2020年から廃車が開始され、現在は1754Fの1編成のみが残っている小田急1000形のワイドドア車。
ラッシュ時の切り札として登場した車両は、改造を繰り返しつつ生き残ってきましたが、ついにその歴史が終わろうとしています。
引退が近付いていると思われるワイドドア車について、登場からの歩みを振り返ってみたいと思います。
抜本的な解決策が複々線化しかない状況で、側扉の幅を2mに広げることで乗降をスムーズにすることを狙い、ワイドドア車と呼ばれて区別されました。
この頃は他社でも同様の狙いの車両が登場しており、営団地下鉄ではワイドドア車が、JR東日本や京王では多扉車が導入されています。
導入の結果は明暗が分かれており、ワイドドア車がかえって遅延の原因となってしまったのに対して、多扉車には一定の効果が認められました。
このような結果を踏まえ、座席数が減少したことに対する問題も解消するため、1998年から側扉の開口幅を1.6mに縮小する改造が行われ、外見はそのままの状態ながら、2000形に近い車両となりました。
改造によって各駅停車での使用がしやすくなり、多く在籍する4両は8両の新宿方に集められることとなります。
安定して使える状態にはなったものの、2004年に3000形の8両固定編成が登場すると、1000形の4両が過剰な状況が生まれてしまいます。
そこで、4両の6編成を6両の4編成に組み替える改造が行われることとなり、2004年に全編成が6両となりました。
組み替え後のワイドドア車は、10両の小田原方で先頭に立つことが多くなり、優等列車に充当することで加速度の弱点を補っているように見えました。
2回の改造で、ようやく安定した使い方を手に入れたように感じますが、それも長くは続きませんでした。
2012年にホームドアが新宿駅の4番ホームと5番ホームに設置されたことで、ワイドドア車は10両で運転をすることができなくなってしまったのです。
このタイミングからは6両の単独で使われるようになり、これがワイドドア車にとって最後の使われ方となりました。
分かる範囲で各年度に行われたことをまとめ、年表としてみましょう。
1990年度:1次車として4両と6両が2編成ずつ登場
1991年度:2次車として4両が4編成登場
1994年度:1次車の座席を改良
1995年度:サハ1851のパンタグラフを試験的にシングルアーム式に交換
1997年度:側扉の開口幅を1.6mに縮小する改造を開始
2003年度:1751Fと1752Fをクヤ31形の牽引ができるように改造
2004年度:4両の6編成を6両の4編成に組み替え
2005年度:側面表示装置の交換を開始
2008年度:ベクトル制御と純電気ブレーキ化改造を開始
2012年度:新宿駅にホームドアが設置されたことで併結運用から撤退
2020年度:廃車を開始
登場から約30年、今日まで活躍をし続けることができたのは、奇跡的といえるのかもしれません。
ある程度まとまった編成数が存在したことが、プラスに作用したのでしょうね。
奇跡的に長生きをした車両たちは、いよいよその役目を終えようとしています。
ラッシュ時の切り札として登場した車両は、改造を繰り返しつつ生き残ってきましたが、ついにその歴史が終わろうとしています。
引退が近付いていると思われるワイドドア車について、登場からの歩みを振り返ってみたいと思います。
ワイドドア車の歩み
各駅停車の8両化や、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れ用として登場した1000形に、新たなバリエーションが加わったのは1991年のことでした。抜本的な解決策が複々線化しかない状況で、側扉の幅を2mに広げることで乗降をスムーズにすることを狙い、ワイドドア車と呼ばれて区別されました。
この頃は他社でも同様の狙いの車両が登場しており、営団地下鉄ではワイドドア車が、JR東日本や京王では多扉車が導入されています。
導入の結果は明暗が分かれており、ワイドドア車がかえって遅延の原因となってしまったのに対して、多扉車には一定の効果が認められました。
このような結果を踏まえ、座席数が減少したことに対する問題も解消するため、1998年から側扉の開口幅を1.6mに縮小する改造が行われ、外見はそのままの状態ながら、2000形に近い車両となりました。
改造によって各駅停車での使用がしやすくなり、多く在籍する4両は8両の新宿方に集められることとなります。
安定して使える状態にはなったものの、2004年に3000形の8両固定編成が登場すると、1000形の4両が過剰な状況が生まれてしまいます。
そこで、4両の6編成を6両の4編成に組み替える改造が行われることとなり、2004年に全編成が6両となりました。
組み替え後のワイドドア車は、10両の小田原方で先頭に立つことが多くなり、優等列車に充当することで加速度の弱点を補っているように見えました。
2回の改造で、ようやく安定した使い方を手に入れたように感じますが、それも長くは続きませんでした。
2012年にホームドアが新宿駅の4番ホームと5番ホームに設置されたことで、ワイドドア車は10両で運転をすることができなくなってしまったのです。
このタイミングからは6両の単独で使われるようになり、これがワイドドア車にとって最後の使われ方となりました。
ワイドドア車の歴史年表
短期間で改造や用途の変更が行われたワイドドア車は、他社のラッシュ対策車が短命に終わる中で、奇跡的に生き残ってきました。分かる範囲で各年度に行われたことをまとめ、年表としてみましょう。
1990年度:1次車として4両と6両が2編成ずつ登場
1991年度:2次車として4両が4編成登場
1994年度:1次車の座席を改良
1995年度:サハ1851のパンタグラフを試験的にシングルアーム式に交換
1997年度:側扉の開口幅を1.6mに縮小する改造を開始
2003年度:1751Fと1752Fをクヤ31形の牽引ができるように改造
2004年度:4両の6編成を6両の4編成に組み替え
2005年度:側面表示装置の交換を開始
2008年度:ベクトル制御と純電気ブレーキ化改造を開始
2012年度:新宿駅にホームドアが設置されたことで併結運用から撤退
2020年度:廃車を開始
登場から約30年、今日まで活躍をし続けることができたのは、奇跡的といえるのかもしれません。
ある程度まとまった編成数が存在したことが、プラスに作用したのでしょうね。
おわりに
本来想定した使われ方はほとんどされませんでしたが、状況の変化に合わせて働く場所を失わなかったワイドドア車。奇跡的に長生きをした車両たちは、いよいよその役目を終えようとしています。
コメント
コメント一覧 (12)
ワタシダ
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1991(平成3)年にデビューした1000形ワイドドアですが、まもなく終焉の時を迎えようとしています。かつては鉄道ファンで京王6000系5扉車とともに新車ガイドで共演していました。しかしながらこれらの車両は時代の波に翻弄されるようになります。小田急・京王とも座席数の減少に悩まされ、前者はドアの幅を短くし、後者は一部の車両を4ドアに改造したり、京王線新宿駅の降車ホーム側に柵が設けられたことで都区内運用に入れず、支線運用に転身されました。
小田急もこの20年近くで1000形ワイドドア車を取り巻く環境は大きく変わりました。4連だった編成は全て6連に組み替えられましたが、ホームドアの寸法やホームドアの設備に対応できず、都区内に乗り入れることは全く無くなり使い勝手の悪い車両に成り下がってしまいました。それでも支線区間で地道な活躍をしてきたことには、かつて利用してきた身としてはあらためて感謝したいなと思います。
小田急・京王以外でもラッシュ時対策として東急田園都市線5000系に6ドアが連結されたり、日比谷線03系や東武20050系が当時の伊勢崎線の混雑緩和対策として5ドアが導入されました。東急はラッシュ時に効果がでましたが、ホームドアが設置されることが決定し、短命で廃車解体の憂き目にあいました。日比谷線に関しては引退までひたすら直通運用のみ従事し、日比谷線の大半の駅は車両の前後に改札口や階段が設けられていることもあってか、座席数減少は別として引退までラッシュ時間帯に関しては大変重宝されていました。
僕は他者の車両も含め、このような列車があったことはいつまでも記憶の中に残し続けたいと思います。
ワタシダ
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重たいから加速が他車より悪いうえに運用の制約により、最後まで使い勝手の悪い車だった。
運転操作が9000よりマシだったのが唯一の救い。
ワタシダ
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まあ内装については更新と言ってもいい気もしますが…
ワタシダ
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パワーウィンドウ‼️
相鉄以外で他にあったのかなぁ~❗
ワタシダ
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多扉車として最初に登場、且つ最後まで残ったのは京阪5000系ですね。1970年、当時の京阪はラッシュの混雑が激しく、架線電圧が600Vで車両の増結が困難な中少しでもこの状況を緩和しようと、日本の鉄道車両で初めて片側に5か所扉を設けました。ラッシュ時は5つの扉全てを使って乗降を行い、ラッシュ時以外は3扉車として運用されました。なお、ラッシュ時以外使わない2、4番ドアは座席をドア上部に格納でき、ラッシュ時はこの座席をドア上部に格納し、それ以外の時間帯は座席を降ろして使用するという面白い車両でした。
5000系引退の理由は経年劣化よりもホームドアの整備に関連しており、2021年1月29日に5扉開閉の運用を終了、その後も13000系30番代に置き換えられ、同年9月4日で運用を終了しました。ホームドアによって運用範囲が狭まるのは、多扉車、あるいは小田急1000形ワイドドア車のような車両の欠点なんですかね。
ワタシダ
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ワタシダ
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もしかして、登場した時は幕だったのでしょうか??
ワタシダ
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ワタシダ
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昨年9月に京阪5000系が引退したことで多扉車が姿を消し、ワイドドア車も小田急では2000形と3000形の一部(他には東京メトロ05系の一部と15000系、横浜市営地下鉄3000形、阪急8200系も該当)に残るのみとなるとラッシュ時の混雑を支えた装備を持つ車両はいよいよ終焉の時を迎えようとしとるのかもしれませんね。
ワタシダ
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