1978年から始まり、長い歴史を持つ小田急と東京メトロの相互直通運転。
現在はJR東日本も加わり、3社の車両が同じルートを走るようになりました。
相互直通運転の開始から43年、東京メトロから小田急への直通列車はどのように変化してきたのでしょうか。
開始当初は平日の朝夕のみの運転で、小田急からは9000形、千代田線からは6000系が相手先に乗り入れることとなりました。
6000系は小田原線の本厚木までの乗り入れが行われ、種別は準急でした。
各駅停車での乗り入れは、都心部のホームが6両までしか対応していなかったため、当時は不可能だったのです。
土休日にも乗り入れが行われるようになるといった変化はありましたが、このパターンは比較的長く、2000年12月2日のダイヤ改正まで続きました。
このダイヤ改正では、相互直通運転を行う列車の大増発が行われ、小田急側の発着駅は相模大野へと変更されます。
本数が増える分、運転される区間は短くなるといったものでした。
このタイミングでは、平日の朝に多摩線から千代田線に向かう列車も設定され、その後登場する多摩急行へと繋がっていくこととなります。
長く続いた準急での運転が、終わろうとしつつありました。
多摩急行の登場によって運転される区間が変わり、ほとんどの列車が多摩線と千代田線を結ぶようになり、小田原線の新百合ヶ丘から先を走る列車は僅かとなりました。
6000系や06系の準急は過去のものとなり、代走等を除いて見ることができなくなります。
多摩急行を中心とした運転は長く続き、徐々に運転本数を増加させつつも、基本的なパターンは変わりませんでした。
2008年には、相互直通運転にロマンスカーが加わる変化はありましたが、多摩急行を中心とした相互直通運転はそのまま続きます。
大規模な変更があったのは2016年3月26日のダイヤ改正で、JR東日本も交えた3社での相互直通運転に変わり、運転される本数が1時間に3本まで増加します。
種別は朝夕を多摩急行、日中が急行というパターンに変化し、走行する形式が増えたこともあってバリエーションが豊富になりました。
このダイヤ改正では、準急についても増発が行われ、東京メトロの車両が準急で走る姿を再び見ることができるようになりました。
廃車が進められていた6000系も充当され、最後に懐かしい姿を見せてくれることとなります。
しかし、このパターンは長く続かず、複々線が完成したことに伴う2018年3月17日のダイヤ改正において、現在の運転パターンへと変わりました。
しばらくは今の状態が続くと考えられますが、この先の相互直通運転はどうなっていくのか、楽しみつつ見守っていきたいと思います。
今後小規模な変更があった際には、その後大規模な変更が行われることを想定したほうが良いのかもしれませんね。
現在はJR東日本も加わり、3社の車両が同じルートを走るようになりました。
相互直通運転の開始から43年、東京メトロから小田急への直通列車はどのように変化してきたのでしょうか。
準急でスタートした相互直通運転
小田急と東京メトロ(当時は営団地下鉄)の相互直通運転は、1978年3月31日から始まりました。開始当初は平日の朝夕のみの運転で、小田急からは9000形、千代田線からは6000系が相手先に乗り入れることとなりました。
6000系は小田原線の本厚木までの乗り入れが行われ、種別は準急でした。
各駅停車での乗り入れは、都心部のホームが6両までしか対応していなかったため、当時は不可能だったのです。
土休日にも乗り入れが行われるようになるといった変化はありましたが、このパターンは比較的長く、2000年12月2日のダイヤ改正まで続きました。
このダイヤ改正では、相互直通運転を行う列車の大増発が行われ、小田急側の発着駅は相模大野へと変更されます。
本数が増える分、運転される区間は短くなるといったものでした。
このタイミングでは、平日の朝に多摩線から千代田線に向かう列車も設定され、その後登場する多摩急行へと繋がっていくこととなります。
長く続いた準急での運転が、終わろうとしつつありました。
多摩急行の登場から3社での相互直通運転へ
相互直通運転の区間が短縮されてから1年と少しが経過した頃、2002年3月23日のダイヤ改正において、相互直通運転は大きく変化します。多摩急行の登場によって運転される区間が変わり、ほとんどの列車が多摩線と千代田線を結ぶようになり、小田原線の新百合ヶ丘から先を走る列車は僅かとなりました。
6000系や06系の準急は過去のものとなり、代走等を除いて見ることができなくなります。
多摩急行を中心とした運転は長く続き、徐々に運転本数を増加させつつも、基本的なパターンは変わりませんでした。
2008年には、相互直通運転にロマンスカーが加わる変化はありましたが、多摩急行を中心とした相互直通運転はそのまま続きます。
大規模な変更があったのは2016年3月26日のダイヤ改正で、JR東日本も交えた3社での相互直通運転に変わり、運転される本数が1時間に3本まで増加します。
種別は朝夕を多摩急行、日中が急行というパターンに変化し、走行する形式が増えたこともあってバリエーションが豊富になりました。
このダイヤ改正では、準急についても増発が行われ、東京メトロの車両が準急で走る姿を再び見ることができるようになりました。
廃車が進められていた6000系も充当され、最後に懐かしい姿を見せてくれることとなります。
しかし、このパターンは長く続かず、複々線が完成したことに伴う2018年3月17日のダイヤ改正において、現在の運転パターンへと変わりました。
しばらくは今の状態が続くと考えられますが、この先の相互直通運転はどうなっていくのか、楽しみつつ見守っていきたいと思います。
おわりに
相互直通運転の歴史を振り返ってみると、大規模な変更が行われる少し前に、小規模な変更が発生しているという傾向がありました。今後小規模な変更があった際には、その後大規模な変更が行われることを想定したほうが良いのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (24)
前置きが長くなりましたが、学生時代には現在と比べて小田急と国鉄との運賃差が結構有ったという理由から、都心に行くには小田急を利用して居たのですが、最初の2年間は町田迄乗車して通学利用しており、その時の急行が何と5+5の吊り掛け4000で相模大野での併結待ちの際に来る小田原方面の列車が千代田線から来た準急本厚木行きの営団6000でした。
なので、個人的に小田急乗り入れの千代田線というと、この時代しかイメージが浮かばないですし、添付された6000も側窓が下降1枚にマイナーチェンジされた最初の編成だったと思いますが、ドアもそれ以前の編成と同様の小さな窓で、まさか大窓ドアに交換されるとは夢にも思っていませんでしたので、時代の移り変わり・今は昔という時代の流れを感じずにいられません。
ワタシダ
がしました
ちなみに一般的な地下鉄との乗り入れは各駅停車のみの乗り入れから始まることが多く、現在も各駅停車のみの乗り入れが行われとる例として日比谷線と東武スカイツリーライン、東西線と中央・総武線、千代田線と常磐緩行線、有楽町線と東武東上線、南北線と埼玉高速鉄道線、名古屋市営地下鉄鶴舞線と名鉄豊田線などが挙げられます(有料のライナー列車を除く)。また、優等列車の乗り入れから始まるケースは今回の千代田線と小田急の他に半蔵門線と東武スカイツリーライン及び東急田園都市線、東西線と東葉高速線、副都心線と東急東横線及び西武池袋線、都営浅草線と京急、都営新宿線と京王などがあります。
乗り入れ開始当初における朝夕のみの乗り入れという運行形態は東西線と総武線津田沼方面、優等列車のみの乗り入れは半蔵門線と東武スカイツリーラインの乗り入れを思わせますね。
ワタシダ
がしました
1978(昭和53)年に千代田線直通が開始され、僕自身40余年の歴史を振り返ってみると2018(平成30)年3月17日改正が各駅停車による直通列車運転開始が最も印象に残りました。各駅停車の直通は長らく新宿口の8連までしか対応していなかったので、僕自身は有楽町線⇔西武池袋線や都営新宿線⇔京王線と違って絶対に登場することはないだろうと思ってばかりいました。実際、朝晩が中心でしたが、それでもかつて利用していた地元駅に直通列車が止まるとは当時はまだ夢のような出来事にも思えたわけです。
現在、直通列車の多くは「成城学園前」「向ケ丘遊園」行きに転換しましたが、これは都区内区間の利用者だけでなく、ダイヤ乱れがあっても影響を最小限にできることや成城学園前の車庫に入出庫させたり、千代田線に戻せる距離がさほど遠くないことが大きいです。これは京急線でも京成・北総車運用が川崎・横浜方面ではなく羽田空港行きが主体なのは。ダイヤ乱れがあっても都営浅草線に戻せる距離であることやこれらの車両が京急線内の高速運転に対応できないのが関係しています。ちなみに僕自身は千代田線直通列車に関してですが、現状維持が続くのかなと考えています。
ワタシダ
がしました
それは全て新宿発着に譲り、夕~夜間の帰宅時間帯に、「急行伊勢原行き」「準急本厚木行き」が1-2本/時程度ある以外は、ほぼ全て、「準急・各停」の「成城学園前・向ヶ丘遊園」行きですね。IC乗車券での利用状況把握結果により、千代田線直通利用客は、世田谷区・狛江市発着の人の割合が高い、とのことのようなので、そこが大きく変わらない限りは、この状況がしばらく続くのでしょうか。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
相鉄が乗り入れるであろう三田線のルートはほぼ千代田線のルートと被るし...
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
現在の千代田線直通列車は準急が主体のダイヤですが、準急を毎時1本程度急行に置き換え、新松田行きとして設定できればよいかと思います。準急は昔、新松田までの運転実績がありますが、急行に比べて速達性が劣るので急行での設定が最適かと思われます。この急行は16000系、E233系2000番代は代走時を除いて運用に入れず、小田急の4000形での運用とします。
ワタシダ
がしました
多摩線直通時代もそうでしたが、現在の日中の向ヶ丘遊園折り返しも、もて余し気味な感じがしますね。
ただ、ダイヤ乱れで直通切りしたときに運休にしても影響は少なく済みそうです。
ワタシダ
がしました
今では伊勢原まで顔を出すようになり、定着した感じはありますよね。
ワタシダ
がしました