両の各駅停車を運転するためですが、中間に入る先頭車によって収容力が落ちるという問題を抱えていたことから、小田急は固定編成化を進めていくこととなりました。

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3000形の8両固定編成が登場したことで、1000形の4両は10両の新宿方に繋がれることが多くなり、それまでとは役割が大きく変化しました。
その過程でワイドドア車の4両は6両へと組み替えられ、4両の編成は消滅することとなりました。

ワイドドア車の組み替えと過剰な4両の関係

ワイドドア車の組み替えが行われた理由には、1000形の4両が過剰であったこと、加速度がノーマルドアより劣っているといわれていること、座席数が若干少ないことで10両の新宿方に繋ぎたくなかった等の説があります。
しかし、明確な理由については明らかになっていません。
組み替えの理由は一つではなく、複数が絡んでいると考えるほうが自然なのかもしれません。

そして、組み替えが行われた背景には、将来的に想定されていた分割併合の廃止も絡んでいたのではないかと私は考えています。
6両の編成を増やすことで、同一形式で併結する10両を少しでも増やしたかったのではないでしょうか。
ワイドドア車の組み替えが行われたのは2004年度で、分割併合が大幅に削減されたのは2007年度のことであり、組み替えの時点で分割併合の廃止が方針として決まっていてもおかしくはありません。

分割併合が削減されて以降、4両と6両を繋いだ10両は併結相手が変わる機会が少なくなりました。
5000形や8000形は同一形式で組まれることが多くなり、異形式併結による相性の悪さが乗り心地に影響しないようになっていきます。
ワイドドア車の組み替えを行うことで、1000形についてもこの方向性を目指していた可能性があると私は考えています。
そして、実際にワイドドア車は4両のノーマルドア車と10両を組んでいた時期があります。

この仮説を実際の編成数に当てはめると、4両と6両を組み合わせた10両は12本となります。
4両は7編成が残りますが、数編成は当時8両を組んでいましたから、異形式と組まなければいけない編成はほぼなくなります。

実際にここまでのことを考えて組み替えが行われたのかは分かりませんが、結果的にホームドアの導入によってワイドドア車は10両を組むことができなくなり、4両は異形式と併結しての10両や、箱根登山線内での運用に充当されるようになりました。
箱根登山線内用の編成に1000形が選ばれたのには、このような事情も絡んでいたのかもしれませんね。

おわりに

ワイドドア車の組み替えを行うということに、当時かなり驚いたことを覚えています。
どのような意図があって行われたものなのか、その理由がいまだに気になってしまうのです。