古い車両から機器を流用し、1966年に登場した小田急4000形。
近代的な車体を持ちながら、古めかしい吊り掛け駆動の走行音を奏でることが特徴でしたが、1985年から高性能車に改造されました。

20181028_05

高性能化後は他の形式とも併結して活躍しましたが、老朽化によって2003年から廃車が開始され、全車が解体されています。
さよなら運転等もなく静かに引退した4000形は、どのような順序で廃車となったのでしょうか。

4000形の各編成が廃車となった順序

3000形の登場によって本格化した通勤型車両の置き換えは、2003年に2600形のほぼ全編成を引退へと追い込みました。
2600形に続いて廃車となったのは、高性能化から20年近くが経過しようとしていた4000形で、3000形の増備がハイペースとなったこともあり、短期間で置き換えが進むこととなります。

どれぐらいハイペースで置き換えられたのかを確認するため、まずは4000形の各編成が廃車となった順序を見てみることとしましょう。
記載している日付は、各編成の廃車日です。

4258F:2003年11月20日
4253F:2004年1月26日
4254F:2004年4月13日
4259F:2004年4月27日
4053F:2004年7月22日
4057F:2004年7月22日
4256F:2004年8月6日
4054F:2004年8月13日
4056F:2004年8月13日
4251F:2004年9月24日
4058F:2004年10月6日
4252F:2004年10月25日
4255F:2004年11月4日
4052F:2004年11月16日
4260F:2004年11月23日
4257F:2004年12月13日
4051F:2004年12月16日
4055F:2005年1月11日

全92両が在籍していた4000形は、約1年で全ての車両が廃車となっていたことが分かります。
2004年の1年間で82両もの車両が廃車となっており、かなりハイペースで廃車が進められたといえそうです。

4000形の廃車に関係するエピソード

次々に廃車となった4000形ですが、種別幕や行先幕の状態から、廃車が近い編成を推測することが可能でした。
有名なのは初期に廃車となった4253Fと4258Fで、4253Fは種別幕が、4858Fは行先幕が英字のないものに変えられていました。

20190907_05

これらの編成も英字併記の幕に変えられていましたが、破損等の事情で古いものに戻されたのだと推測されます。
どうせ戻すなら廃車が近い編成をということで、これらの編成が選ばれたのでしょう。

残る編成が少なくなった頃には、4000形の決まった編成が充当される固定運用が生まれるという珍事もありました。
4055Fと4257Fを併結した10両で運転されていたもので、朝のラッシュ時に見ることができました。



2600形や9000形のような引退間際のイベントは一切行われず、ダイヤ改正に合わせて静かに4000形は引退しました。
小規模なものも含めて何も行われなかった形式は、小田急の歴史上でもかなり珍しいケースとなっています。

おわりに

あまり注目されることもなく、あっという間に小田急線上から姿を消すこととなった4000形。
最後まで地味な存在でしたが、そんな4000形が私は大好きでした。