2002年から2018年まで運行され、多摩線沿線の発展に貢献した小田急の多摩急行。
利用者からは「たまきゅう」と呼ばれて親しまれましたが、急行や快速急行に変更されることで2018年に役目を終えました。
多摩線内を優等列車が日常的に走るきっかけを作った多摩急行は、どのような功績を残したのでしょうか。
運行が開始されたとはいっても、この時点ではラッシュ時に設定されたものであり、多摩線が各駅停車ばかりの路線という実態は変わっていません。
当時の急行は栗平に停車しなかったため、新百合ヶ丘から小田急永山の間はノンストップでした。
そんな多摩線に大きな変化をもたらしたのが、2002年に運行を開始した多摩急行です。
急行の停車駅に栗平を加え、多摩線内での利用をしやすくしての登場でした。
小田原線の向ヶ丘遊園を通過することや、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に直通する準急が減少したことによる反発もありましたが、多摩線の利用者にとっては念願の本格的な優等列車となりました。
運行開始当初の多摩線は、徐々に沿線の人口も増加しつつある時期ではありましたが、多摩急行の登場後は発展が加速しました。
多摩急行が停車する栗平が分かりやすく、2002年の5年前である1997年からは、乗車人員が1000人程度の増加だったのに対して、5年後の2007年では2500人程度の増加がみられます。
発展が加速したから多摩急行が登場した面もあるでしょうし、偶然そのような時期となった可能性も否定はできません。
しかし、多摩急行の登場後に住宅が多く供給されており、沿線の価値を多摩急行が高めたことは間違いないといえそうです。
登場から数年が経過してからは安定期に入り、1時間に2本程度の運行本数を基本として、狙って乗車する列車という位置付けになります。
利用者にも運行パターンが定着し、駅に何時に着けば乗れるということを、理解している方が多かったと記憶しています。
空気輸送となっていた面や、マイナスの影響を受けた利用者がいたことも事実ですが、多摩線沿線の発展に寄与した部分は間違いなく大きなものでした。
そんな多摩急行に大きな変化があったのは、2016年にJR東日本を加えて3社での直通運転となったタイミングです。
このタイミングでは、全線の運行パターンが大幅に見直され、多摩線についても1時間に3本の優等列車が走ることとなりました。
運行本数が増えることで、多摩急行が持つ負の面が目立ってくるためか、日中については急行への変更が行われ、多摩急行は朝や夕方以降に運転される列車へと変わります。
千代田線と直通運転をするという点は変わらなかったものの、多摩急行の存在感は一気に薄くなってしまいました。
このような状況も長くは続かず、複々線化の完成に伴って再度運行パターンが見直され、千代田線と多摩線の直通運転は基本的になくなり、多摩急行も廃止されることとなりました。
最終列車はJR東日本のE233系が務め、長年に渡って利用者に親しまれた多摩急行は、静かにその役目を終えたのです。
路線が短く、駅の数も少ない多摩線において、優等列車が走ることによる本質的な意味はあまりなかったのかもしれません。
しかし、優等列車も走る路線となったことで、多摩線という路線の価値が向上したことは間違いなく、発展の余地があった沿線の後押しとなったことは疑いようのない事実です。
何もなかった多摩線に10両の優等列車が走ること、それが残した功績は間違いなく大きなものでした。
沿線の発展も一段落しつつあり、そろそろ本来の姿に戻りつつあるのかもしれませんね。
利用者からは「たまきゅう」と呼ばれて親しまれましたが、急行や快速急行に変更されることで2018年に役目を終えました。
多摩線内を優等列車が日常的に走るきっかけを作った多摩急行は、どのような功績を残したのでしょうか。
多摩線の利用者に愛された多摩急行
線内を往復する各駅停車の運転が中心だった多摩線に、急行や特急の運行が開始されたのは2000年のことでした。運行が開始されたとはいっても、この時点ではラッシュ時に設定されたものであり、多摩線が各駅停車ばかりの路線という実態は変わっていません。
当時の急行は栗平に停車しなかったため、新百合ヶ丘から小田急永山の間はノンストップでした。
そんな多摩線に大きな変化をもたらしたのが、2002年に運行を開始した多摩急行です。
急行の停車駅に栗平を加え、多摩線内での利用をしやすくしての登場でした。
小田原線の向ヶ丘遊園を通過することや、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に直通する準急が減少したことによる反発もありましたが、多摩線の利用者にとっては念願の本格的な優等列車となりました。
運行開始当初の多摩線は、徐々に沿線の人口も増加しつつある時期ではありましたが、多摩急行の登場後は発展が加速しました。
多摩急行が停車する栗平が分かりやすく、2002年の5年前である1997年からは、乗車人員が1000人程度の増加だったのに対して、5年後の2007年では2500人程度の増加がみられます。
発展が加速したから多摩急行が登場した面もあるでしょうし、偶然そのような時期となった可能性も否定はできません。
しかし、多摩急行の登場後に住宅が多く供給されており、沿線の価値を多摩急行が高めたことは間違いないといえそうです。
運行本数の減少と変化した役割
多摩急行の運行が開始された当初は、まだ試行錯誤をしつつの面がある印象でしたが、徐々に運行時間も拡大され、直通先での夜間停泊も行われるようになっていきました。登場から数年が経過してからは安定期に入り、1時間に2本程度の運行本数を基本として、狙って乗車する列車という位置付けになります。
利用者にも運行パターンが定着し、駅に何時に着けば乗れるということを、理解している方が多かったと記憶しています。
空気輸送となっていた面や、マイナスの影響を受けた利用者がいたことも事実ですが、多摩線沿線の発展に寄与した部分は間違いなく大きなものでした。
そんな多摩急行に大きな変化があったのは、2016年にJR東日本を加えて3社での直通運転となったタイミングです。
このタイミングでは、全線の運行パターンが大幅に見直され、多摩線についても1時間に3本の優等列車が走ることとなりました。
運行本数が増えることで、多摩急行が持つ負の面が目立ってくるためか、日中については急行への変更が行われ、多摩急行は朝や夕方以降に運転される列車へと変わります。
千代田線と直通運転をするという点は変わらなかったものの、多摩急行の存在感は一気に薄くなってしまいました。
このような状況も長くは続かず、複々線化の完成に伴って再度運行パターンが見直され、千代田線と多摩線の直通運転は基本的になくなり、多摩急行も廃止されることとなりました。
最終列車はJR東日本のE233系が務め、長年に渡って利用者に親しまれた多摩急行は、静かにその役目を終えたのです。
路線が短く、駅の数も少ない多摩線において、優等列車が走ることによる本質的な意味はあまりなかったのかもしれません。
しかし、優等列車も走る路線となったことで、多摩線という路線の価値が向上したことは間違いなく、発展の余地があった沿線の後押しとなったことは疑いようのない事実です。
何もなかった多摩線に10両の優等列車が走ること、それが残した功績は間違いなく大きなものでした。
おわりに
近年の多摩線では、一部の時間帯で優等列車の運転が中止されるといった動きもみられます。沿線の発展も一段落しつつあり、そろそろ本来の姿に戻りつつあるのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (6)
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多摩急行は多摩線の沿線価値向上、複々線化工事の進捗によりこれまで本数の少なかった千代田線直通列車を増やすきっかけになりました。その一方で、千代田線を経由しJR常磐緩行線まで乗り入れていたこともあり、千代田線内で輸送障害が起きてしまうと小田急側では千代田線直通列車の運行が中止になる、といったデメリットもありました。何も小田急に限ったことではないのですが、首都圏はJR・私鉄問わず相互乗り入れが数多く行われて便利である反面、長距離を走行するものはどこかでダイヤ乱れが発生すると最悪運休になるケースも少なくありません。
複々線化工事が完成した2018(平成30)年改正以降、千代田線直通列車の大半が成城学園前、向ヶ丘遊園発着になったのはダイヤ乱れがあってもこれらの駅で発着することで影響を最小限に抑えたり、代々木上原から比較的戻しやすい距離であること、さらに千代田線直通列車の利用客の多くが都区内側に多いことが関係しています。
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1つは湘南急行の後追いで空気輸送してた時。
もう1つは快速急行登場時で、快速急行の合間を縫うように走っていた時。
前者の方は、なぜ湘南急行とペアで走らせていたのかは全く分かりませんが、客は先発の湘南急行に乗っていきますから、後発の多摩急行は必然的に空気輸送になりました。
向ヶ丘遊園をスキップして経堂に止まるのは、いわゆる千鳥停車の走りでしょうけども、上下線で停車駅を変えていなかったので、千鳥停車が上手く行ったとは言い難いでしょう。
後者の方は、区間準急や多摩急行を乗り継いだり、新百合ヶ丘で後続の快速急行に乗り換えたりという乗客の不便さえ考えなければ、日中の新宿~相模大野間に急行あるいはそれに準じる列車が10分に1本走るように設定されていました。
梅ヶ丘~代々木上原間の複々線化が終わっておらず、列車の増発も速達もほぼ出来ない状況下で、小田急にしては考えたダイヤだったと思います。
ただ、区間準急が8両編成で新宿地下ホームからの発着であったので、新宿地上ホームの人を区間準急に流せてはいなかったかな、て思います。
ワタシダ
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小田原線内は急行停車駅+経堂-向ヶ丘遊園というイレギュラーな停車駅パターンも特徴的で、経堂の利用客からも歓迎された反面(もちろん平日朝夕も停車)、向ヶ丘遊園の利用客からは不評を買う羽目となってしまいました(これが2016年のダイヤ改正において日中の運用が急行に置き換えられた要因なのかもしれません)。2018年ダイヤ改正では惜しくも廃止されましたが、この改正で登場した現在の通勤急行はこの多摩急行の停車駅パターンをベースに、経堂と登戸を通過、向ヶ丘遊園を停車としたと言っても過言ではありませんね(笑)
ワタシダ
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