古い車両から一部の機器を流用して登場し、近代的な車体には不釣り合いな吊り掛け駆動が特徴だった小田急4000形。
大型車では一番の異端車だったといえる形式ですが、1985年から高性能車への改造が行われたことで、他の形式と同じように扱える車両となりました。
しかし、高性能化後も他の車両とは異なる部分が色々と存在し、異端車であるという点は変わらず、異色の車両だったといえます。
そこで、廃車となる2400形の主電動機を流用して高性能化を行い、同時に冷房を搭載することで、他形式と車両の水準を合わせることとしました。
4000形の改造は短期間に集中して行われ、特徴であった走行音は失われてしまいましたが、乗客にとっては歓迎できる車両へと変わっていきます。
改造後は他の形式とも併結することが可能となり、運用の幅も一気に広がりました。

箱根登山線に入線できないという運用上の制限があり、目立たない存在の車両でしたが、2005年の引退まで様々な列車での活躍が見られました。
一方で、他形式と比べた場合には異端車であるという要素が引き続き残っており、趣味的には面白い車両でもありました。
その理由は大きく分けると二つであり、装備品に違いがあるという点と、同時期の車両と比べて近代的な機器が搭載されていることでした。
装備品の違いは台車が目立っており、他の通勤型車両がアルストムリンク式ばかりという中で、軸ばね式の台車を履いていました。
乗り心地も他の車両とは異なり、どちらかといえばゴツゴツとしたものでした。

そして、4000形の台車といえば、光り輝くディスクブレーキでした。
これも装備品の違いに起因しており、当時の通勤型車両では唯一電気制動が装備されておらず、高速域から安定した制動力が得られるディスクブレーキが採用されていたのです。
減速時にモーター音がしないため、静かな車両という印象が強く残っています。
車内の装備品にも違いがあり、工期を短くするために4000形の冷房化改造は簡易的なもので、車内には扇風機が残されていました。
他の形式とは天井の構造が大きく異なり、これも4000形ならではのものでした。
最後に、4000形の特徴であった近代的な機器に触れておきましょう。
簡易的に行われた冷房化改造でしたが、搭載した機器自体は新しく、8000形と同じものでした。
冷房化に合わせて補助電源装置の交換も行われていますが、こちらは静止形インバーター(SIV)が搭載され、最新の機器と古い機器が混在しているということが、とても面白い車両だったのです。
このような特徴的な車両は、他社も含めてほとんどなくなってしまいましたね。
大型車では一番の異端車だったといえる形式ですが、1985年から高性能車への改造が行われたことで、他の形式と同じように扱える車両となりました。
しかし、高性能化後も他の車両とは異なる部分が色々と存在し、異端車であるという点は変わらず、異色の車両だったといえます。
高性能車への仲間入りを果たした4000形
昔ながらの走行音を奏でながら、高性能車に混ざって活躍してきた4000形ですが、車両の近代化が進む中で、徐々に他車との性能差が目立つようになりました。そこで、廃車となる2400形の主電動機を流用して高性能化を行い、同時に冷房を搭載することで、他形式と車両の水準を合わせることとしました。
4000形の改造は短期間に集中して行われ、特徴であった走行音は失われてしまいましたが、乗客にとっては歓迎できる車両へと変わっていきます。
改造後は他の形式とも併結することが可能となり、運用の幅も一気に広がりました。

箱根登山線に入線できないという運用上の制限があり、目立たない存在の車両でしたが、2005年の引退まで様々な列車での活躍が見られました。
一方で、他形式と比べた場合には異端車であるという要素が引き続き残っており、趣味的には面白い車両でもありました。
4000形が異端車だった理由
高性能車となった4000形ですが、他の形式とは異なっている部分がありました。その理由は大きく分けると二つであり、装備品に違いがあるという点と、同時期の車両と比べて近代的な機器が搭載されていることでした。
装備品の違いは台車が目立っており、他の通勤型車両がアルストムリンク式ばかりという中で、軸ばね式の台車を履いていました。
乗り心地も他の車両とは異なり、どちらかといえばゴツゴツとしたものでした。

そして、4000形の台車といえば、光り輝くディスクブレーキでした。
これも装備品の違いに起因しており、当時の通勤型車両では唯一電気制動が装備されておらず、高速域から安定した制動力が得られるディスクブレーキが採用されていたのです。
減速時にモーター音がしないため、静かな車両という印象が強く残っています。
車内の装備品にも違いがあり、工期を短くするために4000形の冷房化改造は簡易的なもので、車内には扇風機が残されていました。
他の形式とは天井の構造が大きく異なり、これも4000形ならではのものでした。
最後に、4000形の特徴であった近代的な機器に触れておきましょう。
簡易的に行われた冷房化改造でしたが、搭載した機器自体は新しく、8000形と同じものでした。
冷房化に合わせて補助電源装置の交換も行われていますが、こちらは静止形インバーター(SIV)が搭載され、最新の機器と古い機器が混在しているということが、とても面白い車両だったのです。
おわりに
地味な存在ながら、面白い部分が沢山あった4000形。このような特徴的な車両は、他社も含めてほとんどなくなってしまいましたね。
コメント
コメント一覧 (21)
初代4000形は2600形の後を追うように引退してしまい、さよならイベントやパスネットの販売がなかったのは残念でした。今思い出しても2002(平成14)年から2004(平成16)年までの小田急は通勤車両の置き換えが進んだ激動期であり、1000から30000まで(6000は東京メトロ車両ですが・・・)それぞれ1000毎に形式が揃っていた大変貴重な時期でもありました。僕の人生で最も小田急電車にかかわれたよき時代だったと改めて思います。
ワタシダ
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ワタシダ
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TS-818A台車が使用されていましたね。
つり掛け時代の4000が使用していた
TS-818とは別物のようですが…
ワタシダ
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ただ、電制が無かったのが仇となったのか?他形式と連結したときの衝動はかなり目立ちました。4000単独や4000同士での10両運用では当然気にならないところではありましたが。
折角冷房化されたものの、分散クーラーの搭載台数やダクトを設置しない直吹きだったせいか冷房の効きはイマイチだったのは拭えません。
異端車であっただけでなく、晩年の置き換えスピードは早くそしてイベントも実施されることもなくひっそりと消えてしまいました。
あの頃は3000の製造コストが相当低かったのか、短期間であっという間に2600、4000、9000が形式消滅に追い込まれたのが印象的でした。
ワタシダ
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壁は従来通り無地でしたが、天井部分は8000形の網目の入った模様を明るくしたような感じで
9000形4両の更新後の壁に似てました。
ワタシダ
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今となってはあの吊り掛けモーターの音が懐かしいです。
ワタシダ
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確か8両に組み直された2600が履いていたのかな?
どなたか詳しい方いらっしゃいませんかね?
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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この他、以前の投稿で似たような境遇を持つ4扉の吊り掛け駆動更新車を紹介させて頂きましたが(国鉄72系、相鉄3000系、東武5000系グループ、南海1521系)、これらの車両も異端的な存在としてファンからの注目度を高めておりました。中でも国鉄72系や相鉄3000系はその後、今回の投稿のメインである小田急旧4000形と同様に冷房化と高性能化が行われ(前者は同時に103系に編入)、長く活躍したのも共通しとりますね。
ワタシダ
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