1988年に営業運転を開始した小田急1000形。
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
製造区分は2次車に該当し、一部が残っていた9000形の千代田線直通運用を置き換える役割の編成でした。
仕様上は他の6両の編成と同様となっており、1255Fに特有の違いはありません。
編成は経済的な3M3Tで、付随車にパンタグラフが搭載されています。
千代田線に乗り入れる際は、4両と併結して10両編成を構成しますが、中間に入る先頭車同士は幌で繋がれないため、非常時以外の通り抜けはできませんでした。
営業運転の開始後は、基本的に地下鉄直通運用を中心に使われ、1065Fと組むことを基本としていました。
4000形の登場後には地下鉄乗り入れ運用から撤退し、他の編成と同様に小田急線内ばかりを走るようになっています。
小田急線内に活躍の場を移してからは1055Fとの併結が基本となり、10両で優等列車を中心に活躍していました。
2020年にはクハ1255のみが廃車となり、残った5両は1097Fに組み替えられ、1255Fは消滅しています。
※左側が新宿方
デハ1205:2次車
デハ1305:2次車
サハ1355:2次車
デハ1405:2次車
クハ1455:2次車
デハ1205:東急車輛製造
デハ1305:東急車輛製造
サハ1355:東急車輛製造
デハ1405:東急車輛製造
クハ1455:東急車輛製造
デハ1205:1990年1月18日
デハ1305:1990年1月18日
サハ1355:1990年1月18日
デハ1405:1990年1月18日
クハ1455:1990年1月18日
小田急1000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1255Fの概要
1990年に登場した6両としては5番目の編成で、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるための編成として登場しました。製造区分は2次車に該当し、一部が残っていた9000形の千代田線直通運用を置き換える役割の編成でした。
仕様上は他の6両の編成と同様となっており、1255Fに特有の違いはありません。
編成は経済的な3M3Tで、付随車にパンタグラフが搭載されています。
千代田線に乗り入れる際は、4両と併結して10両編成を構成しますが、中間に入る先頭車同士は幌で繋がれないため、非常時以外の通り抜けはできませんでした。
営業運転の開始後は、基本的に地下鉄直通運用を中心に使われ、1065Fと組むことを基本としていました。
4000形の登場後には地下鉄乗り入れ運用から撤退し、他の編成と同様に小田急線内ばかりを走るようになっています。
小田急線内に活躍の場を移してからは1055Fとの併結が基本となり、10両で優等列車を中心に活躍していました。
2020年にはクハ1255のみが廃車となり、残った5両は1097Fに組み替えられ、1255Fは消滅しています。
編成表
クハ1255-デハ1205-デハ1305-サハ1355-デハ1405-クハ1455※左側が新宿方
製造区分
クハ1255:2次車デハ1205:2次車
デハ1305:2次車
サハ1355:2次車
デハ1405:2次車
クハ1455:2次車
製造所
クハ1255:東急車輛製造デハ1205:東急車輛製造
デハ1305:東急車輛製造
サハ1355:東急車輛製造
デハ1405:東急車輛製造
クハ1455:東急車輛製造
竣功日
クハ1255:1990年1月18日デハ1205:1990年1月18日
デハ1305:1990年1月18日
サハ1355:1990年1月18日
デハ1405:1990年1月18日
クハ1455:1990年1月18日
廃車日
クハ1255:調査中1255Fの写真

コメント
コメント一覧 (3)
もっとも3編成じゃ使い勝手は良くないかもしれませんが
ワタシダ
が
しました