2002年から2018年まで運行され、多摩線沿線の発展に貢献した小田急の多摩急行。
利用者からは「たまきゅう」と呼ばれて親しまれましたが、急行や快速急行に変更されることで2018年に役目を終えました。

20190119_09

多摩線内を優等列車が日常的に走るきっかけを作った多摩急行は、どのような功績を残したのでしょうか。

多摩線の利用者に愛された多摩急行

線内を往復する各駅停車の運転が中心だった多摩線に、急行や特急の運行が開始されたのは2000年のことでした。
運行が開始されたとはいっても、この時点ではラッシュ時に設定されたものであり、多摩線が各駅停車ばかりの路線という実態は変わっていません。
当時の急行は栗平に停車しなかったため、新百合ヶ丘から小田急永山の間はノンストップでした。

そんな多摩線に大きな変化をもたらしたのが、2002年に運行を開始した多摩急行です。
急行の停車駅に栗平を加え、多摩線内での利用をしやすくしての登場でした。
小田原線の向ヶ丘遊園を通過することや、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に直通する準急が減少したことによる反発もありましたが、多摩線の利用者にとっては念願の本格的な優等列車となりました。

20181007_09

運行開始当初の多摩線は、徐々に沿線の人口も増加しつつある時期ではありましたが、多摩急行の登場後は発展が加速しました。
多摩急行が停車する栗平が分かりやすく、2002年の5年前である1997年からは、乗車人員が1000人程度の増加だったのに対して、5年後の2007年では2500人程度の増加がみられます。

発展が加速したから多摩急行が登場した面もあるでしょうし、偶然そのような時期となった可能性も否定はできません。
しかし、多摩急行の登場後に住宅が多く供給されており、沿線の価値を多摩急行が高めたことは間違いないといえそうです。

運行本数の減少と変化した役割

多摩急行の運行が開始された当初は、まだ試行錯誤をしつつの面がある印象でしたが、徐々に運行時間も拡大され、直通先での夜間停泊も行われるようになっていきました。
登場から数年が経過してからは安定期に入り、1時間に2本程度の運行本数を基本として、狙って乗車する列車という位置付けになります。

20190210_01

利用者にも運行パターンが定着し、駅に何時に着けば乗れるということを、理解している方が多かったと記憶しています。
空気輸送となっていた面や、マイナスの影響を受けた利用者がいたことも事実ですが、多摩線沿線の発展に寄与した部分は間違いなく大きなものでした。

そんな多摩急行に大きな変化があったのは、2016年にJR東日本を加えて3社での直通運転となったタイミングです。
このタイミングでは、全線の運行パターンが大幅に見直され、多摩線についても1時間に3本の優等列車が走ることとなりました。

運行本数が増えることで、多摩急行が持つ負の面が目立ってくるためか、日中については急行への変更が行われ、多摩急行は朝や夕方以降に運転される列車へと変わります。
千代田線と直通運転をするという点は変わらなかったものの、多摩急行の存在感は一気に薄くなってしまいました。

このような状況も長くは続かず、複々線化の完成に伴って再度運行パターンが見直され、千代田線と多摩線の直通運転は基本的になくなり、多摩急行も廃止されることとなりました。
最終列車はJR東日本のE233系が務め、長年に渡って利用者に親しまれた多摩急行は、静かにその役目を終えたのです。

20180325_04

路線が短く、駅の数も少ない多摩線において、優等列車が走ることによる本質的な意味はあまりなかったのかもしれません。
しかし、優等列車も走る路線となったことで、多摩線という路線の価値が向上したことは間違いなく、発展の余地があった沿線の後押しとなったことは疑いようのない事実です。
何もなかった多摩線に10両の優等列車が走ること、それが残した功績は間違いなく大きなものでした。

おわりに

近年の多摩線では、一部の時間帯で優等列車の運転が中止されるといった動きもみられます。
沿線の発展も一段落しつつあり、そろそろ本来の姿に戻りつつあるのかもしれませんね。