相模大野を除いた江ノ島線内の駅では4番目に平均乗降人員が多く、相鉄や横浜市営地下鉄との乗換駅ともなっている小田急の湘南台駅。
元々は優等列車が停車しない小さな駅でしたが、1990年代になって急速に発展しました。

改良工事によって、近年開業したかのような綺麗な駅となった湘南台ですが、古めかしいホームが少しだけ残っています。
このホームはなぜ一部だけが残されたのでしょうか。

改良工事によって大きく変わった湘南台

湘南台は1966年11月7日に開業した比較的新しい駅で、元々は各駅停車のみが停車する小さな駅でした。
橋上駅舎化はされていたものの、ホームは6両分しかなく、現在の姿からは想像もできないぐらい地味な存在の駅だったのです。

そんな湘南台が大きく変化することになったのは、相鉄のいずみ野線と横浜市営地下鉄のブルーラインが乗り入れることになったのがきっかけでした。
1991年に駅舎の地下化や自由通路の設置が決まり、これ以降湘南台は大きく姿を変えていくこととなります。

小田急は1995年7月から工事を開始し、湘南台の風景は少しずつ変化を始めます。
線路やホームの真下に地下空間を構築するため、工事中は駅全体がほぼ仮設の状態となり、ホームからは地下で工事をしている様子が見えることもありました。

相鉄と横浜市営地下鉄が延伸開業した直後、1999年10月10日に小田急も地下駅舎等の併用を開始し、2000年3月31日に改良工事が終了しました。
ホームや上屋は10両に対応した立派なものとなり、別の駅のような姿に変貌しています。

古いホームはなぜ一部だけが残されたのか

綺麗な湘南台のホームですが、よく見ると相模大野方にほんの少しだけ、昔ながらの古いホームが残されています。
それ以外の新設されたホームとは見た目もかなり異なり、できる限り違和感がないようにするといった工夫も見られません。

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写真の右側が古いまま残されたホームで、仕上げもアスファルトなのが妙に目立ちます。
残っている直接的な理由は、この部分には地下が構築されていないため、工事中に壊す必要がなかったためだと思われます。
長さとしてはかなり短く、工事中は最終的に一新するものだと思っていましたが、他の部分と繋がる立派な上屋が設けられて最終的には残されました。

この部分がそのままとされた真相は分かりませんが、コストの面での判断だったことは間違いないでしょう。
小田急グループは業績が悪化している事業のリストラを進めている時期であり、1997年に北中誠氏が社長に就任して以降は、その動きが加速していきました。
そのような時期であったことを考えると、少しの長さのホームでさえ、使えるものは使おうという判断に至ったとしても不思議はありません。

真相が明らかになることはないでしょうが、一部に残る古いホームは、綺麗な湘南台という駅の中で今も異彩を放っています。

おわりに

継ぎ足し感が強いため、10両化に関係していると誤解されますが、実際には地下を構築したことがこのようになった直接的な原因です。
もう少し工夫できなかったのかなとも思いますが、それ以上にこの頃はコストダウンが優先されたのかもしれませんね。